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某フェスの追加渋いって言う人へ



うるせー!!!もっと色んなバンド聴け!!









(言うて俺も5バンドくらい知らなかったけど)







はじめに

 それで済めばそれで終わりになってしまうのだが、
チケット代の高さや解禁のことなので何かと炎上(?)
しがちなJフェスだけに今回の追加アーティストについても
喧々囂々色々言われているようだ。

 これに物申したい人には主に2つのタイプがいると思っていて、
①そもそも「JAPAN JAMのサブステージはJAPAN'S NEXTの
コンセプトを引き継ぐものである」ということを知らない、また
第2弾解禁の際に「次の解禁はサブステージのアーティストがメインに
なります」という
お知らせが出ていたことを知らなかった勢と②知っていた勢だ。

 まあJフェスの長文メッセージももう意外と読まれないのかもしれないが、
(要点流し見くらいなら数秒でできると思うけどね、最近のキッズは
読解力が低いっていうのは本当だね、と性格の悪いことも思ってしまう)

にしてもそもそも自分が情報を掴んでいなかったのにも関わらず
「思ってたのと違う!肩透かしだ!」などと抜かすのはお門違いだ。

 まあそんな情弱勢は置いといて、今回考えるべきはそもそも発表されていた
「JAPAN'S NEXT」と「JAPAN JAM」の融合の是非、ということだろう。
確かにロックフェスはそもそもチケット代が10,000円代が普通なうえで、
さらに高いJフェスに行ってまで、ライブハウスで3,000円+D代とかで
観れるインディーズバンドを観る意味とは?という主張はわからなくもない。
それに共感する人も多そうだが、ここであえてそれに反論してみようと思う。

ロックフェスの役割について

 コロナ禍でライブやフェスが軒並み中止になり、規制をかけた状態で
再開していって、昨年の5類移行を経て今はほとんど規制はなくなっている。
このコロナ禍は世間では「分断」を生じさせた、というような言説をよく
耳にするが、それがロックフェスについても起こっているように感じる。
つまりはフェスは「自分の好きなバンドを観にいくためのもの」という
認識が、主に最近フェスに行き始めた若者の間で広まっているのではないか。

 そもそもJフェス側も昨年のCDJの時に言ってたように、コロナ禍後に
フェスに行きはじめた人というのが多くなってきている。CDJ22/23では
約7割の人がフェス初参加者であったらしい。(調べりゃ出てくる)
私もそう長くフェスに行っているわけではないが、10年前と比べてJフェスに
関わらず、オフィシャルグッズではなくアーティストグッズを身につけて
いる人が多くなったな、という体感がある。(データはありません)

 けど、そうじゃなくね?と思うわけだ。好きなバンドだけ集まってる
いつも変わり映えしないようなメンツばかりのフェスに行って満足か?と
今はタイパやコスパが重視される時代。私もZ世代ではあるので情報の波に
洗われる疲労感はわかるが、膨大な情報にアクセスできるからこそ
サブスクで好きな曲だけ聴いて、フェスで王道セトリだけ聴ければ満足か?

 こんなこと言ったら老害と思われるかもしれないが、ひたちなかでの
ロッキンはステージが8個くらいあったし、CDJも以前は5個だった。
ロッキンはともかくCDJは場所自体は変わらないんだから、メッセの
9〜11ホールまでまた貸し切ってステージ増やしてくれよ、とはずっと
思ってる。なので手放しにJフェス肯定派ではないので悪しからず。

 コロナ禍を経てミニマムになってしまったフェスは、確かに効率よく
人気アーティストを観ることができるが、オープンな環境のフェスゆえに
生まれるはずの、偶然の出会いのようなものは生じにくくなってきている。
たまたま聴こえてきた音に誘われて観たステージが人生を変える数十分になる
可能性を考えずに、知らないバンドが多いからといって萎えるのは早くないか?


ライブの「予習」という言葉が嫌い

 もうそろそろ老害と性悪がバレてそうなので、あえて脱線してより性格が
悪いことを言ってみようと思う。最近よく聞く「予習」という言葉について。
改めて考えてみるとこれに代わるよりわかりやすい単語がなさそうだから、
本当は使いたくないけど便宜上使っている人もいることかと思う。
私とか。(ふつうに使うことはあります。それはそれとして嫌い)

 予習って何だよ、なんの試験なんだ?ライブやフェスは授業なのか?
どうせ学生の時授業の予習なんて大してしてきてないだろ。私もそう。
予習しないで授業で初見の内容習う方がおもしろくない?と学生の時は
思っていたので。ただ面白さ重視じゃなく知識・技能を身につけるには
予習か復習はした方がいいと思う。(急に教師の人格が出ます)

 ライブを来るべき試験のための授業と捉えるならなるほど「予習」は
必要だと思う。けどライブで聴く曲は本当に全て知ってる曲であるべきか?
生で初めて聴いたけどめっちゃいい!ってなってその曲を好きになる経験、
したことないですか?そもそも音源としてリリースされてないパターンも
あるし。サブスクで手軽にリリースできるこの時代には少ないかもだけど。

 ライブやフェスを「予習」して臨むべきもの、ライブを「知ってる曲を
生で聴くためのもの」、フェスを「知ってるバンドばかりの集まり」と
乱暴に言ってしまえばそのように捉えているから、知らないバンドや
知らない曲が来たときに楽しめないようになってしまってるのでは?
ただのスタンスの違いだから別に否定はしないけど、でも色んな楽しみ方が
あるって知った方がいいと思うんだよ、その上で自分のスタンスを決めれば。

フェスの存在感が大きくなったことの影響

 上記のことを踏まえたうえで、また追加されたバンドは全然知ってるけど
それでも今回のブッキングは違和感が残るという人もいると思う。
まず根底からして「JAPAN'S NEXT」をJAPAN JAMに融合することが
どうなのか、という話だ。(ジャパネク知らない人は各自調べんさい)
大型フェスとサーキットフェスの差別化は?確かに尤もな話だ。

 このことの是非は、今すぐ論じることはナンセンスであるように思う。
このスタイルでJAMを本格的にやるのは今年が初めてであるし、
(昨年はサブステ1つだけだったし普通にメジャーバンドばっか出てた)
数年続けてみて、初めてその良し悪しが分かるのではないだろうか。
いずれにせよ新しい挑戦が始まったのは確かだし、それ自体は評価したい。

 私の期待するところとロッキング・オン・ジャパンが期待するところが
同じかどうかはわからないが、おそらく最近フェスに行き始めた人達に
ライブハウスシーンやネットシーンの若手との出会いの場を提供したい、
という思いがあるように感じる。これは先に書いた「分断」の話にも通ずる。
メジャーバンドのライブばかり観ている人が、サブステージのバンドの
ライブを偶然観る、というような出会いが起こるのではないかという期待だ。

 「ロックフェスに呼ばれることは若手バンドの目標であり、それを自分の
実力で叶えるシンデレラストーリーが損ねられる」というような意見も見た。
確かに今や大手のフェスに出ることはそれぐらい価値のあることかもしれない。
けど、フェスに呼ばれることがバンドの目標って?とか、より大きなステージに
ブッキングされることが全てなのか?というような疑問もあるのだ。

 有名になったバンドは皆「このフェスに昔から出たくて」とか、
「初のメインステージで嬉しくて」とか言う。それが当たり前すぎて
前提を疑ったことのある人も少ないかもしれないが、別にそれだけが
バンドじゃないんじゃね?とも思うわけだ。もちろんそれを喜ぶバンドも
嬉しく思うファンもいていいと思うのだが、皆箔を押したように同じような
ことしか言わないことにはもうそろそろ辟易を通り越し呆れてしまってきてる。

 そもそも野外フェスでは音が拡散するし、地下にあったりすることも
多いライブハウスという密室状態とは音の響き方が違う。ましてやネット発で
ほとんどライブ経験のないアーティストもいると思う。つまりはフェスに
呼ばれるのは嬉しくても、そこで満足のいくライブをするのは難しく、
若手アーティストにとっても挑戦なのだ。嬉しい、だけではないはずだ。
ライブハウスの魔法に頼れない場面で、どこまで地力が出せるかという挑戦。

大きくなったJフェスの挑戦を評価したい

 ということで、若手に対して新たな挑戦の場を与える、というストイックな
一面も見せたことに対してもJフェスのある種の愛を感じるのだ。
むしろCDJ22/23のメンツが出た時に「いつもおんなじでつまらん」と
言ってたような人達もいたはずなんだが、どこに行ったんだろうか。。。
(私用にカスタマイズされたTLに多く流れてきてただけかもしれない)

 人気になったバンドは概ねおもしろくなくなる、というのが私の、
というか今までもよく言われてきた話だが、それが最王手のフェス、
ロッキン・CDJ・JAMにも言えることなのかと思う。同じようなメンツ
ばかりでチケット代はやけに高い、ステージ数は以前より減っている。
もちろんコロナ禍の大打撃的に資金的には厳しいのかもしれないが、
そんなつまらなかったフェスからの脱却のための第一歩なのだと感じた。

 そもそもフェスで利益を出したいなら、それこそ人気バンドばかりを
呼んで、それでも高いチケット代を出してでもくるような人達に来てもらい、
呼ぶバンドを絞るためにステージ数は増やさない、というスタイルの方が
いいはずなのだ。にも関わらず、チケットが当日まで余りがちなJAMに、
それでもここまで若手を呼んだこと自体が大きな挑戦だと思うのだ。

 偶然の出会いに、そのおもしろさに賭けるという選択をしたJフェスの
姿勢は紛れもなくロックだと思うし、ロックフェスのあるべき姿だとも思う。
ロックンロールはカウンターカルチャー、メジャーばっかりに寄るものでは
ないし、石が転がっていくように偶然のアクシデントに期待したいというものだ。

まとめに

 こんなこと言っておいて(仕事の都合もあり)今年のJAMは好きなバンド
ばかり集まっている4日だけ行くことになりそうです。(爆)すみません。
私より思い入れが強い人はいっぱいいるのを承知のうえで、それでも
今回フェスに対しての認識がちょっと変わってきているな、と思ったので
自分の考えを整理すべく書き連ねました、文字だけのブログをここまで
お読みいただきありがとうございます。ご縁があったら今年の蘇我で。


参照:

https://x.com/rockinon_fes/status/1760144946252947696?s=46

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