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責任とは、説明しつづけること

「リーダーとは責任をとる者」という表現は、あらゆるところで目にします。

しかし、具体的に「責任をとる」とはどういうことなのでしょうか。

私はこれまでずっと、非難を正面から受け止めることだと思ってきました。

上のせいにも下のせいにもせず、自分の誤りのせいで起きたことだと自覚し、頭をさげることだと。

でも最近、ただ自分が悪いというだけでは不十分なのではないかと思うようになりました。

例えば、記者会見で「すみませんでした」と謝り続けて辞職することは、本当に責任をとったと言えるのでしょうか。

私たちが知りたいのは、どうすれば次に同じことが起きずにすむかということなのに、その疑問に対しては何も答えていないに等しい態度だと思います。

自分のせいだと表明して世間から非難を浴びることは、ある種自己犠牲的な、英雄気分に浸ることができる行為でもあります。

しかし、ただ自分のせいにして逃げるだけなら、一時的な我慢で済むものです。

それよりも苦しいのは、なぜその判断にいたり、今後どうするつもりなのかを逐一説明することです。

それも、1回ではなく何度も何度も、相手が納得するまで説明しつづけること。

つまり、本当の意味で自分のしたことの責任をとるということは、説明する苦しみを背負うということなのではないかと思うのです。

これは仕事だけではなく、普段の人間関係にもあてはまることで、何かを断ったり終わらせたりするとき、説明せずとも相手が受け入れてくれればそれが一番楽なものです。

お互いに「空気を読んで」、気づかないふりさえすれば、その瞬間は誰も傷つくことがありません。

でもそうやって蓋をしても、きっとどこかでまた再燃して、結果的にみんなのストレスになってしまうのはよくあることです。

言いたくないことほど、言わないうちに悪化していくものだからこそ。

「責任をとる」とは、言いたくないことであっても、きちんと相手の顔を見て説明することなのではないかと思います。

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