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【人物ルポルタージュ】29万票の金利~山田太郎と「表現の自由」の行方 <後編>

【開票速報のどうしようもない時間】

日がかわって、開票日。きっと徹夜の取材になるだろうと思い、台所に立っておにぎらずをつくった。ふと、途中で思いついて、もう一度米を5合炊いて、どっさりをつくることにした。

 午後6時過ぎ、事務所にいってみると、まだ静まりかえっていた。選挙速報を見ながら行う予定のニコ生に、大勢の人が集まるだろうと椅子が並べられていた。

早々とコンセントのに近い席を押さえてから、近くにあるセガフレードで、ルンゴにホイップクリームと、ショットでグラッパ。煙草を3本ほど飲んで事務所に戻った。なかなか、人が集まっては来なかった。

 午後7時頃になって、ようやくちらほらと人がやってきた。山田はパーテーションの奥で、身体を休めていた。前夜、打ち上げをした運動員たちも疲れた表情で椅子に腰掛けていた。まだ、安堵はまったくなかった。

 テレビ局各社が一斉に選挙特番を始める午後8時。山田のニコ生はスタートした。まだ客席には20人ほどが集まっているだけだった。選挙特番開始早々の話題は、自公の過半数獲得。そして、各選挙区の行方であった。

各地の開票は、まず選挙区から行われる。比例区の開票が始まるのは、そのあと。おそらくは日が変わる頃になってからだろうとされていた。時間はたっぷりあった。

 山田は、自分から積極的にしゃべるでもなく、ニコ生のコメント欄に寄せられた言葉に返答をしていた。事務所には、まったく緊張感はなく、むしろだらけていた。結果が海の物とも山の物ともつかない中で、どのような緊張感を持てばよいのか、誰もわからなかった。

ただ、山田は刹那に不安げな顔をしていた。運動員も、次第に集まってきた支持者も、ずっとこのような時間を過ごさなければならないのかと気づき、どこか焦点の定まらない眼をしていた。

 ニコ生の画面に、次から次へと流れていく、意味のないコメントや質問を拾っては、山田は、言葉を紡いでいた。気持ちは入っておらず、ただ反射的に答えを返しているだけで、うわの空だった。隣に司会役として座っている坂井の言葉も耳を素通りしていた。

 山田の頭の中では、様々な想いが、ぐるぐると巡っていた……。

 大勢の人々の信頼を裏切らないために、半ば意地で出た選挙戦。それは、ビジネスマンの立場からいえば、まったくの失敗であった。損切りをするタイミングも失い、これまでの経営で蓄えた貯金の大部分を放出した。生活に困らない額が残っているとはいえ、一生暮らせるほどの額ではない。

 また、実業の世界へと戻って、どのように生きていこうか。いやいや、落選した自分に世間は、どのような眼を向けるのだろうか。みんな「残念でしたね」「惜しかったですね」とお仕着せの言葉で声をかけてくれるかも知れない。

 けれども、落選した自分が、また何かをやろうと決意した時はどうだ。再び信頼を得て、今までやってきたようなことを継続することができるのだろうか。

次に何かをやるにしても、その前に片付けなければならない雑事は山のようにある。選挙を手伝ってくれた運動員にお礼を述べて、支持者にお礼を述べて。いや、その前に、結果が決まった時に、この場でどのような敗戦の弁を述べればよいのだろうか。

落選は、前回の選挙でも味わっている。あの時は、みんなの党に請われて出馬した。一種、お客さんのような立場でもよかった。でも、今回は違う。

 様々な思惑があるとはいえ、自分に一票を託してくれた人ばかりなのだ。目論見が裏切られた時に、その人たち、今、目の前に座っているオタクの人たちも、どういう目線を向けるだろうか。

ちょっとでも業績が下がれば、手のひらを返したかのように罵詈雑言をぶつけてきた株主のような振る舞いをするのだろうか。壁に貼られた、為書きのかわりの支持者たちのイラストやメッセージも、今は見ているだけで、心が痛くなってくる。

でも、本当はこれで議員生活を終わったりはしたくない。まだまだ、やりたいことは山のようにある。自分なら必ずやり遂げることができるアイデアは尽きることがない。

 ビジネスとはまったく違う政治の世界だけれども、自分だからこそできることがある。そして、手応えも感じている。

結果がどうなるのか、今は考えたくもない。ただ、もし出来ることなら、なんとか当選をしたい。新党改革が獲得できたとして1議席……きっと、自分は荒井さんよりも得票できる。

荒井さんを蹴落としてでも、なんとか当選したい。昨日は、我を忘れて感情のままにマイクを通して話してしまったけれども、あれが自分の本心だ。

これまでも、自分の思い描いた夢を実現するために、あれこれと策を講じて成功してきたじゃないか。だから、必ず……今回も上手くいく……。

 私の目には、山田はずっと煩悶しているように見えていた。

 午後9時45分になり、一部のメディアで新党改革が当選者ゼロを報じた。途端にTwitterには、山田が落選したとツイートする気の早い人々が現れた。

「まだ開票はほとんど開いてませんから。最初から、わかるのは夜中の2時……4時を過ぎてからだと思っていたので」

 山田の言葉はなんの安堵も与えなかった。望みが薄いのはわかっている。でも、落胆することも、喜ぶこともできず中途半端なままに過ごさなくてはならない時間は、まだまだ続きそうだった。誰にとっても苦痛な時間だった。

 この、どうしようもない雰囲気に耐えられず私はノートパソコンを開いて、ゲーム『艦隊これくしょん -艦これ-』を起動した。気を紛らわそうとしたつもりが、それもまたうわの空で、プレイを誤り大切な艦娘を轟沈させしまった。

 ノートパソコンを閉じると、ニコ生はダラダラと続いていた。話は、いっそうわけのわからないものになった。

 山田は、隣に座っている坂井が「ももいろクローバーZ」の玉井詩織のファンであるとか、半ばどうでもよいことを話して場を繋いでいた。場を和ませようという気遣いだったのかも知れないが、誰も笑いもしなかった。

 とりわけ、多くの支持者が座っているのはパイプ椅子である。2時間も座っていれば、お尻が痛くなってたまらない。だらしなく足を投げ出したり、背伸びをしたり。外に煙草を吸いにいったり、コンビニでお菓子を買ってきたりして、無為な時間を過ごしていた。

 午後10時40分になって、山田の妻と娘がやってきた。2人は、支持者に会釈をすると、パーテーションの奥へと入っていった。ただ、それだけでまったく空気感は変わらなかった。どうにか時間をやり過ごそうと、山田のトークは、いつもの早口になっていた。

話していることは、それまで山田が幾度も話していたことばかりで、目新しいことは何もなかった。未来を語ることも、過去を悔やむこともできない時間だった。ニコ生の視聴者数だけは積み上がって、累計2万人を超えようとしていた。

【繰り返される拍手と緊張と不安の時間】

ようやく、状況が変わり始めたのは午後11時を回ってからであった。

 NHKで、新党改革の得票率が0.8%になっていることが報じられた。それを見た、山田は少し安心したような顔をして、呟いた。

「意外とうかるなあ……」

 次の瞬間、支持者は拍手と歓声に沸いた。それは、山田の当選の可能性が見えてきた喜びというよりは、停滞していた時間が終わりゴールが見え始めたからだった。だから、山田の表情はすぐに硬くなった。

 午前0時を回り、ようやく比例区の開票作業が本格的に始まっているようだった。

 長らく議員秘書として、いくつもの選挙戦を経験してきた今野は、自身の経験から票が伸びる予感を感じていた。

「日本のこころに追いつけば、なんとかいくんだよな、これが……」

 落ち着かないのか、事務所の隅のほうをウロウロとしながら、今野は呟いていた。

 状況が変わらないまま、一度、休憩時間になった。集まった人たちは、お互いに持ち寄った食べ物や飲み物を交換して、一息をついた。私が持参したおにぎらずも、意外に人気だった。この雰囲気に、誰もが疲労と空腹を感じていたのだ。

 午前0時19分、新党改革の得票率が1%となると、また支持者たちの拍手が湧いた。これからどこまで票が伸びていくのか、期待のまなざしが山田に向けられていた。

「伸びるで、伸びるで……」

 事務所の隅で、今野が何度も呟いていた。

 そうした期待感は事務所の中だけではなかったのだろう。ニコ生の視聴者数は3万人を越えようとしていた。ここに来て、それまで煩悶としていた山田の表情が切り替わった。一転、精気を得た顔で山田はマイクに向かって語った。

「やるべきことはやった。応援はしてもらったし、結果を待つしかない」

 山田には、オタクにまで見放されて、泡沫候補で終わってしまうのではないかという、最悪の結果だけは去っていく予感があった。再び自分にチャンスが巡ってきた空気の変化を、敏感に感じ取っていた。

もしも、ここから票が伸びていけば、どうしようもない敗戦の弁を述べる必要はない。当選……できないとしても、どれだけの票を獲得することができるのか。山田は自分のところに転がり込んできた手札をじっくりと吟味しながら、早くも未来のことを思い描いていた。

「今、開いているのは近畿の票。関東のは全然開いていないですよ……」

 午前1時前になり、今野が呟いた。

 そこからは、また中途半端な時間に戻ってしまった。大政党の名簿上位から、少しずつ当選者が決まっていた。テレビの選挙特番は、既に締めのトークになっていた。「改憲勢力」が圧勝した中で、今後の政局はどうなっていくのか。コメンテーターを交えた批評が続いていた。

そのまま、午前2時30分。まだ、山田の当落は判然としなかった。

「九州と山陰が開いているみたいだけど、東京と大阪はまだ開いていないな……」

 今野は、かなり気分を高揚させていた。これまで、幾つもの選挙戦を体験してきた。それでも、山田が比例区で立候補するというのは、驚きだった。何しろ、なんの団体や組織のバックもないのだから。

選挙の常道では、比例区というのは、組織票がある候補者のためのもの。長く大島九州男の秘書だった今野にとっては、それは常識だった。そこに、徒手空拳で挑もうというのだから、無謀ではないかと思っていた。

その山田が、確実に票を積み上げている。それまでの常識が一変し、自分が今までに見たことがない未知の出来事を、運動の担い手として体験していることに、今野は興奮していた。

【引退か落ち武者かと揺れ動く心】

確実に票は積み上がっている。どうにも尻のむずかゆい時間。ふと、会場にいた支持者の一人が山田に質問をした。

「もし、落選したらどうしますか?」

 率直な質問であった。

「普通の人……民間に戻って仕事をするんじゃないかな……」

「次の選挙は?」

「3年後に、出るかどうかは、わからない……。表現の自由はどうなってるのかも、わからん」

「もう、政治家をやらない?」

「落ちたら政治家は引退……コミケは今後も出ていきたいけど」

 支持者たちが、サアッと「どうするんだよ?」といわんばかりの表情になった。深夜の疲労で、誰もがすっかり思考力が落ちていた。ぼうっとした頭で、山田も頭の片隅で考えていたことを、ぽろっと漏らしてしまったのだと思った。

急に、どんよりとした、居心地の悪い空気がに包まれた。そのことに気づいたのか、山田はいった。

「続けるも続けないも……選挙の結果で……」

 いまだ、わずかな望みに運命を託しながらも、身体の疲労が緊張感を奪っていた。山田のトークも短く、言葉は乱暴になっていた。

 開票率の伸びに反比例して、次第に当選の望みは消えていきつつあった。数時間前の、拍手に彩られた期待も薄れつつあった。

 また、隅のほうで今野が呟いていた。

「おおさか維新から出ていればなあ……。最悪でも、日本を元気にする会に戻って、人数を揃えていれば……」

 私が、首を縦にふって相づちをうつと、今野は話を続けた。

「あれは、敵前逃亡だったよ……これだけの才能のある人なんだから人も集まる。なんとか、なって欲しかったなあ……」

 選挙のベテランとして、今野は早くも当選の望みは去ったと思っているようだった。けれども、秘書としての長い経験ゆえにだろうか、それを微塵も残念なこととは思っていないようだった。

この敗戦によって、すべてが終わるのではない。ここまで、期待させる候補者であれば、また復活する機会はあるはず。そのためにも、どれだけ票が積み上がるのかを見たい。今野は、そう考えていた。

【20万票に迫り、色気が噴出】

時計の針は午前3時45分を回っていた。気がつけば、山田個人の得票数は10万をはるかに超え、20万に迫ろうとしていた。もちろん、比例区では、それだけの得票をしても当選にはケタが足りない。ところが「政治家を引退する」といっていたはずの山田は、一転して、色気を見せる言葉を呟き始めた。

「20万票いったら一人政党……いや、そういう人なら欲しいという政党がいると思うんだよなあ」

 支持者から、声がかかる。

「福島みずほさんを超えてる……」

「福島さん、声がかかるだろうなあ。考えが違うんだよな、考えが」

 20万票が近づいた午前4時頃前になると、いよいよ山田は、不安や暗さを拭いさり、何かの期待を感じ取っていた。

「20万超えたら、色気が出てくるよ。落ち武者として生き残るか……」

 もはや、当選の見込みはないのはわかっていた。けれども、積み上がる票が、身体を疲労や倦怠感から次第に回復させていた。それは、単に得票数が多かったからではない。自分の考えたネット選挙の手法が完全に図を得ていたからだ。

 オタクをメインターゲットにする。そのために、大枚をはたいて借りた秋葉原の事務所。秋葉原を離れたのは、わずかに一日。名古屋と大阪のオタクが集まる街に演説に遠征した時くらい。

それ以外は、秋葉原を拠点に街頭演説。休むことなくリアルタイムでネットで呼びかけ続けた。Twitterで、自身の主張を開陳しニコ生で自分の声をダイレクトに有権者へと届ける。ネガティブな発言をも、危機感に置き換え、宣伝材料として支持者を煽った。

それが、果たして本当に上手くいくのだろうか。それは、大きな博打であった。もしかしたら、ネットのわずかな意見だけでなく、本当にオタクが揃って手のひらを返すのではないかという恐れもあった。

ネットでは勢いがあるとはいえ、実際に事務所を訪れてボランティアに参加したり、演説を聴きに来るのは少数に過ぎない。

 ……でも、自分の思い通りにチャレンジした選挙の手法は確実に成功していた。落選は確実である。まだやり残したことがあるのに、議員の職を全うすることができないのは辛いことだ。それでも、この得票数を利用すれば、与党でも野党でも下には置かない扱いをするだろう。

惜敗した有力候補。次回は、ぜひウチの党から出馬を……なんて話も来るだろう。それを、どのように利用して、自分の政策に実行力を持たせればよいのか。単なる落選者とは違う立場に、自分がなることはできるのだ。

 止まることなく、どんどん積み上がる票の数に、なおも興奮をしていたのは今野だった。

「自動車関係の労組の組織票は超えている。これは、電力関係の組織票に迫っているよ……」

 午前4時47分。最新の開票速報は、山田の得票数が20万票を超えたことを報じた。興奮している自分を見せてはならないとばかりに、山田は冷静になろうとしていた。

例え得票数が多くても、もはや落選であることに間違いはない。なればこそ、ちゃんと目を覚まして言葉を選びながら話さなければならない。明日からのためにも……山田はぐっと気持ちを引き締めていた。

「活動を続けたいが、どうしてよいのか、冷静に考えていきたい」

 冷静に考えようとしても、増える一方の票の数が、それを邪魔していた。

【参院選でオタクは怒っていたのか】

午前5時25分になると、ついに山田の個人得票は23万8,000票になっていた。その数字を見て、山田は自分を抑えきれなくなった。

「23万票って、確かにスゴイよね。コミケの会場近くで演説している時、帰り道を駅へとヴァーッと流れている人たちが、みんな投票してくれたんだ……正直10万ちょっとだと思っていたんだよねえ」

 身体を揺らして、どうだとばかりに口を開いてしまった自分に気がついて、山田は姿勢を正して、言葉を続けた。

「票の力を政治の力に繋げられなかったのは、責任を感じます」

 既に、事務所の磨りガラスの扉の向こうは、白くなっていた。山田の着ているシャツも、すっかりとくたびれていた。ウトウトとしている姿も混じる支持者たちは、この山田の言葉をどのように受け止めているのだろうかと思った。

 これまで、オタク向けの政策をアピールして当選することができた候補者というものは、一人としていなかった。山田もまた、その一人となった。

それでも、この驚異的な得票数は、今までの予め決まった敗北とは違うのではないか。それでも、ここまでやっても勝つことができない現実に絶望をしているのか……。

 ふと、荻野が後ろから話しかけてきた。

「オタクの人は怒っているんだよ」

「怒っている?」

「理不尽に扱われているという怒りだよ」

「理不尽に?」

「そう、理不尽に扱われている怒り……」

 磨りガラスを通して感じる朝の光に、痛いほど刺激されて、頭がうまく回らなかった。

 山田の得票の根源にあるのは、オタクたちの怒りなのだろうか。それは違うのではないか。本当にオタクは怒りを抱えているのか。

 長らく「マンガ・アニメの表現の自由」を取材した結果、それには疑問を持っている。マンガやアニメは、これまで幾度も低俗な文化だとか、犯罪の原因となる有害なものだとして批判をされてきた。

そうした発言や報道が出てくるたびに、確かにオタクは怒っているように見える。けれども、いまだかって本当に怒ったオタクが、なんらかの方法で決起したような話は聞かない。

 山田のほうを見ると、また山田は陽気に話していた。

「表現規制反対クン……として、ここまで名前が集まるなんて、正直に驚いてるよ」

 山田は、怒りの感情を巧みに利用したのではないと思った。現状の、マンガやアニメに人生の希望を見いだしている人たちの、もっと素朴で当たり前の願望を見いだし、そこに訴えかけたのだ。ふと、ずっと前に取材で旅をしている時に遭遇した出来事が頭に浮かんだ。

 それは、長野県の鹿教湯温泉へと向かう道中。私は、上田駅近くにある食堂・中村屋で、名物の馬肉うどんを啜っている時のことだった。

 隣の席で、傍目から長い付き合いだとわかる2人の老人が。世間話をしていた。話題が、最近の政治になった時に片方の老人が、こんなことをいった。

「この美味しい中村屋の馬肉うどんが、ずっと美味しく食べられるような世の中じゃないといけないんだよ」

「ああ、そうだよな。本当にそうだよ」

 どんな人生を送ってきたのだろう。互いに気心が知れた中に見える2人の老人は、なぜか感慨深げに、何度もうなずき続けていた。

 多くのオタクが山田に票を投じた理由。それは、山田がオタクに取っての馬肉うどんが、美味しく食べられる今の世の中を、ずっと続けようと呼びかけていたからにほかならない。

それも、自身もその美味しさを十分に知った上で。山田は、その一点でオタクたちの心を掴むことに賭けて、成功していたのだ。

【次の一手を目論む敗北宣言】

午前6時。すっかり夜は明けていた。

 山田は居住まいを正して、ついに敗北宣言を決意した。少し伏し目がちになり、山田は淡々と話した。選挙対策が遅れたことの反省。20万を超える得票を得ても勝てなかったことの悔しさ。

敗北宣言という外題に合わせて、山田は残念な気持ちを滲ませていた。けれども、その腹の内では、既に次にやることを考えているように見えた。

 ……民間に戻ることもやめて、政治家を引退することもやめて、まだまだ、この分野にコミットメントしていこう。まずは、片付けや引越を終わらせてから、すぐに動きだそう。そう思うと、どんどんとアイデアが湧いてくるじゃないか。

 次に向かっていくべき目標が、漠然と見えていた。だからこそ、今は、敗北を認めてお礼をいうのが、当たり前のことである。

「どんなに数字を稼いでも……しかし、みなさんの表現の自由を守るという声は伝えていかなくてはならない」

 そう。だったら、この熱が冷めないうちに動き出さなくては。貯金まではたいて、残念がっている時間なんてないのだ。

「一両日中に、どうやって続けるか冷静に考えていきたい」

 身体の内部からにじみ出る、新たなステージへと早く歩みを進めたいという思いが、身体に情熱を持たせていた。だから、立つ鳥跡を濁さず。この場をきちんと閉めよう。色んな思いの交錯する言葉を連ねた最後を、山田はこう締めくくった。

「政治家ぶってやるんじゃなくて、楽しくやりたかったな……」

 北海道から沖縄まで、全国合わせて29万1,188票。それが、山田に託されたすべてであった。

【泡沫候補から健闘した無名候補へ】

約29万票を得ての落選。

 これは、今までにあり得ない出来事であった。山田の得票数は、比例区で当選した民進党の小林正夫の約27万票、社民党の福島瑞穂の約25万票よりも多い。比例区では13番目の個人得票数であった。

けれども、比例代表制のルールでは、所属した政党名と候補者名の総得票数で議席の数が決まる。確かに山田の得票数は多かったけれども、新党改革全体の得票数は約58万票。

かろうじて青木愛の一人だけを当選させることができた「生活の党と山本太郎となかまたち」で、得票数は約106万票。その半分にも満たなかったのである。

 落選はしたものの山田は突如注目される存在となった。消滅が確実だった泡沫政党の泡沫候補が、個人で29万票を獲得した。それもネットを駆使して支持を集めたという目新しさが評判になったのだ。

ここにきて、山田を見る目は無名の泡沫候補から、健闘した無名の候補へと変わった。無名の人物が、目新しいことをやり遂げた時に、叩かれることはない。与えられるのは、賞讃だけである。

 参院選前、山田の知名度は極めて低かった。一般メディアにその名前が報じられたのは、維新に入党し、わずか2日で離党した椿事が記事になった時くらいである。そんな山田に対する世間の扱いは、文字通り手のひらを返したかのようなものだった。

 ネットを駆使したドブ板選挙で「ネットの人々は票にならない」というジンクスを覆した男。そのノウハウを知ろうと、与野党はもちろん有象無象の山田詣が始まった。

参院選直後の7月31日に投開票が行われた都知事選でも山田にネット戦略の教えを請いに来た陣営もあったという。11月には自分の選挙戦略をまとめた『ネットには神様がいる』(日経BP社)も出版した。

 そうした揉み手でやってくる人々を、山田は上手に転がしていた。

 それよりも、29万票という具体的な数字が、まだ熱を持っているうちに足場を固めようと急いだのだ。選挙が終わって、ひと月も経たない8月には目黒駅近くに事務所を借りて「株式会社ニューカルチャーラボ」を設立した。

この会社を使って「若者の消費動向や行動様式について、分析し、その結果に基づいて、政府や企業などに働きかけるビジネスを行うつもり」だと、山田は説明した。

 それと同時に表現の自由を守る党を表現の自由を守る会として存続させつつ、その有料版ともいえるオンラインサロン「山田太郎の僕たちのニューカルチャー」を開設した。

月額1,000円以上でメルマガの購読やオフ会などを実施する、いわば山田の後援会的である。月額の会員料金は1,000~1万円まで。この原稿を書いている時点で、会員数は382人。

 全員が月額1,000円を支払っているとして、月の収入は38万2,000円。何割かは管理会社の収入になるだろうから、政治活動の財源とするには、心許ない。いったいこれで活動を継続していくことができるのか。

 そう思っていたら、年が明けた2月には、新たに設立された「日本唯一のロボット開発設計会社」をうたう「ロボコム株式会社」の取締役に就任した。

自分の名前がもっとも説得力を持つ分野で、資金面での足場を固めつつ「マンガ・アニメの表現の自由」を守る活動を継続していく山田の構想は、参院選から一年を経てほぼ固まったのだろう。

 こうした山田の、ともすれば抜け目がないともいえる姿を見て、彼の本質は実業家なのだと思った。実業家にとって、まず大事なのは商品やサービスを買ってくれる顧客である。

自分の取り扱う商品やサービスを使ってくれるのであれば、その人物がどんな政治信条や宗教を信仰しているかなどは関係がない。

 まずは、自分が勧めるものを扱ってくれるかどうかが問題なのだ。だから、山田はいかに自分とは考えが異なる政党や政治家であっても、平気で繋がりを持つ。

そこで、自分の政策を取り入れてくれるかどうかが、重要なのだ。通例、政治の世界に足を踏み入れるものは、明確なあるべき未来を考え、一旦旗を立てたら動かないことが理想とされている。

 でも、山田は参議院議員のバッヂをつけていた時から、常に政治家ではなく山田太郎なのだった。実業家である山田には、理念はあるけれども理想はない。では、山田の理念はなんなのだろう。それは、青年期に思い描いた「世の中を自分の思うように変えたい」という意志を実現することなのだと思う。

だから、様々な問題に直面するために、自分の考える最適な解決策を提示し、それを実現するために動く。傍から見れば、各陣営の旗色を伺って右往左往する蝙蝠のようだと唾棄されるかもしれない。けれども、実業家がたまたま政治の世界に足を踏み入れたのだと考えれば、なんら間違っていることはしていない。

 その山田にとって、支持者、中でも大半を占めるであろうオタクもまた、一般的な政治家が考える支持者とは別のものに見えているのだと思う。山田にとって支持者とは、自分が政治という「事業」を行うにあたって募った社員のようなものである。

これまで、多くの会社経営者にも取材をしてきたが、会社を立ち上げて成功するにあたって、もっとも欠かせないのは社員を動かす能力である。頭脳は明晰、アイデアも人脈もある。そして、カリスマ性もある。そんな人物が社長の企業でも、決してうまくいくとは限らない。なぜなら、1日の時間は人類に等しく24時間だけ。その中で、一人ができることは限られている。

 だから、社員を雇い仕事を上手く分担して、初めて会社は回る。いくら、社長が優秀な人物でも常にオフィスが殺伐としていたり、商売が上手く回っているとは思えない会社も、いくつも見た。そうした会社の社長の共通項はひとつ。社長が優秀な自分と同じようにできない社員を見下して「なんで、俺ができるのに、お前はできないんだ」と、始終怒っている。

できないなら、できないなりに、上手くおだてて、こなせる仕事を与えて、やっと会社は回り出す。

 そこまでして、毎月の給料を支払っても、なお社員が社長を尊敬したりはしない。同僚だけになれば、自然と上の立場の者への批判や愚痴は出るものである。そんなのが当たり前の世間に生きていたからこそ、山田は、移ろいやすい支持者たちにも腹を立てない。

不安になりそうな支持者の顔ぶれをみても、Twitterでの拡散など、できないなりに仕事を与え、最終的に自身の利益へと結びつけているのだ。耐えず続く、自分の選択が本当に上手くいくかどうかの不安も、自分の理念への自信と同道する実業家の宿命なのだ。

【29万票の金利生活から新たな投資へ】

では、都議選を前にした署名の数に、山田は何を考えたのか。参院選に続き、再びオタクの移ろいやすさに直面し、不安な気持ちに苛まれたのだろうか。

 山田は、署名の数字に動揺するのではなく、もはや29万票の金利が終わったことを直感し、すぐに新たな経営戦略を模索していたのだ。

 都議選も終盤にさしかかった6月29日の木曜日の夜。坂井から電話がかかってきた。

「土曜日なんですけどね。自民党が秋葉原で選対本部長の古屋圭司衆議院議員に、ビッグサイト会場問題や表現の自由について演説するんですよ」

「へえ……」

「山田が手はずを整えてね。取材に来てくれませんか?」

「いや、私、土曜日は甲府の友人に会いに行くんですよ」

「え、都議選が佳境なのに?」

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