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北海道リベンジ 3日目

北海道リベンジも佳境の三日目、私の悪筆はとどまるところをしらない。もう明らかに写真より文中心だ。気づけば、たかだか日記で大学の課題ではとても書けないような一万字も書いている。
なに?もっと短くまとめろだと?いいか?
私は「まとめる」という行為が宇宙で一番苦手なんだ。

3日目 AM4:30  快活クラブ釧路店

朝は4時からな気がする。日は登っていないが、なんだか人や街が動き出す気配のする、そんな時間である。疲れはてた若者にとって、起床にはやや酷な時刻でもある。私は四時半ごろ目覚めて眠い目をこすりながら出発の準備をして漫画をよんでいた。K氏お気に入りの快活クラブのチェーン店とはいえネットカフェなので寝心地はしれており、私は一度目が覚めるともう寝られないことが多い。
今日はK氏と残り二人は別行動である。SLに乗りたい、SLを撮りたい、少しは観光も、の私とT氏と異なりK氏はひたすらバスに乗りたいとのことだった。というわけでK氏は四時半ごろには快活クラブを後にし、根室に向かっていった。彼はどう多く見積もっても3時間しか寝ていない可哀想なやつであった。かくいう私とT氏も四時間も寝ていない。なかなか過酷な三日目になりそうだった。
私とT氏は同じの行程のはずだが、私がネットカフェで会計を済ませたとき、T氏はすでに店の前にある牛丼屋で朝飯を食い終えていた。彼は店を出てきた私に「おはよう」と言って、そのまま私を置いてさっさと駅に向かってしまった。友達というには集団行動意識がやや希薄な三人組である。私も牛丼をかきこんだ後、T氏の後を追って早くも明るくなってきた極東の街を東釧路駅に向かった。ここからだと東釧路駅の方が釧路駅よりやや近いのだ。

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3日目 AM7:00 茅沼駅

始発列車に乗ってまずは最初の目的地、茅沼駅に向かう。SLだけでなく、今日はひたすらこの釧網サファリ本線の釧路湿原周辺を堪能すると決めていた。茅沼駅はタンチョウが餌付けされていることで有名な駅である。一日目はタンチョウがいるのを見かけたが時間的にそのまま通りすぎただけだったが、今回は二時間ほど滞在できる。
茅沼駅到着のアナウンスがあった。さてタンチョウはいるかな、とドキドキしながら車窓を見ていたが、まだタンチョウはいないようだった。ホームに降り立って確認するも姿はなかった。とりあえず、T氏をけしかけて、1kmほど離れたシラルトロ沼を見に行くことにした。情報は少ないが、ここにもよく現れるらしい。
誰もいない寒々とした道路をT氏とふたりでとぼとぼ歩いていると、100mくらい先の路上にエゾシカの群れがいた。釧路湿原の周辺ではあまりにも列車からよく目撃するので感覚が麻痺していたが、他の地域ではまず見られない光景であろう。鹿たちも不審な二人組に気付いたようで道路脇の柵をヒョイと乗り越えて森へと消えていった。
朝はやすぎたのか、そもそも冬にやってないのかシラルトロ沼のほとりにある観光施設やキャンプ場の施設には人影がまったくなかった。木が多くて沼がよく見えないので、ほとりに降りれないかと思って道を探していると、足跡があった。その足跡をたどると急な斜面へと向かっていたので鹿かなんかの足跡だったのかもしれない。実際、茅沼に着いてからは人より鹿の方が多い。歩道らしきものがあったので、ほとりに出ることができた。
シラルトロ沼は山に囲まれたやけに広い真っ白な運動場のようだった。鹿かなにかの足跡がポツポツある以外は何もない平らな雪原がのっぺり広がっている。残念ながらタンチョウなどの生き物はいなかったので私的にはあまり感動はなかった。しかし、T氏をやや無理やり目に連れてきた手前、あからさまにガッカリするのもどうかと思って「スゲェ、広ェ、白ェ!!」などと叫んで写真をバシャバシャ撮った。(ちなみにこの写真は後にSDカードの故障で消滅してしまっている。ゴメンネT氏。)テンションがあまり上がらないまま、茅沼駅に戻る。
しばらく歩いていると、駅の方でなにかの気配がした。タンチョウがいるような気がしたのである。とは言え私は別に能力者ではないので、まったく気のせいなのだが。後から思うと、単に見たいという欲望が理性を上回っただけな気がするが無責任極まりないこの男は早足になり、T氏もそれに続く。少しすると、駅前の広場が見渡せる場所に出た。望遠レンズを装着したカメラを双眼鏡がわりにして探す。すると、なんといたのである、タンチョウが、それも6羽も。びっくりである。

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まぁ、この駅には冬の間普通に出没するので別に不思議はないのだが、狂喜乱舞した我々は「すっごーい、ふっしぎー」とトトロでも出たかのような駆け足で広場が見渡せる道路に向かった。
第一印象、思ったのはでかい、ということだ。片足立ちして首をまっすぐ伸ばすと背の高さは私とそんなに変わらないのではないか。ありきたりな表現だが実に凛としている。我々が道路から出ない場所で最も近い場所に来ても動じない。6匹いると言ったが、どうも3ペアのつがいのようであった。二匹ずつ連れ添って歩いたり、立ち止まって毛繕いをしたりしていて実に平和である。

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しばらくすると、一匹がキュェーと大きな声をあげて鳴いた(カタカナだといまいち伝わらんな)。たぶん生まれて初めて鶴の一声を聞いてなんか感動した。そのタンチョウはいわゆる求愛ダンスをはじめたようだった。羽を広げて軽く跳ねたり、細い頸を上下させたり、見ていてとても秀麗である。もう一匹もつられて踊りはじめた。銀世界で踊る鶴たちなんて、もう童話の世界である。写真を撮るのがどうでもよくなるくらい、とても幸福な感じがした。撮るけど。

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おとぎ話のような光景を目の前にしてすっかり上機嫌な私とT氏はタンチョウと一緒に踊り出しそうなくらいだったが、非常に見苦しいのでやめた。興奮を少し冷ましてあたりの音を聞いてみるといたるところからコツコツと音がする。音の方向をよく見ると嘴で木を連打するコゲラがいた。探すと他にもたくさん小鳥がいる。鹿といい鳥といい、すごい密度の自然がここにはある。暖冬とはいえ極寒の冬でもこれだけ命が感じられるのだ、ぜひ夏にも来てみたい、とすでに次の来訪を考えずにはいられなかった。さて、折り返しの列車が来たので乗り込む。列車をバックにしたタンチョウの写真が撮れなかったことだけが心残りであるが、十二分に満足していてなんならここで旅行終了でもいいくらいだった。しかし、今日はここからが本番である。釧路駅に戻った我々は駅弁屋で売っていたいわしのほっかぶりを買って備える。次はSL釧路湿原号だ。

3日目 AM11:00 釧路駅

(ここから先しばらく鉄キチに人格を乗っ取られるのであしからず。)
ホームに上がって入線を待つ。SLの登場は聴覚と視覚が揺さぶられる。まず、音からである。まだ姿は見えないが、地面を震わすようなボォッと大きな汽笛が聴こえる。車庫からの発進の合図だ。次に、煙である。始動には大きな力が要る。発進の際に大量の石炭を燃やしたことが一目でわかるような黒々とした煙が、建物の向こうで立ち上る。やがて蒸気の力を動輪に伝えるピストンのザッシザッシという音が聴こえてくると、いよいよSLは漆黒の姿を現す。汽笛一閃。その重厚な車体をぎらっと光らせて振動とともに近づく。長い客車を引っ張ってゆっくりと、荘厳に釧路湿原号はホームに到着した。

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この主役感。これだけ書いてもまったく足りない気がするレベルの圧倒的存在感である。機関車は駅に着いてもボイラーを冷ますまいと白い煙を吐きつづけている。願ってもないシャッターチャンス。とはいえ、私はあまのじゃくなので、皆が撮れるような構図の写真は撮りたくなくてついつい変な角度でトリミングしたりしてしまう。タイトルの写真とか。

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後からフォルダを見返すと、妙な具合に見切れた写真が出てきて残念な感じである。困ったものだ。しかしどんな下手が撮ってもいい被写体はいい感じに写るものだ。

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写真をいいだけ撮っていよいよ乗車する。我々は窓際の指定席を二席おさえていた。下調べは十分で我々の乗る車両は湿原号の編成で唯一の旧型客車である。外から見ると他の車両と大差ないが、中に入るとまったく雰囲気が異なる。全体が木造であり、緩やかな曲線を描く天井は古い電灯の光をやわらかく反射している。天井にぶらさがった扇風機や網棚を支える部品、木造の座席の凹凸やカーテンの留め具、至るところに意趣を感じる。最新の車両の機能性に富むシンプルなデザインもいいが、いい意味で無駄の多いこのレトロで雑多な感じがなんとも言えないのである。

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11時07分。定刻どおり列車は出発した。
ああ、客車列車が好きだ。機関車の動きが前方の客車から順々に伝わってガシャンガシャンと連結器が軋む音がした後、ゆっくりと後方に向かって体にかかるGは格別である。SLが好きだ。もくもくとした煙が街の中や森の奥にゆったり流れていく車窓はどこか非日常でいい。いわしのほっかむりもうまい。

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ああ、珍しい列車が好きだ。あの踏切とかで列車を目撃した一般ピーポーの唖然とした表情を見るのは楽しい。駅弁が好きだ。古い客車の中で食べるほっかむり寿司めちゃくちゃ美味しいし、風情があって満点だ。釧路湿原が好きだ。線路近くのエゾシカやタンチョウが「なんだこの黒いデカイの、邪魔すんじゃねーよ」みたいな目で見てくるこの突飛な状況が味わえるのはここだけだ。むふふふふふふはははは..........

...はっ、なんだこれは。鉄キチ人格が暴走している。これはひどい。ていうかこの時点で5000字近い。まだ午前中のくだりだぞどうすんだこれ。とりあえず話を進めよう...耐えろ、読み飛ばせ、賢明なる読者。いや、こんなん読んでる時点でたぶんそんなに賢明じゃないけど(すごい失礼)。

このまま湿原号乗車中のことを書くと無限に続くのでカッツアイする。上の文のような薬物でも摂取したかのようなハイな状態が一時間ほど続いた、と思ってもらえばよい。まあ、実際鉄キチにとってはSL=快楽物質みたいなもんである。ただ、危険薬物と違うのは摂取(乗車とも言う)しなくても、観賞でも快楽が得られることだ。SLは乗っても見てもいい(注.依存性有)。
つまり何が言いたいかというと、お次は外から走るSLを眺め、写真を撮るぞ、ということだ。
そしてそれはこの旅行で最も苦労した部分でもある。

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SLが終点の標茶駅に着くと、終着駅の感慨に浸る間もなく(そもそも周りが鉄キチばかりで感慨もクソもない)5分後に行き違いで発車する釧路行きの普通列車に乗り換え、釧路湿原駅まで戻る。なぜか。我々が折り返し標茶発のSLの撮影場所として選んだのは、奥に湿原が見えるちょっとした高台で、あとで説明するが大変不便な地点であった。そこはどちらかというと釧路湿原駅の一駅手前の細岡駅が最寄りなのだがこの列車は細岡に停車しない。ならば釧路湿原駅の方で撮影すればよいではないか、と思うかもしれないが、釧路湿原駅に止まる列車はこれが最終便である。他にも背景や光線具合など諸々の条件を勘案した結果、『湿原駅から徒歩で撮影場所まで行き、撮影後さらに細岡駅まで歩く』というありもしない脚力頼りのスケジュールが組まれたのだった。

3日目 PM1:11 釧路湿原駅着

釧路湿原駅に到着した。SLが来るまで約二時間ある。まずは釧路湿原駅から登山道のような道を10分ほど登った地点にある細岡展望台へと向かった。ここはブラタモリの釧路湿原の回でタモさんが来ていた場所でもあるので、番組のテーマソングを熊避けに歌いながらゆく(よく考えたら冬眠中だよね熊)。誰も来ないと思って「ハァ~ロ、ハロ~、おっげんき~♪」と陽気に歩いていると前から親子連れが歩いて来て大変気まずかった。しょんとなって進んでいるとすぐに展望台に着いた。

雄大だった。展望台からの景色は。

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妙な倒置を用いてしまうレベル(?)で素晴らしい。まず、天気がいい。普段の行いが良いとはいえ(※一日目の文と矛盾があります)、ここまで快晴が続くのは奇跡に近い。

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そして真っ青な空の下に広がっている広大な薄茶色の湿原。(いや、薄茶なんて表現は拙いな。青き衣を纏ったヒロインが降り立ってきそうな感じ。そう金色。これは金色。) 湿原と空の境界にある白い雪をかぶった雄阿寒岳をはじめとする山々の連なり。ぐねぐねと蛇行しながら平な湿原に模様を描く釧路川の流れ。米粒のように小さく見える鹿や狐などの動物たち。眼前いっぱいに広がる優美な光景はあたかも大地が呼吸をしているかのような感覚にさせてくれた。

......読み返すとなんだかむかつく文だな。作文素人が調子に乗るからこうなる。手短に言うと、超綺麗な景色にとにかく感動した。あの光景を伝えるには私では力不足すぎる。皆行くんだ。それしかない。行けばわかる(暴論)。私は絶対にまた行くぞここに、今度は夏に。

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展望台から見えるのはほとんど動きのない、絵画のような風景だが、不思議とずっと見ていたくなった。しかし、そうもいかない。SLの時刻が迫っている。これから目的の撮影ポイントまで歩かなければならない。
最初は舗装された道を約1.5km。ここまではよかった。右手に踏切が見えたところでそちらへと曲がった。その道は、かろうじて車の轍が残る雪道だった。野原にポツンと立つやけに新しい踏切をわたって奥へと進む。

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轍には雪解け水がたまっていてとても通れないので道の端と中央の盛り上がっている部分を飛びはねながら進む。水溜まりに落ちたら靴がゲームオーバである。しばらく行くと、今度は水溜まりは消え、かわりに30センチ(もっとか?)くらい雪が積もった獣道のようになった。ざしざしとなんとか靴が雪にめり込まないように歩く。なんでこんな所で雪中行軍をしているのだろうか。下手したら遭難しそうだ、と思ったら後ろでT氏が滑って転んだ。もう下手してるんじゃないか、とも思う。

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道はやがて登りにさしかかった。荷物はほとんど着替えとかのガラクタ7Kg(一日目参照)。深まっていく雪。野性動物だらけの北海道の大地。ろくな装備や体力もない貧弱陰キャ二人。遭難フラグはすでに乱立している。非常に心細いが、ここまで来て後に退けるか(危険思想)!!とえっちらおっちら登っていくとやがて開けた高台に出た。湿原を回り込むように敷かれた線路が下に見える。なんとか目的地にはたどり着くことができたようだ。SLの時刻まではあと20分ほどか、と思いながら荷物を雪の上にビニール袋を敷いて置いた。人の気配がまったくしない。この広い景色で見える人工物は釧網線の堤くらいだ。しかし逆に、こんな場所から大都会まで続いている線路が見えるというのはなかなか不思議なことでもある。網走方面に向かう列車が来た。あわてて練習がてらにシャッターを切る。はやくも傾きはじめた太陽の光がタンコロの列車で反射して一瞬輝く。静かな大地にカタンコトンというレールの音だけが残る。すぐ近くに人の世界がある、と思うと安心感があった。

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SLまではまだ時間がある。T氏とカメラの設定や構図の話をのんびりする。なんだかここは時間がゆったり進んでる感じがする。人がいないときはもっと遅いんだろうな、などとボーッとしていると北側の山の向こうに煙が見えた。湿原号が塘路駅に着く時間だ。
すぐに来るかと思ったが姿が見えない時間は意外と長かった。風の音なのかレールの軋みなのか、耳を澄ます。やがてボォーっとよく響く汽笛を鳴らして、木々の影から黒い車体がわずかに見えた。動くものが極端に少ない土地なので、遠くても目立つ。やがて林を抜けた汽車はもう一度汽笛を鳴らし、長い客車を引っ張って湿原の中を軽快に走る。

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灰色の煙をまとうようにして広大な湿原を駆ける汽車。まぎれもなく初めて見る光景だ。しかし、懐かしいのはなぜなのだろうか。もしかしたら人間のDNAには人工物がほとんどなかった時代の記憶が残っているのかもしれない。

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撮影を終え、通ってきたあのやや危ない小道を戻る。帰り道は下り坂なので楽だろうと思っていたら、滑るのでむしろ危険である。
スキー板があれば華麗にすべってやるのに、などとホラを吹きながらそろーりと下る。なんとか遭難せずに細岡駅に着いたときには二人ともくたくたであった。

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三日目 PM4:00 細岡駅

細岡駅から列車でいったん北へ向かう。釧路に向かう列車は二時間も待つ必要があり、細岡駅はどう考えても人間より鹿の数が多く(だって鹿の叫び声しか音しないもの)、軟弱大学生が日暮れにあと二時間耐えられるような土地ではない。先に来る反対行きにのって時間をかせぐというわけだ。
定刻より遅れてきた列車に乗り込む。あとから聞くと鹿と接触したらしい。気動車のやかましいエンジン音とほんのり漂うガソリンの匂いに文明を感じてほっとする。車窓はもうかなり薄暗い。
しばらくすると列車が急ブレーキをかけた。こっちも慣れたものでまた鹿か、と思って前を見に行こうとすると、運転手のアナウンスが入った。

「えー、線路をタンチョウが歩いておりますので進めません」

さすがサファリ本線、さらっとすごいことおっしゃる。
見ると、タンチョウが前方を優雅に歩いている。警笛を鳴らされても優雅に歩いている。優雅すぎて、なんだか線路が舞台に見える。

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いやいや主役はおれだそこのけそこのけキハ54が通る、とばかりに警笛を鳴らしまくって微速前進を続けるとようやくタンチョウは線路から降りた。こうしてタンチョウ線路の舞の幕は降り、列車に追加で約5分の遅れが生じた。

三日目 PM5:30 南弟子屈駅着

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さて対向列車を待つのに我々がどこで降りたかというと、南弟子屈というちっぽけな無人駅である。実はここは今年のダイヤ改正で消滅する駅なのでT氏の強い希望で見に来たのだ。我々以外は誰も降りないだろうと思っていたら、外国人の旅行者が二人降りた。本当に降りる駅ここであってるのか尋ねようか、と考えたが英語がからっきしのコミュ障なのでまごまごしているうちに、二人は駅前の暗闇へと消えていった。とりあえず、この文章を書くまでに外国人遭難のニュースは聞いてないので大丈夫だろう。

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南弟子屈駅は古い車掌車を改造した待合室がトレードマーク(それ以外何もない)の駅である。待合室の中は殺風景で片側にベンチがある以外はがらんどうだった。小窓が並んでいるのがさらに寒々しさを醸している。しかし、利用者がほとんどいない駅にしては綺麗に掃除されていた。ベンチの隅にはくたくたの駅ノートが置かれている。たとえ一日数人でも、この駅を大切に使ってきた人たちは確実にいる。私は駅や路線が廃止になると仕方ないことと思いつつ、いつも寂しい気持ちになる。理由は説明するまでもない。

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折り返しの列車は約20分後にやってきた。この駅には、あと何本の列車がやってくるのだろうか。整理券を取って乗り込む。あたりは完全に真っ暗だ。

さて、しんみりするのはおしめえだ。ここは釧網サファリ本線だぞ、ドキドキがいっぺえだ!ちなみにこっから写真はほぼねえぞ!(唐突な悟空)

三日目 PM6:00 南弟子屈駅発

がっくん。
朝から動き回って疲れていたのでうとうとしていたら列車が急停車した。鹿と接触したらしい。これはまずいと我々は思った。なぜか。実は昨日、今日の予定を立てたとき我々は帯広に今夜の宿を予約した。しかし、この列車が遅れると帯広に行く最終便の特急おおぞらに乗り継げない可能性がある。予定では釧路での乗り換えは約15分、実はこの列車は反対行きの遅れの影響ですでに10分ほど遅れていた。このまま遅れが広がれば、今日中に帯広にはたどり着けない。しかし、我々が慌てたのもつかの間、早くも列車は運転を再開した。

ん?...いや、ちょっと待って、早すぎない?
まだものの2、3分しかたってないよ?

よく遅延することで知られる、わが故郷の湖西線と比べるとありえない回復力だ。乗務員が野生動物の遺体の扱いに手馴れすぎていて、彼らはたぶん狩猟民族として生活できるのではないだろうか。
何はともあれ一難は去った。しかし、一難は去って再び来襲することで知られている。
列車は定刻より12分ほどの遅れを保ったまま、釧路駅まであと二駅の遠矢駅を過ぎて湿原地帯を抜け、住宅地へと入りつつあった。いやーそれにしても焦った、これで何とか間に合うやろー、などと我々は一息ついた、そのときだった。

がっくん。

急停車。冷汗が出る。車掌が「またか」という面持ちで列車前方へ走る。まもなくアナウンスがあった。まあ、だいたい内容の予想はついた。

「えー、鹿と接触しました。」

うん、知ってた(爆)。ここにきて畳みかけてくるなサファリ線。一応ここは住宅地ですよ?
今回はさっきより衝撃が大きく、車輪が何かを踏んだような嫌な揺れがあった。たぶん野生動物との接触に日本で一番手馴れているであろう釧路管区の乗務員たちもさすがに点検に手間取っている。4分、5分、時間は容赦なく過ぎていった。

三日目 PM7:10 釧路駅

結局釧路駅に着いたのはおおぞらの発車定刻を10分ほど過ぎていた。結論から言うと、我々はこのおおぞら号に乗ることができた。そこにはK氏の暗躍があった。先に釧路駅へともどっていたK氏は我々から遅延の可能性を聞くと、特急が待ち合わせを図ってくれるかどうか、駅員に尋ねていたようだ。それが直接の要因かはわからないが、いつもニコニコしているK氏の摩訶不思議なプレッシャーもあったのだろう。特急は鹿に二回もぶつかったサファリ線の普通列車を待っていてくれた。我々はなんとか事なきを得た。
三人が力を合わせれば超えられない困難はないのだ。(三人中少なくとも二人はなにもして無いが文脈的にとりあえず合わせてみた)

さて、無事に特急に乗れたところでK氏の今日の行動を少し振り返ってみよう。彼は私とT氏よりも先にネットカフェを出て始発列車で根室へと向かった。根室からは大好きなバスで納沙布岬に行って特に何をするわけでもなく、また大好きなバスでまた根室に戻って列車に乗った。そして厚床駅でおりて地名の響きと田舎さとバスの膨大な待ち時間に感動したのか「あっとことことこ」とホームで叫び(本人談)、約二時間後に来たバスで中標津に向かった。中標津では5分乗り換えで乗り遅れたら今日中に中標津から脱出する手段がなかったらしく、ハラハラしたらしいが北海道の道に障害となるものはなにもなく(鹿以外)、ダイヤよりも早く到着しそうなくらいだったらしい。そして無事にバスを乗り継いだ彼はゆっくり釧路にもどってきた。バスには一日乗車券なんてものはなく、かかった費用は運賃だけで6000円を越えたらしい。彼の行動と思考は約二年の付き合いの私とT氏でも理解不能なものが多く、人類とは別のレイヤーに生きていると称されるが、なにかから解放されている感じがあって見習うべきものがある。

おおぞら号の中で約一日ぶりに再会した我々は特に感動するわけでもなく、三人でスマホをいじっていた。それは、まあ感動が薄いのはそうだが、我々はこの旅行のある目的のため行動していたのである。それはジンギスカンである。北海道まで来て、十勝平野まで来て、二回も来て、ジンギスカンを食べないわけにはいかない。

三日目 PM8:30 帯広

我々はスマホで帯広のジンギスカン屋を調べていたのだ(そんなに言うなら前もって調べとけ、という正論は受け付けない)。帯広に到着した我々はホテルに荷物を置き、調べておいた店へ向かった。ホテルのすぐ横にある焼き肉屋、平和園に入る。ドイツの民族衣装みたいな恰好の店員には少し面食らったが、客も多く人気店のようだ。メニューを見て、「定食」を頼む。これが大当たりだった。

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800円でジンギスカンと白ごはん、スープ、サラダなどがつく。運ばれてきた肉を焼いて食らう。もう聞き飽きたかな?
北海道はずるい!!
うまいんだよ、なんでこれが800円で食べれるんだよ、店心配になるよ、バクバク。追加の肉も一人前200円からと暴力的な低価格である。
可及的速やかに北海道に移住したい。

ホテルに戻って風呂に入ろうとしたら、大浴場はないので他のホテルのを使ってください、と言われた。そんなアホな、と思いつつ三人でタオルを持って凍てついた夜の街を数十mほど歩いた。タオルが凍ったら面白いなあと思って振り回す姿はまるっきし不審者である。着いたのは大きなホテルで大浴場を使っていいらしく、料金は泊まるホテルの宿泊料に含まれているらしい。なんだかよくわからないが、無料のものはありがたく享受するという信念に沿って行動する。夜遅いからか大浴場の人影はまばらで、露天風呂は三人で貸し切りだった。まあ露天風呂貸切自体は無理もない話だ。なぜか。
強烈に寒い。キンキンに冷えてやがる。冷凍庫の親戚かなにかである。強烈に寒い。キンキンに冷えてやがる。おそらく冷凍庫の親戚かなにかである。露天風呂が高いビルの壁の直下にあるので、上空から帯広の冷たい強風が吹きつける。露天風呂の入り口の前に立った時点で死を覚悟できる。浴槽までの数メートルが遠い。我々は決死の覚悟で風呂に飛び込み、地獄の中にも天国があることを知った。たっぷり30分はいたが、その間露天風呂への扉を開く者さえ一人もいなかった。ここは選ばれし勇者だけが来れる場所なのだ。しかし、勇者とはいえ、一度天国を味わうと、もう一度地獄を通って現世(脱衣所)に戻るのはなかなか難しかった。
心に覚悟がない者、心臓に持病がある者にはお勧めしない風呂だ。

風呂から何とか出た勇者たちは、セイコーマートで牛乳を買って濡れたタオルを振り回しながらホテルに帰った。勇者もとい不審者である。部屋はなんとも狭かったが、「宿」なんてのは最低布団があればよい。なくても安けりゃいい。牛乳を飲んで、倒れこむように寝た。明日は朝6時発だ。


読者諸君、ここまで約10000字、よく頑張ってくれた。北海道名物のソフトカツゲンでも差し上げたいところだが、あいにくケチなので各自入手してくれ。四日目以降の話はいつになることやら...












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