僕はすべてを失えるんだ
どうも、くるくる坊主です。
早速、本日のお話をさせていただきます。
合掌、なんまんだぶ、礼拝
🙏🙏🙏
この世界には、さまざまな言葉が満ちあふれています。
ガンジス河の砂の数ほどの中には、ふと無意識的に「仏さまの心」が備わった言葉があるのではないか。
そんな言葉を「なもフレーズ」と勝手に名付けさせていただきます!
歌から、本から、映画から、全方位で。
ぜひ仏さまのように優しい目で、お付き合いくださいませ。
今回の「なもフレーズ」はこちらです。
いきなり個人的な話をさせてください、すみません。
私は大学生の時に、この歌に出会いました。
ちょっとだけ人生が変わったと思います。
そして今も変化をもたらしてくれていると感じています。
つまり私にとって大切な歌です。
語り始めるとエンドレスかもしれないので、個人的な話はここまで(笑)
私はこの「なもフレーズ」(まだ使い慣れないです)に、
親鸞聖人のご自身への厳しさ、そして仏さまへの思いを重ねて受け取りました。
目の前で悩み苦しむ人がいるとする。
そんな時、手を差し伸べるたった一かけらの勇気があれば、
何とかしてあげたいという、ほんとうのやさしさがあれば、
あなたを思う本当の心があれば、
私はすべてを失えるのでしょう。
ただ
本当は、ほんとうはどうか?
目の前で悩み苦しむ人がいたとしても、
手を差し伸べる、たった一かけらの勇気があるのか
何とかしてあげたいという、ほんとうのやさしさがあるのか
あなたを思う本当の心があるのか
とても全てを失えはしない
人間(親鸞)はこれだよ、ということ。
人間(親鸞)にはできないよ、ということ。
じゃあ目の前で悩み苦しむ人に対して、すべてを失える方は誰か?
人間にはほんとうのやさしさはない、残念ながら。
悩み苦しむ人(私)にほんとうのやさしさで寄り添ってくださる方。
それが私にとっての仏さまではないか。
私はこの「なもフレーズ」に、
親鸞聖人自身(ひいては人間)への厳しさ、
同時に阿弥陀如来のほんとうのやさしさ(慈悲と言い換えてもいいのかも)
を感じさせていただくのです。
本日もお参りいただき、有難うございます。
合掌、なんまんだぶ、礼拝。
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