母の介護は、強迫性障害を抱えていた私には限界だった。


私は、姉に頼まれ、週に一度一日中介護をすることになりました。突然一人で見るのは限界だからという事で助けて欲しいとの事でした。

私は、その頃高校生の転校問題を抱えていて、7ヵ所ぐらい電話をして、学校訪問したり、訪問先の授業に参加したり、初めて会う校長先生と、毎回1時間ほど話しをしたり、あちこち電話をかけて予約したり、初めての土地に、東京、埼玉、神奈川、子供と二人で足を運び、精神的にとても参っていました。

そこにきて、姉が母と住んでいて、一人ではお手上げだから助けて欲しいと言われ一日預かることになった。

私は、パニック障害もあり、強迫性障害もあり、出かける5時間前には起きて、洗濯、掃除、ご飯作り、犬の散歩、部屋の片付け、自分の決めたルーティインをやらないと出かけることが出来ない病気をかかえています。

過去のトラウマから、もうこの脳のキズは治らないと思う。

それは残念なことだけど、自分が悪い訳ではないないので諦めている。でもなかなか全ての過去を知っている家族の方が理解がないのが現実である。

まず近くのアパートに、母を迎えに行き、パーキンソン病なので転ぶ段差には注意をする。これが一日中気が張って疲れたことです。

とにかく前のめりで歩き、少しの段差でバランスを崩して転んでしまうのです。

アパートの鍵を閉めて、30分歩きバスに乗る。その時もパーキンソン病の人はゆっくりしか段差がのぼれない。話すこともゆっくりしか話せない。

私と母は余り仲は良くはないんです。

少し姉から報酬を得ていたので預かりましたが、姉は人をアゴで使う人で、初めて母を預かる日に、私が母のすぐ後ろを転びやすいので見守ってついていてあげたら、自分の娘に、私がすぐ後ろを歩いているよと、見てみなよ、と言ってクスクス笑い、私をバカにすることを平気で言う人なんです。

残念だけど、世の中にはそんな悲しい人が存在します。

その時点で、母を預かるのは辞めようと思いましたが、嫌な上司だて思い我慢しました。

一日中、バスに乗せ、降りる時も注意を払って,エスカレーターは体のバランスが取れないので乗れず,エレベーターしか使えません。その後はお昼を外で食べるのですが、口にガツガツたくさん入れて食べたり,唾液がたくさん出るので,口を拭いてあげたり,食べ物をこぼしたりしてしまうので、パーキンソン病の人の介護をする人はとても大変です。

母を見ながら、少しだけ自分の買い物を済ませ、またバスに乗り、その頃の母は既にバスは無理だったのかも知れません。母はバスが好きでした。

ゆっくりしかバスに乗れないので,回りの人からは冷たい視線があったのも事実です。

やっと家に帰り,少し休ませまた母をアパートに送る。

その前に夜ご飯を食べさせて大変でした。子供は家にいても反抗期だったので、手伝ってもらえませんでした。

私には、人よりも戸締り確認があり、すぐに家を出ることが出来ないので、自分のぺースでやれないストレスで、全身にじんましんが出て痒くて薬を飲んでも、塗り薬を塗っても治らない。しばらく治りませんでした。

続きはまた,,。

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