しずかちゃんが黒ベエに犯され喰われる。真のパロディ作家:エル・ボンデージの底知れぬヒロイン愛
【作者註】過去記事としてアップしたのですが、読み直しているうちに、もっとちゃんと書かねばと思ったので、近々改稿します。
エル・ボンデージ氏のTシャツは常に本人の「好き」を現している。
ヒロインに対する愛は、縛り、犯し、喰らうという表現で昇華される。それは、果たして「異常」なのだろうか。
2015年12月に40周年を迎えたコミックマーケット。29から30日まで開催されたコミックマーケット89の最終日、三日目はいつものように男性向け=エロを主題として同人誌が溢れる日であった。コミックマーケットで頒布される同人誌には、思いも寄らなかったマニアックな内容のものが、数多と存在する。
エロというジャンルに限っても、世の中には様々な性の嗜好があるのだと実感させられる。
今回、コミケ89の三日目をレポするにあたり、全体像を報告することをやめて一人のマンガ家に焦点を絞ってみようと思った。
エル・ボンデージあるいは、その旧名・牧村みきというマンガ家の名前と作品を鮮明に覚えているのは、どんなに若くても40歳よりも上の世代のオタクだと思う。
既に商業誌、単行本で作品が発表されなくなって長いがエル・ボンデージは夏冬のコミケに必ず出展し新作を発表し続けている。彼個人によるサークル名は「被縛社」。なにやら不穏当な名称だが、発表される作品に描かれるのは、それ以上のものだ。
今回、コミケ89で頒布された新作同人誌は、『人喰族』(1984年のイタリア映画)と、藤子・F・不二雄の『ジャングル黒べえ』と『ドラえもん』を掛け合わせたパロディだ。作品の中で人喰族によってジャイアンは生きたまま脳みそを食べられ、スネ夫は吊られ、のび太は釜で茹でられる。
そして、しずかちゃんは、黒べえによって「黒べえ、犯した人間、食べる、はりきる」と頸動脈をかみ切られて内蔵をひきづり出されて喰われる(オチのドラえもんは、さらにヤバい)。
この短編の後に収録されたイラストでは、まいっちんぐマチコ先生が縛られ、トト子ちゃんが六つ子に輪姦され、ラムちゃんも弁天も縛られる。
もちろん、コミケに出展される同人誌を見渡せばヒロインが酷い目に遭っているエロマンガは、いくらでも見つけることができる。そうした中で、エル・ボンデージを評価するのは、80年代から一貫してヒロインに同様の、いやもっと酷い行為を商業誌でも描き続けて来たことにある。
その頃の作品を、現代に商業誌に掲載することは相当の困難が伴うだろう。『由利ちゃんの逆襲』(1983年 久保書店)所収の「完全なるルパン三世・カリオストロの城」は、ルパンたちが「俺達が助けに行ってやるからな」と走るが、まったく間に合うことなく、最後のページになってもルパンたちは走っているだけで、クラリスは凌辱し尽くされているという作品だ。
でも、この作品はまだソフトなほう。忘れもしない筆者が最初に手にした『由利ちゃんの最後』(1987年 久保書店)所収の連作「ひよこをめぐる混乱」では、『ダーティペア』のケイが、酷い拷問で発狂し、クリィミーマミが、縛られて監禁され死亡する。
ほかの作品でも脈絡なくマジカルエミや小公女セーラが縛られるし、同じく所収された「異邦人」では「私はキエフで被曝した」と語る主人公が『ダーティペア』のケイに「被曝したザーメンを一滴残らず、その美しい口で受け止めるんだ」という表現が飛び出す(註:筆者は、この単行本を中学生の時に読んでしまい寝込みました)。
こうした作品を現代の商業誌に掲載することは、ほぼ不可能だと思う。もちろん80年代当時でも、まったく問題なかったというわけではない。
「ラムちゃんが、まずかったのか。小学館から弁護士がやってきたので……。一旦、出版社が絶版にして作品を差し替えたんです」
80年代の単行本に「改訂版」が数多く存在する事情を尋ねた筆者にエル・ボンデージは、当時を思い出しつつ語ってくれた。
でも、筆者が聞きたいのはそこではない。商業誌からは姿を消しても、エル・ボンデージはずっと、執拗に木目の描かれた背景で、縄を用いて、拘束されたヒロインを描き続けて来た。それも決して流行の作品ではないものばかりを。
「愛情表現といえば、かっこいいですけれど、実は自分のヌキネタなんです」
既に歴史の一ページになりそうなヒロインや、流行とは一線を画すヒロインを執拗に描き続ける理由を尋ねた筆者に、彼はそう答えた。
長崎県に生まれ、大阪芸術大学映画学科を卒業した経歴を持つエル・ボンデージが、最初に性を意識したのは、ヒロインではなく鉄腕アトムだったという。
「なにか、艶めかしさを感じました。その後、明確にセックスをしたいと思ったのはサファイアでしたね」
そう語る姿は、なんのてらいもなく実に楽しそうだった。「初体験」の話に限らない。自らが作品の中で酷い目に遭わせているヒロインたちのことをエル・ボンデージは、自分の彼女を惚気て話しているかのように楽しそうに語るのだ。そう、なにかが憎くてヒロインを酷い目に遭わせているのではない。描かれているのは、すべて自分が好きになったヒロインなのだから。
「結果的に、こういったヒロインを描いていますが気に入ったヒロインがいたら、誰でも描きます。考えるよりも描きます。でも流行のヒロインは、ほかの人もやってるから……」
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