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映画から見た米国の表面化しない意識問題

「レッド・ロケット」を観て新たな差別的「感情」問題があることを知らされた。差別的「感情」問題と言っているところに着目してほしい。
映画の設定では「嘘をついたこと」「だけ」なのだが、かつて軍に所属し国に奉仕していなかったことがバレて噴水に投げ込まれる惨めな男がいた。
ポルノスターよりも軍の古着を着て、軍に所属し勤め国に尽くしたと嘘をつく男を蔑む方が米国では受け入れられるのだろう。
これを差別と言っていいかどうかわからない。
しかし
米国には、軍に所属したことがあると噓がばれるとエライ目に合うことがあるかもしれないのに嘘をついてでも軍の服を着る人がいる問題。
これは存在しているようだ。

問題の本質をとらえきれてない。

結局何が言いたいのか。
自分も軍の卸の古着をお気楽に着て、迷彩柄を好んでデザインで選んでいたりするが、本当は結構ナイーブな問題でしょ、って。

軍の古着を着ることが同じであっても、意味合いの重要度が全く異なる米国と日本。

ポルノスターは、ポルノスターであることに関して嘘をついていない。それに関して矜持を持っているようだ。対し、軍に所属していたかどうかに関する嘘に対しては許せないようだ。どうやら、周りの価値観も同じように思える。そして、その嘘に対する成敗は仕方ないと考えてるようだ。そして、この成敗は差別ではなく嘘をつく人への罰則なのだろう。

対して、今や軍服がファッションにしか見えない国、日本国民。軍服をファッションにして普段着で着ることで問題の本質からむしろ遠ざけてしまっていることに無頓着でいられる。
話は飛ぶが動物を愛護するために革製品を避けるように、戦争を避けるように街中から戦争ファッションを避けようという動きがチョットでもあればいいと思う。リサイクル・リメイクという屁理屈を言うならば、軍内ですればいい話。

話しはイマイチまとまらなかった。w
ただ、映画を見て思ったことを思った時に書いておきたかった。

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