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寝台特急おしいれ号(2608字)

「鹿児島線経由で鹿児島まで参ります特別急行はやぶさです」
寝台車っていうのは、カーテン一枚で社会から隔絶されるだけなのだが、あのカーテンというものは、相当に分厚い。
支持率が15%を切っても平然と地位にとどまっている首相の面の皮ほどの厚さだ。
そのくせ、社会という現実はすぐそこにある。
夜という特殊性もあり、少し隠微な香りある。

子供というのは、現実離れするほどの豊かな想像力と感受性を持つ。
そのむかし押入れのものを全て出して中に布団を持ち込んでみた。
体を起こすことがギリギリ。
おおよそ客車3段B寝台と同じ。
ただし幅はそれよりも広く、前後にも長い。
これはすでに電車ごっこの範疇であったが、停車時間で自分の行動を制約すると、雰囲気だけでも味わえるものだ。
「お前は押入れで何やっとるの」と家人には言われたが、旅行など連れて行ってもらったことのない子供には押し入れすら非日常だった。

と言う話をある日妻にしてみた。
それは何、押入れで寝てみたいって話なの?と直球が来た。
「今はさ、ツインっていう寝台もあるんだよ。2人で乗るか、はやぶさに」
「還暦すぎて電車ごっこをやりたいわけね。1人でやりなさい、そんなこと」
「まあそういうなよ。少しは旅に出た気分になれるかもよ。やる前から言い切るなよ〜」
「いや、電車ごっこでしょ、だから」

押入れを空にした。
娘は結婚の際大半の荷物を片付けていったので、衣装ケースがいくつかあるだけで、作業はあっという間に終了。
「で、私たちはどこへ行くの」
「どこへ行きたい?どこでもリクエストは受け付ける」
「北海道かなー」
「それはダメだ、新しすぎて夢がない。九州にしろ」
「なんやねん、それ。長崎でも行くか」
「じゃあさくらだな」
「そうなのね」
「お前は上な」
「はいはい」
妻は呆れているが、気の持ちようだと口をすっぱくする。
途中下車OKだしね。
「21時10分発だからな」

「もう寝るね。押入れで」
「押入れいうな、寝台特急なんだから。気分が大切だと言ってるだろ」
妻はそそくさと押入れ、いや三段寝台の二段目に乗った。

「ねーねー」
「は、なに」
「わたし夜行列車なんて乗ったことないし、もちろん寝台車なんて乗ったこともないけれど、あなた、乗ったことあるの?」
ああ、おれの話を聞いてない人だなあと思いながら、過去急行銀河に乗った時の話を再度した。
「ごめん聞いたことあったな」
覚えていたようだ。
「なんかいい夢見られるかな」
期待して寝るのがよろしかろう。

この列車、京都、大阪の順に止まります。
明朝は徳山、小郡、宇部に止まって参ります。
早朝に降りられるお客様は、到着時間にご注意ください

おやすみなさい、と車掌のアナウンスを聞きながら、目を閉じる。
少しだけいつもと違う夜。
初めてラブホテルに泊まった時の気分にも近い気がするし、両親の子守唄を聞きながらまどろんでいた記憶がわずかに見えた気もする。

「こうちゃん、よう寝とるわ」
「起こさんように帰るのがなかなか大変。起きるんだわな」
そんな声が聞こえてくる。
たぶんおふくろの声だ。
車に乗せられてそのままエンジン音とタバコの匂いが入ってくる。
運転手は誰なんだろう。
オヤジだろうか。
押し黙ったまま家に着いた。
目を開けると家だった。とりあえず泣いてみた。
「やっぱり起きちゃったにー」
いや、起きたのは還暦のおれか。
夢と現実がシンクロしてんのか?
上の寝台のお客はぎしっと寝返りを打ったようだ。
ゆか、抜けたりせんだろな。
窓の外を見た。
米原だった。
さくらって、米原で運転停車したっけ?
妄想をふくらませながら、また眠りに落ちる。
現実の急行銀河では興奮して寝られなかったが、特急押入れさくら号はよく寝られるな。

今度は足から血を流している。一塁に滑り込んだら足切っちゃったんだよ。
でも痛くない、夢の世界だからか。
いや、この記憶の中でも痛くなかったと記録されている。
「医者行くんだよ!はよ!」4針縫われた。

「戦争だ!」
子供は時としてまったくくだらないことをする。
二手に分かれて、ロケット花火を打ち合うのだ。
ひゅーーー!ひゅーーー!
当たりはしなかったけれど、なぜあんなくだらないことをしたんだろう。
くだらないと知ったから大人になれたのか。
それもくだらない気がする。
火遊びしたせいか、トイレが近い。
「あ、お客さんもトイレですかい」
上の客も起きてたか。

キッチンで椅子にすわりこんでみる。
ちょっとだけ違う気分。
「はあ、子供の時の夢見たわー。懐かしい」
「ふふん」
下段の客はコーヒーを注文してやると、上段の客が持ってきた。
寝ぼけた顔の中にあどけなさが見えているような。
いや、寝起きだから。
寝ぼけているのだろう。
「これ、疲れてる時はいいかもしれない。気分転換にはなるかもしれない」
なれてしまえば終わりかもしれないが、それはそれ。
元手がかかるわけではない。
「思い出って、いいことばっかりじゃないんよね。心に残ってる辛い思いとか、心に引っかかったままのことが思い出されたりね。過ぎたことだったり何かにおきかえられたり、結局は夢なんだけどさ。なにかね、自分の心を再確認した気がするんだ」
「そうかー。意外な効果だったな」

「でもなんだか心はスッキリしてる。過去のことだからだろうな」
「色々考えたんだな」
「寝てたの10分くらいだわ。目が覚めたら少し涙が滲んでたよ。おばあちゃんのこと思い出してね。なーんにもしてあげられなかったことが、引っかかってたんだろうな」

非現実を体感するって、頭の中にも影響を与えるのかな。
2人とも昔の思い出を思い出したというのは単に偶然なのか、冒頭に書いた寝台車というものの特殊性が、人の記憶の特定の場所を刺激するのかも。
いやあ、偶然だろうな。

お客さん、そろそろ食堂車消灯しますのでおやすみください。

無粋な車掌め。
「寝るか」
「そうだね。まだ夢の続きは見られるのかな」
「結局は心持ち次第じゃないかな」
列車は神戸駅を通過したところ。
先発の姫路行きを追い抜いた。

「明日の朝は食堂車に6時半集合な。フレンチトースト食おうよ」
「それは下段のお客さんが焼いてくれるの?」
「食堂車だから、ちゃんとプロが焼いてくれるだろ」
「そうか。楽しみだな.じゃあ早く寝なきゃな、コックさん」
かなはウインクして寝台に帰って行った。

疲れた大人はたまには大人を捨てたほうがいいかもしれない。
大人を捨てても子供は中に残っているから。
大人は子供の上位互換でしかない。

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