プロレスラーの凄さを知らされてしまった空手家佐竹雅昭
総合格闘技の試合で、思いきりプロレスラーの凄さを知らされた空手家といえば佐竹雅昭が日本の歴史の中では圧倒的に有名な存在だと思います。
彼はプロレスラーにガチで遊ばれてしまった悲劇の空手家です。
戦後の日本の格闘技界で、絶大な勢力を誇った大山倍達 が設立した極真会館。
その中でも空手をただの殴り合い、蹴りあいの武道から、相手の技を捌くことでカウンターを狙うことを確立したのが芦原英幸です。
彼は極真空手を追放されると、彼は芦原会館を設立。
極真空手の初期の分裂騒動といって良いでしょう。
この流派で、教えるのと、ビジネスが異常に上手かったのが、後に独立して正道会館を作り、K-1で立ち技世界最強決定トーナメントを開くことになるのが、石井和義です。
佐竹は正道会館のエースとして、K-1グランプリに何度も出場しましたが、日本代表を決定するジャパントーナメントでは敵なしでしたが、世界大会ではあまりにも成績が酷かったです。
元々は正道会館の選手がK-1で優勝することで、自分の道場を増やしたかった石井と佐竹の関係は良いものではなかったようです。
このビジネスモデルの失敗がK1の最大の失敗といえると思います。
結局はK1で儲かったのは、空手の道場ではなく、キックボクシングのジムとなりました。
さて佐竹がプロレスラーの凄さを知ることとなった話を書きます。
1999年K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦で、佐竹は正道会館の若手のホープである武蔵と対戦することになります。
佐竹は武蔵からダウンを奪い、終始武蔵を圧倒しましたが、なぜか疑惑の判定で敗北。
ピーター・アーツの師匠であるトム・ハーリックや、アーネスト・ホーストの師匠であるヨハン・ボスも、この判定はおかしいと抗議をしましたが、佐竹はグランプリファイナルに行けませんでした。
石井の中で、これからは武蔵でビジネスを動かす構想が決定した瞬間です。
これに対して、佐竹も黙ってはいられません。
納得ができなかったのです。
佐竹はK-1を離脱して、キックボクシングの世界から総合格闘技のPRIDEと契約します。
当時PRIDEでは、アントニオ猪木が自らがオーナーを務める新日本プロレスから、総合格闘技に向く選手を退団させて自分の個人事務所の所属にしたり、オーナー権を発動して新日本プロレスの選手を続々とPRIDEのリングに上げていました。
これは当人が異種格闘技戦が好きだったこと。
PRIDE1とPRIDE4で、当時プロレス界で最強と言われた高田延彦が、ヒクソン・グレイシーに連敗したことで、プロレス業界が下火になっていたのが大きかったと思われます。
PRIDEとの契約記者会見の場にいたアントニオ猪木に佐竹はこう直訴します。
身体の大きいプロレスラーと試合をさせてください。
彼は自分の空手の技術が、どこまでプロレスラーに通用するのか、実戦でもって試したかったのです。
いくつかの査定試合の末に実現したのがPRIDE11です。
対戦相手は猪木が社長を勤めるUFO所属の暴走柔道王小川直也です。
小川直也は高校生から柔道を始めた遅咲きの選手です。
しかしその驚異的な身体能力を発揮し、世界選手権無差別級で3度の優勝と、バルセロナオリンピックで無差別級で銀メダルに輝くと、猪木に誘われて新日本プロレスに入団。
初代タイガーマスクで修斗の創設者である佐山聡 、UFC王者でマーク・コールマンに1度負けた以外は完璧な総合格闘技の成績を誇り、猪木の引退試合を務めたドン・フライ 、そのドン・フライにUFCの決勝で戦ったブライアン・ジョンストンらに、総合格闘技の手ほどきを受けた日本のプロレスラーの中で、最も才能があると噂された猪木の秘蔵っ子でした。
彼は凄まじい肉体改造をものともせず、全く違う姿の格闘サイボーグとして新日本プロレスの会場に登場。
まるで別人。
当時4度にわたる新日本プロレス最強のベルトであるIWGPを最長期間保持した橋本真也をボコボコにして引退させてしまっていました。
その強さは出鱈目で、脚本のあるプロレスのリングでは試合が成立しないほどでした。
このような背景で開催されたPRIDE11のテーマは、日本古来からの格闘技である柔道と空手のプライドを賭けての決闘として注目を集めます。
日本の空手王と、日本の柔道王の異種格闘技戦です。
新日本プロレスとK1をそれぞれ離脱した2人がPRIDEで代理戦争をしているような状態でした。
佐竹は、当時のPRIDEでホイス・グレイシーを倒した桜庭和志が所属する高田道場で、連日小川直也対策の修業をします。
逆に小川直也は、極真空手の元ナンバー2黒崎健時の弟子であり、日本人初のムエタイ王者だった藤原敏男の下で打撃の強化を行います。
下馬評では、無差別級世界最強の柔道家である小川直也が、寝技に持ち込めば、1Rで佐竹は負けるというのはファンの予想でした。
しかしなんと1Rでは、打撃で佐竹が小川を圧倒します。
佐竹のローキックがじわじわと効いてきて、小川の足が徐々に紫色に腫れれていきます。
小川は柔道の技が全く使えません。
空手ってこんなに強かったのか!?
会場が驚く瞬間です。
佐竹は小川よりも強い。
佐竹は小川が倒した橋本真也よりも強い。
やはりプロレスラー高田延彦のように、プロレスラー小川直也も実は弱かったのか?
ガンバレ!オガワ!
しかし1Rが終わるとセコンドの藤原が小川にこう叫びます。
殺シニイケェエエエエエエエ!
2Rに入るとスイッチを切り替えた小川直也は突然真の力を発揮します。
佐竹をあっさりとグランドに引きずり込むと、2R 2:01 スリーパーホールドで完全に勝利します。
勝利した小川は自らが所属するUFOの名前のように、宇宙人のような強さの俺様が来たぜと観客にアピール。
そして勝利者インタビューで衝撃の一言。
「応援してくれた皆様ありがとうございました。打撃で勝とうとしたのは馬鹿な考えでした」
なんと小川直也は真剣勝負であるPRIDEの世界で、1Rはあえて佐竹の強さを引き出して観客を楽しませるためだけに、打撃戦のみで佐竹に対応していたのでした。
佐竹ごときの空手なら、彼は負けることはないと確信していたわけです。
つまり小川の中では、1Rは真剣勝負ではなく自分の中の台本通りのプロレス、佐竹だけが真剣勝負をさせられて踊っていたに過ぎなかったわけです。
佐竹は小川に潰されてしまい、総合格闘技の世界を1勝8敗1分で引退します。
この試合はニコニコ動画にあります。
試合を最後まで見れば、プロレスラーに空手家が遊ばれていたのがわかります。
佐竹の唯一の勝利は、小川と試合するための査定試合、小川の弟弟子の村上一成との試合のみでした。
プロレスラーの凄さを最も知っている空手家は、PRIDE11で大恥をかかされた佐竹でしょう。
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