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北海道リベンジ 2日目

1日目からえらい文章量になってしまっている。私の旅行及び文章のまとまりの無さはさらに露呈していくものと思われる。5000字以上あるぞ!たぶん4000字くらい中身がないぞ!さあみんな、読み飛ばそう!

2日目 AM6:30 網走駅

寒さで目が覚めた。なぜ私が布団から出てこの冷たい空気に体をさらしていたかというと、これは私の悪辣な寝相のせいである。寝起きも悪いので、やたら寒いここがどこなのか、一瞬わからない。
知らない天井だ、と言ってみたいところだがあいにく寝相のせいで私の眼前は枕で覆われていた。真っ暗だ、はて、もしかしてすでに私は凍死したのか、とか思ったが、単にうつ伏せになっているだけなので、わりと普通に上体は起こせた。そして十数秒ボーッとしてようやく現在地を認識した。
寝てたら凍死しました、なんてそんなことはさすがにと思いつつ、若干の現実味がある、そう、ここは網走である。
今日は網走の民宿からスタートだ。

お盆の上に鍵を返すというシンプルこの上ないチェックアウトをした後、すぐに網走駅に向かった。

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途中すべってころんでK氏にばかにされたりしたが怪我はなかったので割愛する。駅に向かったのは再び北浜駅に行くためである。昨日は暗くて列車の写真があまり撮れなかったのでリベンジを果たそうという腹である。

2日目 AM7:00 北浜駅


私は昨日みつけた踏切にいくことにした。踏切自体は結構新しいが、そこから知床方面を望むと左に流氷のオホーツク海、右に線路、中央には草がわずかに生える雪原が見える。

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「最果て」というにぴったりな情景だ、ここはいい、とカメラを構えて待つこと数分。たった数分でカクカク震えだした手に何度も息をあてていたら遠くに列車のライトが見えた。静かな雪原に響く国鉄型のエンジン。朝陽で車体のまわりに舞うパウダースノーが光る。夢中でシャッターをきる。

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場所は言うことなし。逆光は勝利である。
列車は銀色の車体をギラつかせながら去っていった。


北浜駅に戻るとT氏がなにやらゴソゴソしていた。壁に自分が来た証明を残したいらしい。北浜駅の壁は過去の訪問者の名刺や落書きやその他もろもろが乱雑に画鋲でさしてあり、非常にごちゃごちゃしている。T氏はなにを思ったか、待合室の隅の方に財布に入っていた大学の学割証をさした。名前や住所もあるのにいいのだろうか。使ったモノは解せないが来た証明というその行為自体はなかなかいいなと思ったので私とK氏も財布を探ってみた。私は使い終わった神戸市営地下鉄のヴィッセル神戸の写真入りの1日乗車券、K氏はなぜか常備している神戸市バスのバスカードをそれぞれ取り出し、裏に日付とサインを残して、壁のすきまにはさんでおいた。行く機会があれば探してみてくれ。

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もうすぐ北浜駅ともお別れである。写真をぱちぱち撮っていると、作業員らしき人々が車でやってきてバズーカのような送風機でホームの雪を払っていた。このくらいサラッサラの粉雪だと除雪というより、風をあてて吹き飛ばす方が効率がいいのか、と感心していたら列車が来た。この線には珍しいキハ40の二両編成である。中は乗客でごったがえしていたので通路の広いこの車両なのだろう。学生が多くてにぎやかである。
地元民の会話というのは実に面白い。一番印象にあるのは、女子高生たちが流氷を車窓に見ながらしていた会話である。

「流氷、過疎ってるね。」 「うん。」


え、これ過疎ってたの!? 
こんなに一面にあるのに?

さすが毎日見てる人は言うことが違う。今度は過疎ってない状態を見たいと思った。

2日目 AM9:00 オーロラ号乗船


網走の一駅手前の桂浜駅で降りて港の方に向かう。そう、お次は砕氷船おーろら号である。去年の旅行では流氷がなくて断念したが、今年は問題ない(過疎ってるらしいが)。おーろら号乗り場は道の駅の裏側にあり、中でチケットを買って船に乗りこむ。朝一番の便だが観光客はかなり多く、おーろら号で最も見晴らしのいい甲板はすでに人でいっぱいである。とりあえず、外側に面した場所に落ち着いた。おーろら号は網走川の河口に停泊しており、そこには流氷がない。まわりにはたくさんの水鳥が集まっていた。私は最初から望遠レンズで撮る気まんまんである。目立つのはカモメである。カモメは人がたくさんいる甲板の手すりにとまってこちらを見ている。エサがほしいらしい。それにしてもやたら距離が近く、カモメはやろうと思えば人を嘴でつつけるような位置にいる。私たちのいる場所は少し離れていたが、しばらくすると目の前に飛び込んできた。もう、近すぎて望遠レンズではとてもピントがあわないくらいである。

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ちょうど船が出港したときだったので、バックに流氷とカモメをいれて1人ずつ記念撮影した。T氏とK氏の前ではおとなしかったが、私のときには、エサをもらえないのに憤慨したのか、嘴を上にむけて「エサよこせやぁ」と言いたげなポーズであった。

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私たちが目の前をてけてけ歩くカモメに気をとられていたら、おーろら号はいつのまにか流氷のある沖にまで来ていた。氷点下の風が容赦なくカメラを持つ手を攻撃する。しかし、それがまったく気にならない程度に景色が最高だった。今日も快晴で知床連山まで見通せるオホーツク海上には一面に流氷が広がり、その上にはワシやタカ、カモメやウミウなどの鳥が飛び交っている。オーロラ号は流氷をかきわけて進み、後部には白い氷の平野にくっきりと青い筋を残していった。しばらくして甲板を離れて最も海面に近いデッキにおりてみた。これが大正解でおーろら号の迫力が一気に伝わってきた。

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おーろら号が強力なエンジンのうなりをあげながらその船首をごりっと流氷の上に乗り上げると、その重みに屈した流氷には静かに、しかし瞬間的に巨大なひびが走る。そのひびの部分はおーろら号の重みで沈み、氷片の反対側はごぉっとしぶきをあげながら一気に持ち上がる。

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持ち上がった氷片はデッキにいる我々の手が届きそうなくらいの近さと大きさを保ったままでおーろら号の脇をかすめて後方に流れていく。その間、おーろら号はほとんど減速したり、衝撃を受けたりはしない。きっと、遥か上空から見たなら、白く広いキャンパスに青い線がゆっくりとと引かれていくように見えるだろう。

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重厚に前進を続けるおーろら号に比べて我々のはしゃぎようったらない。手すりから身を乗り出して流氷に触ろうとしたり、遠くに珍しい鳥いる!!流氷がすげえ近い!!などと言っては望遠と通常のレンズを慌ただしく何度もつけかえたり、互いに風で髪がすごいことになっているのをネタにして写真を撮りあったりして、それはもう騒がしい。楽しい時間はすぐに過ぎ、おーろら号は転舵して帰途についた。少し落ち着きを取り戻した我々はオホーツクな寒さを思い出す。手には感覚がなく、耳はもはやもげているような感じがある。だが、船内に入るのが少しもったいないと思うくらいにおーろら号の虜になった我々は港に着くまでデッキで我慢大会の様相を呈していた。

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上陸後、列車まで時間があったので港が見渡せる道の駅のフードコートで昼飯にした。十勝の豚丼がワンコインと安かったので頼んだらめちゃくちゃ美味しくて北海道ずるい!!と叫びそうになったがこらえた。

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2日目 PM0:30 網走駅

網走駅まで徒歩で戻る。今日はここからが長い。明日のSLに乗るため今から釧路まで戻るのである。しかし、昨日乗ってきた釧網サファリ本線を戻るのは芸がないので、旭川→富良野→新得→帯広と大回りで帰る。このときに備えて切符は特急にも乗車できるpeachひがし北海道パスを買ってあるのだ。
我々は入線してきた折り返し特急大雪号に真っ先に飛び込むと高速席取り男(T氏の異名)は矢のようなスピードで最後尾の座席を確保した。この席は後方の景色が展望できる特等席である。さらに、この列車は遠軽駅で進行方向が変わるのでこの席からは前面展望が望めるのだ。

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ラッセルも見れた。あと、この大雪に使われている車両は......危ない、鉄キチの人格に日記を乗っ取られるところだった。この先、このようなことが増えていくかもしれない。

特急のリクライニングシートに座った我々は上機嫌で、ここまで乗った列車と比べるとすさまじい速度で流れる車窓を眺めていた。T氏は道の駅で買った酒を開けてますます機嫌がいい(当時、私だけ未成年)。しばらくワイワイやっていたが、ここまでずっとはしゃぎ続けていた疲れがでたのか、皆かわるがわる寝ていた。この三人組は互いに卑劣なので他の人が寝ると不細工な寝顔を写真に撮ろうとする。本当に幼稚な容量の無駄遣いである。我々の名誉のために言うと(?)、実に不細工なので他の人間に漏らさないのは暗黙の了解である。仲間内でけなしあう徒労を辞さないバカトリオを乗せた大雪は一路旭川へと向かう。

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長い昼寝のトンネルを抜けるとそこも雪国だった。大雪号は前面を真っ白にして旭川駅のホームにすべりこんだ。すぐに乗り換えである。隣のホームにいた列車にバタバタと駆け込んだ。

2日目 PM5:40 富良野駅

列車は薄暗くなっていく高原地帯をのんびり進み、終着富良野に着いたときにはあたりはもう真っ暗だった。富良野では一時間ほど時間がある。晩御飯はすでに列車の中で決めてあった。今回の旅行では前回の反省を踏まえて、せめて料理くらいはその土地の名物とかの美味しいものを食べようという願望があったので、検索にも精が出る。富良野にはオムカレー祭というものを町をあげてやっていた。1000円という手頃な価格で名物のオムカレーを提供することが、各店がその祭に参加する条件であったので、財布の心もとない我々には願ってもない状況であった。我々は駅から5,6分ほど歩いた所にあった鉄板焼屋に入った。店の軒先にはオムカレー祭ののぼりが立っていた。私とT氏は一も二もなくオムカレーを注文し、若干あまのじゃく傾向のあるK氏はガーリックライスを頼んだ。

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結論から言うと最高だった。舌が貧相なので食レポはグーグルのレビューにでもまかせるとしてこれが1000円で食えるとは富良野ずるい!思った。北海道では食べ物がすべておいしいので、もうなぜ自分の地元にはないのか(見つけられてないだけ)、という気持ちになってしまうあたり貧相なのは舌だけではないことが窺える。

2日目 PM7:00 富良野駅


さて、駅に戻って再び行軍開始である。新得まで行く根室本線はかなり前に土砂災害で寸断されてそのまま止まっている。東鹿越駅からは代行バスで新得駅を目指す。乗客はほとんどいない。利用者が少ない線は復活はできない、これは残念ながら真理である。バスでは寝ようと思っていたが、運転席後ろの席に座ってしまったので景色が気になって寝れなかった。途中狩勝峠を越えたときに新得の街の光とその奥に帯広の光が見えた。街の周囲は畑か田んぼなのか真っ暗で、2つの街は黒い海に浮かんでいるようだった。根室本線が狩勝峠を越えていた時代は日本三大車窓の一つに数えられるほどの景観だったらしい。走る汽車の中から見てみたい光景であった。

2日目 PM9:00 新得駅


新得に着いたときにはすでに夜九時を回っており、ここから特急おおぞらの最終便で釧路に向かう。自由席はやはり、ほとんど誰も乗っていないと言えるほど空いていて、一人ずつ2席分陣取った。非常に疲れていたのでT氏とK氏はすぐに寝てしまったが、私は三日ほど前に寝違えた首が痛くて寝付けなかった。前の座席をボックス席状に転換して足を伸ばしたり、席に横向きになったり色々試すがどうもしっくりこない。そのうちおおぞら号の揺れで酔ってきた。しばらく悪戦苦闘するうちに寝てしまったが起きるとき思いがけないことがあった。私は結局、説明の難しいほど妙な体勢で寝ており起き上がるときに首をひねってミシッと音がした。嫌な予感しかしなかったが、見事に裏切られた。なぜか、あれだけ痛んでいた首が治ったのである。多少違和感はあるが寝る前の比ではない。おおぞらの奇跡であった。

2日目 PM12:00 釧路駅

釧路に着いたのは日付がかわる直前であった。ここから40分強歩いて本日の宿、ネットカフェ快活クラブに向かう。我々の狂った認識ではネットカフェ=宿になってしまっている。
深夜零時の凍てついた街を歩く三人組。おまけに全員黒い服でメガネにマスクときた。あとから考えると見た目だけで通報されかねない風貌である。途中T氏が転んで腰と腕を強か打った以外はいたって無事に(無事じゃない)たどり着けたのは奇跡と呼んでよい。途中何やらくだらない話で盛り上がったが、何しろ深夜徘徊テンションなのでほとんど覚えていない。
快活クラブについた後は目覚ましをセットして早々に寝てしまった。時刻は約午前1時。起床予定は5時である(死)

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