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#32 あの日の話

1995年1月17日。
あの日私はいつも通り、学校に行くための支度をしていた。日課になっていた新聞の斜め読みをしながらテレビの音声を聞いていたら、「大阪で大きな地震があった」との速報が入った。
当時「関西は地震がない」(とても少ない)という意識がある程度世間で共有されていた。だから地震があったこと自体にかなり驚いたのだが、その後の中継画面で最初に映されたのは、阪急梅田駅コンコースの天井から漏水が大量にしたたり落ちている様子だった。
かなり大きな地震なんだろうと思って学校に行ったところ、どうやらとんでもない地震が起こっていたことがわかってきた。

授業が終わり帰宅すると、高速道路が横倒しになっていた。
町じゅうが火に包まれていた。コンクリート製のビルは1階がなくなって軒並みつぶれていた。およそこの世の現実とは思えない様子が次々と映された。

その年はその2か月後、日本中を揺るがす大きな事件も起こり、暗澹とした気分で日々を過ごしたのを覚えている。
地震発生から5年後、私は社会人となって大阪に移り住んだ。大阪では地震の痕跡はまったくといっていいほど感じられなかった。
また、研修で神戸のとある工場に行ったときも、地震前と同じように操業しているという説明を受けた。施設も復旧しているとのことだったが、工場には荒れ果てた一角があった。案内してくれた人によると、地震があったことをとどめるため、操業に支障がない部分の一部をそのまま残しているという。

地震の翌日、友人から驚くことを聞いた。彼は青春18きっぷを利用して西日本に旅行していたのだが、1月15日に神戸にいたという。わずか2日の差で被災を免れた彼はその後「ありがたい」をしきりに口にするようになった。
この地震の時に私は関東におり、そして東日本大震災の時には大阪にいた。たまたまのことなのかもしれないが、これまで体感した一番大きな地震は震度5くらいだ。これも実に「ありがたい」ことなのだろう。
日々生きていると何気ないことに気づかない。このような日に気づくことが大事なのかもしれない。

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