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瞑想を楽しむには:無の境地を目指すのではなく観察者を育てる

私はなるべく毎朝、瞑想をすることにしている。平日は10分ほど、週末はもう少し長めにする。かつてはこの10分がとても長く感じたが、最近は気分が良くなるのでつい延長してしまうほどだ。
 
これを読んで「気を散らさないで無の境地になっているのだろう」と思う方もいると思うが、実際は気が散って雑念がわきまくっている。ではなぜ気分が良くなるのか?それは瞑想をするときに、雑念を追い払って無の境地に達することを目標にしていないからだと思う。
 
私の尊敬する精神科医の神田橋條治先生は「脳とはフワフワするものである」ということを書かれていた。つまり脳は雑念がわくようにできているのだ。たぶん進化の過程で雑多なことをフワフワと考えることが生存の確率を高めていたのだろう。だから雑念がわく脳は健全な脳なのだ。
 
では何を目標にしているのか?それは観察者を自分の中に育てることである。心理の仕事をしているが、心の安寧には感情のアップダウンがないことではなく、そのアップダウンに飲み込まれないことが鍵になることを理論としても経験的にも知っている。
 
普段は冷静にみられる私だが、かつては不安や落ち込みに飲み込まれていた。瞑想だけではなく、セラピーや人生経験を通じてそれを眺める自分が育ってきて、前よりもそういう波とうまく付き合えるようになってきた。
 
そして瞑想は観察者を育てるためにとても良い訓練となる。「あー、また雑念がわいてきた!」、「あー、それにイライラしている」と自分の中で起こっていることを追っていくと、自然に冷静になって気持ちが落ち着いてくる。最近は雑念がわいてくることに気づくと、「わー、雑念に気付けた!観察者が育っている✨」とむしろ喜んでいる。だから瞑想は楽しい。

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