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TSMC創業者 モリス・チャン

世界的な半導体不足から何かと注目を集めるようになった半導体産業。
他社ブランド製品の製造だけを請け負う台湾のTSMCはそれまでは縁の下の力持ち的存在で一部の人に知られる程度でしたが、Appleの最新型iPhoneのプロセッサ製造を手掛ける同社の急成長ぶりや日本の熊本に進出するなど国内でも脚光を浴びるようになりました。

台湾の人から「護国神山」とまで言われる世界有数の大企業TSMCを築いたモリス・チャンとはどのような人物なのでしょうか。
それまで戒厳令解除後の報道規制撤廃後に度々不正確な報道をしてきた台湾メディアによる株価操作の餌食にならぬようにマスコミとの関係を避けて来たとされ、あまり語られてこなかったモリス・チャン氏の来歴や業績を簡単に纏めてみました。



中華民国にて生誕

1931年7月10日
浙江省寧波市の銀行頭取の家庭に生まれる。

1932年
南京に転居。

1937年
日中戦争の戦火を逃れるため小学校6年の時に広州から香港に移住。

1943年
日本軍の香港進攻を受けて中華民国臨時首都のあった重慶市に逃れる。
南海中学校入学。

1945年
上海に転居。南洋模範中学校に転校。

18歳にしてアメリカに移住

日本の降伏により第二次世界大戦が終結するも1946年には中国国内において中国国民党と中国共産党が覇権を争う国共内戦(第二次国共内戦)が再燃し、モリス・チャン氏の居た上海にも攻撃が迫り、国民党政府が台湾に退避して中国共産党による中国人民共和国建国が宣言される前年にあたる1948年に香港からアメリカに移住。

1949年
ハーバード大学入学。

1950年
マサチューセッツ工科大学(MIT)に編入。

1952年
マサチューセッツ工科大学(MIT)にて機械工学学士学位を取得。
最初の妻クリスティーヌと結婚

1953年
マサチューセッツ工科大学(MIT)にて機械工学修士号を取得。

1955年5月
内定の決まっていたフォードモーターとは給与面で折り合わなかったことから辞退し、もう一つの内定先であったゲルマニウムトランジスタのベンチャー企業シルバニアエレクトリックプロダクツに就職。
製造技術改良で歩留まり改善に貢献。

1958年4月
半導体注目企業のテキサツインスツルメンツ(TI)に転職。

1964年
社内での業績優秀が認められ社費でスタンフォード大学電気工学博士課程に送られ博士号を取得。トランジスタの発明者ウィリアム・ショックレーやベル研究所の実験責任者ジェラルド・ピアソンといった半導体専門家とも人脈を築く。

1967年
TIに戻りゲルマニウムトランジスタ部門、シリコントランジスタ部門、集積回路部門のトップを歴任。中級、上級経営幹部としても能力を発揮。

1972年
半導体の生産技術開発、研究開発、業務管理、マーケティングを経験しアメリカの半導体産業に貢献、半導体事業最高責任者として同社の発展を支える副社長に昇格。

ベンチャーから大企業までキャリアを積み重ねる中で、アメリカの半導体産業勃興から発展期を支えた半導体業界の重鎮らとも親交を深める。

1983年
経営陣の方針との違いからTIを退職。

1984年
ジェネラル・インストゥルメントの社長兼CEOに就任。

1985年
ジェネラル・インストゥルメントを退職後、台湾の孫運璿、李国鼎らから嘱望され渡台。

それまでも行政院の科学技術顧問団国外アドバイザーとして関わってきた台湾の半導体産業に必要な人材として今に至る台湾の半導体産業興隆を牽引。

TSMC設立までの経緯

1974年2月
台湾経済界の重鎮ら7名が集まった「豆漿(ドウジャン)店会議」でCMOS型ICの生産を目指しアメリカから技術導入する方針が決定され、米RCA社から協力を取り付ける。

1976年7月
台湾に電子産業を導入する産業政策「パイロットプラント計画」に基づきプラントの建設開始。

1979年4月
アメリカに派遣していた研修者らからなる技術人材チームらの電子工業研究発展センターを電子工業研究所に格上げ。

1979年7月
電子工業研究発展第二期計画に着手

1979年9月
UMC(聯華電子)準備室発足。

1980年5月
UMC(聯華電子)設立。
工業技術研究院(ITRI:工研院)から技術移転や人員を提供され、キーデバイスであったデジタル時計IC生産を4インチウェハで開始。音楽ICなどのヒット商品を生み出す。

1983年
次期産業振興政策として「VLSI計画」が策定され、競争がし烈な汎用品のDRAMか高難度のASICを導入するかが検討され
・1.25ミクロン標準構造回路の研究とCADの導入評価
・共同研究センターに対する支援
・情報機器用IC技術開発強化
・1ミクロンCOMS構造技術の開発
・民間への成果移転
を目標に定め19件の特許申請(採用6件)、16件の著作権の獲得、38本の論文発表を行う。

1985年
サイエンスパークの設立など台湾半導体産業の育成に尽力していた李国鼎行政院政務委員、孫運璿経済部長(経済相)らに招聘される形でアメリカから台湾に「帰国」したモリス・チャン氏が工業技術研究院(ITRI:工研院)の董事長兼院長に就任。

1986年
モリス・チャン氏、TSMC設立者となり資金調達など設立に向けた準備を開始。

1987年
VLSI計画の成果や試験工場が貸与される形でTSMC設立。
半導体製造に特化し製品製造受託する「ファウンドリービジネス」を志向する。

1994年
モリス・チャン氏、世大積体電路社長を兼任。

1999年
IBMから技術ライセンスを受ける。

2000年
徳碁半導体、世大積体電路を買収、統合し生産基盤を強化。


1985年にモリス・チャン氏が来台した時にはUMC(聯華電子)が既に操業していました。
しかしUMC(聯華電子)は設立母体であったITRI(工研院)にICの設計を依存していた事から経営の自由度が制限されており音楽ICなどのヒット商品の後は発展の余地が限られていました。

モリス・チャン氏はTSMC設立当初から製造のみを行うファウンドリ事業の実現に可能性を見出していましたが、当時の台湾政府関係者や地場の銀行などがその事業性に疑問を呈した事から設立の為の資金集めは難航したと言います。

結局、台湾進出で李国鼎氏と縁のあったオランダのフィリップス社が27.5%の出資を請け負い、地場の金融機関などの出資も取り付けて行政院発展基金の48.3%と過半数が民間出資になる形での半官半民企業としてスタートする事が出来ました。

しかし設立当初は電子産業の根付いていない台湾は元より後追いの台湾を二流、三流と見做していたアメリカや日本の半導体メーカーからの受注は獲得出来ず、苦しい経営が続きましたが台湾で理工学系の大学を出てアメリカの大学で学んだり、アメリカ先進企業で技術習得していた人材がITRI(工研院)設立に際して、台湾での電子産業の将来を担おうと挙って帰国していた事や、それ以前からの電子産業振興政策によって半導体設計会社が多くあった事などからTSMC設立後から初期の製品製造を支え経営を軌道に乗せる事が出来たようです。

これらの経験からモリス・チャン氏は台湾社会によくある二番手で良いと言う「老二主義」からの脱却を決意し、世界一流の企業づくりを決意したという事です。

Intel社の製造受託契約時に厳しい査察を受け、充分な技術水準にあると認められた事を契機に徐々に大口顧客からの依頼が増え、利益を人材と研究開発に投じる事で先端半導体プロセス開発競争に加わっていきます。

Appleのスマートフォン用SoCやNVIDIAの高性能GPU製造にとってTSMCは欠かせないパートナーとなっていきます。

モリス・チャンの企業理念

権威主義ではないリーダーシップ
フラットな組織
研究開発を重要な仕事と位置付ける
雇用は能力主義、オープンな社内コミュニケーション
従業員は常に評価され優秀者には報酬、低ければ改善
従業員は株主と利益を分かち合えるようにする
(1994年のモリス・チャン氏の講演より)

ファウンドリー事業は誰のアイデアか

1979 年1月のVLSIに関するカリフォルニア工科大学の会議でカーバー・ミード教授がシリコンファウンドリとファブレスデザインハウスの概念と設計と製造の分離を提唱していたとされます。

モリス・チャン氏自身も25年に及ぶアメリカの半導体産業に関わるうちに、年々過大になっていく設備投資を分離して製造だけに専念する事業体と設計のみの会社に分かれていくと言うビジョンを持っていたようです。

TSMCの独立取締役会

過去にはアプライドマテリアルズやフィリップスなどのCEOらの外国人取締役も名を列ねており、経営提案や国境を跨ぐような機密保持や知財管理案件の対応を推進する立場にあるとされています。

内部監査や企業統治に関する発言権を持ち、モリス・チャン氏も独立取締役会からの物言いには対応する必要がありました。

TSMCの従業員高待遇

当初はTSMCでもUMC(聯華電子)が始めた従業員の株式割当て制度を導入していましたが、政府系出資が入っている事で一般投資家や政府から問題視され、四半期毎の業績賞与支給と改められました。
支給額の半分だけは翌年の株主総会での承認後前年分の支給という形になっています。
これは支給直後の離職を防ぐことと取締役会の報酬決定委員会プロセス透明化のためとされています。
また、現在では従業員の株式配当に対する税も会社負担となっています。
これにより台湾の給与水準を大きく上回り、製造業としては高水準の待遇で高度人材を獲得しています。

TSMCの強み

世界最先端の半導体製造技術と研究開発力を持つ事は同社の最大の競争力となっていますが、それを実現する高度人材を2万人擁しており、世界有数のテクノロジー企業、軍事産業、航空宇宙産業など幅広い領域からの受注を実現するため組織的に運営されています。

新規案件には初日から研究開発、営業、生産の三部門からチームが編成され、顧客との課題を全て検討し問題解決にあたる体制が構築されています。

また、顧客から製品情報を預かるファウンドリ事業において顧客信頼を得るため、情報セキュリティに最大限の配慮がなされ、例え社内であっても他のチームがどのような案件に関わっているかは明かされておらす、職責毎にアクセスレベルが設定され、ファイルの閲覧制限や時間経過で開けなくなるなど厳重に管理されており、また社内ネットワークへのアクセスも当然ですがアクセスログが記録され情報の外部流出を防ぐ配慮をした開発体制が構築されています。

これにより垂直統合型企業の製造工場を一時的に利用する時に顧客が懸念する製品アイデアや発売時期の漏洩や、製品の買い取りによる利益喪失や設備やノウハウの偏りから受ける製造方式の制約を心配することがない事から半導体におけるファウンドリ事業は発展してきました。

企業理念に基づく組織運営

設計、調達、支払いを分離して調達は委員会の合議で決定され、財務部門から市場価格等の調査情報が伝達され価格の妥当性、支払状況も常時監視されており、年間数千億円規模の支払プロセスを厳格に定義した自動処理で内部の個人や部署の不正が起こりにくい仕組みになっています。

縁故採用を禁止し、実力による採用、人事考課を行い公平感のある社風により、不正や社内党派争いによる非効率化を排除する姿勢を打ち出しています。

顧客はパートナーであり、顧客と競合しない

各要素技術の高度な組合せによるプロセス技術がコア・コンビタンスとの思想から、歩留まり(良品率)99%を実現しなければ通常は量産化の許可がおりないそうです。
これがコストや納期を気にする顧客企業の信頼を勝ち得ている競争力の源になっており、問題に向き合い、テスト、分析、微調整を繰り返して特定していく手法を身につけた数千人もの博士号を取得した高度人材を擁する事こそ同社の強みと言えるかもしれません。

近年では毎年1兆円単位での莫大な投資により、例えば最先端露光装置メーカーASMLの最大顧客となって同社の最優先でのサポート、開発協力が得られており、他の装置メーカーや素材メーカーにおいても重要なパートナーという位置付けから開発競争を優位に進められています。

また先行投資しして減価償却が済んだ以前のプロセスについても利益率が上がりコスト優位性が生まれ同社の無視できない比率の収入源となってきます。

技術、それを支える人材、事業規模の観点からも同業他社に大きな強みを持つに至り、先端分野においてもライバルであるインテルやSamsung電子からも製造を受託するなど優位を磐石なものにしつつあります。

IPライブラリの提供

TSMCが過去に取り組んできた設計技術をモジュール化したライブラリを顧客に開示して設計や特許分析などで開発支援をしていることは知られています。
製品の市場投入までの時間を最優先するような顧客や規模が小さく開発力に劣る顧客にとってのメリットは他社に製造を委託するよりも大きいものになっています。

NVIDIA草創期にTSMCが設計開発支援をした事によってその後の躍進を下支えした事はパートナーとしての顧客利益最大化実現という代表的な成功例と言えるでしょう。

顧客に応じたダイナミックプライシング

製品価格を決定する際、以前であればモリス・チャン氏の個人的な関係から相手の予算範囲を事前に知っていたなど属人的な要素もありましたが、事業継承に取り組むにあたり、AIによるビッグデータ解析で顧客ごとに取引価格が設定されるようになりました。

必要な技術水準、市場動向、顧客の財務分析から競争力や将来性を鑑みた価格が設定されるため、たとえ同一のプロセスを用いた二種類の製品でも異なる価格が設定され、需要予測やリスク管理の観点から顧客共々利益の最大化を目指すことができる仕組みになっているそうです。

TSMCによる需要予測などのサポートを受けられるという事も顧客にとってはTSMCを選ぶメリットであり、TSMCにとっても顧客の成長を支える事で将来の利益確保にも繋がる事になります。

自社工場のような感覚で使える

顧客には製造工程の進捗が共有されており、好きな時に確認できる仕組みを通じてまるで自社工場のような感覚でモニターできる事もTSMCと組む場合のメリットとなっています。

台湾産業界を代表してAPEC特使

モリス・チャン氏は2006年の陳水扁総統特使、2018年からは蔡英文総統の特使としてAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議に出席し台湾政府の意向を参加メンバー国に伝える役割を果たしています。

企業としての社会的責任

台湾は地震など自然災害が多く、また大きな事故が発生した際、TSMCでは復旧プロジェクトが立ち上がり資金提供だけでなく、復興事業を率先して行っていることは日本ではあまり知られていません。

また、基金を通じての支援活動や新型コロナウイルスワクチンや人工呼吸器、医療キットの寄贈なども公に喧伝することなく行われてきました。

台湾の価値のある古い建造物のリノベーションによる地域再開発や芸術支援活動などへのチャリティー活動を通じて台湾文化に貢献しているようです。

脱炭素活動

高まるカーボンニュートラルの要望に、多くの電気を必要とする半導体製造でも取り組む機運が高まっています。

TSMCもグリーンボンドの発行で脱炭素を推進したい考えで、環境対策事業のみに限定されるものです。

台湾で3つの原子力発電所が稼働を停止する2025年までに使用エネルギー量の20%削減、工場のエネルギー効率30%向上を掲げており2050年までに全ての工場とオフィスで使用する電力を100%再エネに転換すると発表しています。

既にグレーン電力調達プロジェクターに参加し台湾における再エネの最大購入事業者となっているTSMCですが、台湾でのグリーンエネルギープロジェクト自体コストや技術的な問題から実装が遅れており、また最先端の製造プロセスでの電力使用量は増大の一途をたどっており、2026年に本格導入される欧州の炭素国境調整措置(国境炭素税)などを視野にデンマークの風力発電事業者から20年の長期電力購入契約(執筆時において再エネ電力の契約としては世界最大)を交わすなど再エネ導入計画が急がれる所となっています。

水資源問題

台湾では水不足が深刻な問題になっていますが2002年に渇水を経験したTSMCでは使用する水の循環再利用(再利用率87%)をしており、1トンあたり25台湾ドルの費用が掛かっています。
水道代は11.5台湾ドルでしたが、台湾自来水公司(国営水道事業者)の会長が水道水の使用を提案したところ、モリス・チャン氏は「水道水を利用すれば費用は節約できるが環境への責任がある」とその申し出を断ったそうです。

水利権を持つ農業組合から1トンあたり3.5台湾ドルで購入している企業もある中でTSMCが台湾のCSRランキングで常にトップ3に入るのには相応の理由があるのでしょう。

TSMCでは更に水資源の再利用を進め、自社工場だけでなく台南工場のある台南サイエンスパークに安平水再生プラントを建設し工業団地全体の廃水の処理と再利用を進めています。

この取り組みを新竹のサイエンスパークにも導入する予定だそうです。

また、将来的には海水の淡水化プラントを各サイエンスパークに隣接した海辺に建設し年間十億トンの水を供給して水不足解消を計画しているようです。


台湾電子産業について書いたnoteもよろしければご覧ください。


参考資料

・書籍


・web資料

台湾積体電路製造(TSMC)の企業戦略と創業者・張忠謀 朝元照雄・小野瀬拡
https://www.kyusan-u.ac.jp/imi/publications/pdf/jimimivol.46_content_a.pdf

台湾情報誌 交流 2013年12月号vol.873
https://www.koryu.or.jp/Portals/0/images/publications/magazine/2013/12/koryu2013.12.pdf

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