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映画自評:小津安二郎「秋刀魚の味」を「鱧」と「秋刀魚」から読み取ってみる。

九条シネ・ヌーヴォで「生誕120年 没後60年記念 小津安二郎の世界」と称し小津安二郎監督作品の特集が組まれている。そうそう大画面で観る機会なんてないだろうから急いで出かけて観に行った。
実は小津作品を観たことがなかったのである。どうも食わず嫌いなところがあって、醸し出す雰囲気から避けていたのだ。w

一つしか見ていないが、「秋刀魚の味」は彼の遺作となった作品だそうだが、この作品が彼の作品に共通するリズム感ならボクはチョット他の作品も肌が合わないだろう。



さて、小津作品にネタバレゴメンの事前告知は必要であろうか。内容に面白味がないという意味ではない。ストーリーにどんでん返しがあるわけでもなく、真犯人がいるわけでもなく、内容が分かっていても見せ方や、見た後の余韻が小津作品の特徴であるような気がするからそう指摘したまでのこと。

小津作品を今の現代から見て、恐らく今の映画監督が影響を受けたのであろうと思われる編集技術、撮影の技術での影響を与えただろうショットが随所に見られた。専門家ではないので専門用語での指摘ができないが、今の映画でよくみられる画区割りがこの映画でもよくよく使われているように思われる。
ただし、ボクは映画歴史専門家ではないので、小津が最初の技術的な開発者かどうかは分からない。w(笑って胡麻化すしかない)

「秋刀魚の味」というタイトルであったが、秋刀魚そのものは出てこなかった。
何を象徴しているのだろうか。
映画は高度成長期を示す工場の煙突からの煙を映し出すところから始まり、途中に戦争に負け、海軍で一緒になった部下と共に飲み軍艦マーチを幾度となく聞くシーンと戦争にまけて良かった云々というシーンがある。更に、同級生は高度成長期の波に乗り皆がいい生活を送っているようだ。
主人公は奥さんに先立たれている以外は順調な人生を送っているようだった。
それも同窓会で昔の先生と再会するまでは。

ここからを起点に主人公の考え方が一転し、行動も一転し始める。

彼の呑み会は、後半のスナック以外は、同級生との普段使いのカウンターのある店の個室と結構よさげだ。
先生の住居を知った後から場末のスナックも加わり、周りの人たち、先生の現状の生活レベルを肌で感じるようになり、社会の発展と庶民の生活レベルの差を身をもって知るようになって来たのではないだろうか。

「鱧」と「秋刀魚」の差があることを気づくことになった。
それが、先生との付き合いの中で「教えてもらった」ことではないだろうか。
先生を招待し、「鱧」を知らなかった先生を小ばか(主人公はしてないが)にしたが、秋刀魚の生活をしている先生に再びあること(孤独について)を教えてもらって行動に移し(娘に対し)、それはそれで正しいことをしたが、自身の孤独については対処ができておらず、肩を落とすしかなかった。

恐らく主人公が秋刀魚の味を知らなかったはずはなく、忘れていて料亭三昧だったといいたいのだろうか。高度成長期の大企業の役員連中や旧態依然の制度を批判しての庶民の味の代表秋刀魚を象徴的に出したかったのだろうか。
旧態依然の制度への批判とは、家長制度、娘が親のために犠牲になるのは当然で親も兄弟ですら女性が家事を担当するのが当然とするのを疑問と思わない女性蔑視。そのために先生の娘のように人生を親のために棒に振ってもそれが人生だと思うのが日本での生き方だと。
鱧が食べられるようになったが、生き方そのものは変わらない。そういったその時代が変わったが、生き方、考え方が変わっていないことへの不満、批判がタイトルに表したのではないかとボクは考えている。

一方、女性はどのように描かれていただろうか。
娘役の俳優はキリリと美しく、旧態依然とした価値観を持ちつつも、自己主張ができる現代っ子タイプ風で女性の未来を予感させる(当時基準から)。ただ、自由恋愛を諦め嫁入りの時には昔風のままで家を出たのが、まだこの時代の女性の行動限界だったのであろう。
また、長男の伴侶もこの時代の先端風だ。言いたいことはハッキリ言い。旦那を尻に敷く。必要ならば、旦那に家事をさせることもあれば、遊ばすこともある。
女性を通して、時代の変化を感じつつある。

映画は、時代の変化と価値観の変化。それに対応できる人と対応に戸惑う人。変化に気づく人と変化に気づかない人。それらを明確に映し出している。
静かに流れる映画テンポで進められるが、過酷な現実が最後に突き付けられ準備していない老後の厳しさを知る。

追:セリフに「同じ言葉を繰り返し言う」という箇所が随所に見られた。多少不自然にも感じられたが、会話のテンポを産むためだろうか。


話は変わるが、前述したが当映画は大阪九条のシネ・ヌーヴォで観た。
九条シネヌーヴォの上映映画のチョイスは中々渋い。大阪ミニシアターの中でも老舗のミニシアターで、外観の芸術性も高い。このようなミニシアターが存続することが映画芸術には欠かせないので、本当の映画ファンはミニシアターにこそ足を運ばなければならない。


勿論そこでチョイスされた映画たちも低予算で制作された映画が多く、少しでも多くの人に観てもらうことで制作側に活気をもたらすことができる。
是非興味がある方は足を運ぼう。


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