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いつか、ネット上の罵詈雑言が消える日のこと。

SNSを使っていると日々どこかで炎上を目にしたり、 "クソリプ"と格闘している人を見かけることがあります。

私は幸いなことに炎上という炎上を経験したこともなく(気づいていないだけかもしれない)、特段クソリプというものに悩むこともなく(気にしてなさすぎるだけかもしれない)、安穏とSNSライフを送ってきたのですが、インターネットの発展においてこうした罵詈雑言との闘いは切っても切れないものだと思います。

ネット上では匿名vs実名の構図にされがちですが、実名顔出しでさらに肩書きまで晒しながら人を罵っている人もいますし、逆に匿名でもたらればさんF太さんのように人の心を和らげたり癒すような人たちもいます。

では、人がネット上で傍若無人な振る舞いをする理由はどこにあるのか。

私は『信用がアカウントに紐づいているか』ではないかと思っています。

つまり、匿名だとしてもそのアカウントにフォロワーが付き、それに付随して仕事の依頼や人間関係が構築されている場合、アカウント情報を失うことは自分にとって大きな不利益になります。

逆に、俗にいう『捨て垢』の場合はアカウント自体には何の信用も溜まっていないため、その名の通りすぐに捨てることができ、それこそが『言い逃げすればいい』という姿勢に繋がっているのではないかと思うのです。

ちなみに本名というのはほとんどの人にとってユニークIDなので、通常はその信用を毀損しないように実名での発言は慎重になるものです。

だからこそ冒頭でも出した匿名vs実名議論になるのですが、世の中には意外とSNSと実生活は別で、実名でもSNS上での活動であれば実生活には影響ないと考えている人が一定数いるのかもしれない、というのがここ最近感じたこと。

特にこの傾向は40代以上の方に顕著のように思います。

しかし、ネットの声が大きくなればなるほど、プラットフォーマーはいかにノイズを減らすかに注力していきます。

各SNSにはブロックやミュート機能がついているのはもちろん、以前高須委員長がTwitterでの悪質なリプライに対して法的措置をとったように、Twitter社が悪質だと判断した場合は情報開示が行われ、訴訟を起こされるケースもでてきました。

こうした『ネットの健全化』は、プラットフォームを作る側の人たちがどちらかといえば罵詈雑言を受けやすい立場であることからも、ユーザーが望むと望まざるとに関わらず透明化の方向に突き進んでいくことが予想されます。

私がプラットフォーマーの立場なら、場の健全化のためにはアカウントに信用情報をためて『ここで傍若無人に振る舞うと自分に不利になる」と思われる状況を作ると思います。

ちなみに、中国ではアリペイやWe Chat Payが当たり前のように使われていますが、無人コンビニではこれらのアカウント情報が信用情報として活用されています。

現在は決済情報の蓄積がメインのようですが、あるSNSの信用に紐づいて他サービスで優遇されたり、逆に使用を拒否する可能性すらあるのではないかと思います。

例えば、Facebookのアカウント情報がなければサービスそのものにログインできず、その信用度によってはUBERで乗車拒否をされたり、airbnbで宿泊拒否をされる、というような。

その未来が本当に全員にとって幸福なのかはわかりませんが、世界は確実にそちらの方向に進んでいる。

小説『ザ・サークル』が描いた世界は、もうすぐそこまできているのだと思います。

監視社会、信用社会になっていった先にある、 "表面上"いい人ばかりであふれたネット社会。

罵詈雑言を浴びる世界と、うわべだけは綺麗な言葉で彩られた世界。

果たしてどちらが私たちにとって幸せなのか。

人の中身は数千年前からそう進化していないという事実とともに、考えたいテーマです。

P.S. 普段は自分の中である程度結論の出たテーマを書いているのですが、GWはせっかくなので自分の中でもまだもやもやしているテーマについて思考の経過を書いてみる実験をしています。
ぜひ読んでくださったみなさんも、一緒に考えてみていただければ。

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