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2024/03/06 BGM: Yellow Magic Orchestra - 千のナイフ

今日は休みだった。今朝、ついに沢木耕太郎の旅行記『深夜特急』を読み終える。実を言うとぼくはめったに旅行を楽しむことはない。というのは旅行はそれこそ常に急な、劇的な日々の変化を楽しむだけのゆとりと器用さがないといけないからだ(そして、発達障害者のぼくにとってそんな「臨機応変さ」は喉から手が出るほど欲しいものだ)。でも、この沢木のすばらしい旅行記はたしかにどこかに行きたくさせられるだけの力(魔性、と言っても過言ではないだろう)を備えている。でも、このこともまた考慮しないといけないはずだ。沢木はついに彼の方向性を見出す。自分が行きたいところ、やりたいこと。あてどもなく旅を続けること、永遠に旅し続けることはできない(この人生がそうであるように、なんだって終わりはある)。なら、このぼくの人生の終わりとはどこなのだろう。

午後になり、前もって約束していたキルギス共和国の友だちとWhatsAppを通じたボイスチャットに興じる。このオファーはぼくから申し出た実に突発的な・急なものだったのだけれど彼女は楽しんでくださったようでとてもありがたい。英語を使って(彼女にとっても、こうした場で使う英語は練習になると言ってくれた)、ぼくたちはさまざまなことを40分ほど話した。最近どんなことをやったか。どんな本を読んだか。地震が日本で頻発しているということや、新生活に関するぼくの願い(いや、いまの仕事を辞めてしまうつもりはないのだけれど)。話す前はとても緊張してしまい、逃げようかとさえ思った。でも、楽しめた。ああ、人生そんなもの。

終わったあと、グループホームに戻った。そしてそこで、ただだらりだらり、のんべんだらりとベッドの上で寝っ転がって過ごす(佐伯一麦『麦の日記帖 震災のあとさき 2010-2018』を読み進めた。この日記もまた実に面白い)。夜になり、断酒会に行く。そこで、ぼくは体験談の告白をした。今週どんなことがあったか。日曜に英語研究会に行き、昨日英会話教室に行った、といったことだ。

呑まれていてヘロヘロだったころ、ぼくは人生にクソ真面目に絶望していた(変な表現だが)。退屈極まりない、夢も希望もない人生が「終わりなき日常」(宮台真司)として延々と・ダラダラと続くだけ。それを変える力もぼくにはない――とも思った。八方塞がりだ。でも、人生は変わったのだと思う。ぼくが変えたのだ(いや、世界を変えたわけでは無いにせよ)。会長が、ぼくの体験談を褒めてくださった。彼は本を読むことが性分としてできないので、ぼくみたいな読書に興じる人のことをすごいとおっしゃった。でもぼくの観点からすればその会長がまさに偉大な人だ。いつもこの会/グループをすばらしい方向に導いているから。どの参加者の方もぼくにとってはすごい。だから、この会から確かに学べていると思う。それがありがたい。

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