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28歳、土地を買う

最近、神奈川県横須賀市に家を建てるために土地を買い、地鎮祭を執り行いました。
(資産としての価値以外に)考えたことを忘れないために、特にオチはない話にお付き合いください。

事実上、借地。

土地の所有権を主張する、ということはヒト科の生物に限らないことで、僕の購入した土地もかつて誰か/何かが所有し、占有していた土地のはずです。

それはこの数十年という時間軸ではなく、そもそも所有という概念が理解されるより以前から存在することで、恐竜の縄張りだったかもしれないし、縄文人のムラだったかもしれないし、戦国武将の荘園だったかもしれません。
或いはアニミズムの神々の持ち物かもしれません。

地球の時間軸で考えれば、僕自身がこの場所にイエを構築し占有する時間など微々たるもので、いずれはイエも地へと還り、また草木が生え、それらの草が土地を覆い、占有していきます。
その草を別の生物が喰らい、その生物が他の個体を排斥し、またこの地を占有します。

強いて言えば、土地を買うということは、現時代を生きるヒト科の生物が、自らの集団を統治するために作ったクニという概念の元、僕に占有権を認めている、と言うことに過ぎないとも言えます。
かつてクニが幾つも潰えてきたことを考えれば、そんなことは悠久の時間軸の中にある地にとっては関係のないことです。

事実上、地を所有することなどできず、ただお借りする、というのが実態だと考えています。

この場合の貸主は誰になるのか考えると、地鎮祭を執り行う意味がわかった気がしました。

イエの構築。

いうまでもなく、イエという言葉は、居住する建築物という意味だけではなく、血筋や家族などの小集団も指します。

地元新潟の地で400年ほど続いた僕のイエは、末代の長男である僕自身が新潟から離れたことで、イエとして彼の地で再構築されることとなりました。

これは先月亡くなった僕の祖父が重んじていたイエの在り方ではなかったかもしれません。

代々守ってきた地を離れることの意味は軽くないことだと思います。

先の大戦をもろともせず、豆腐製造と製麺業で財を成し、街中の土地を買い集め、「街一番の偏屈ジジイ」と呼ばれ畏れられた曽祖父からすれば、全ての努力が徒労に終わったと思われるかもしれません。

しかしながら、僕自身がここに居ること、彼の地で新たに家庭を構築することで、イエは受け継がれるものと僕は考えています。

都合の良い考えではあるものの、イエと土地の接続は確かにあるものの、それは絶対ではなく、より重要なことがあるのだと思います。

必要なことはひとつだけ。

居住用の土地を買うにあたって、必要な条件は事実上一つしかありません。

信用です。

住宅取得にあたっては銀行に対して金を返せるか、という点に着目してしまいがちですが、信用の意味するところはそれだけではありません。

地に永く根付くためには周囲の人々との相互の信用が必要になるでしょう。

或いは、占有下にある土地を適切に管理し続けることへの信用もあるかもしれません。

或いは、家族という小集団を持続し続ける信用も必要です。

その購入額以上に、必要な信用は重く、また、土地を購入することで、標示することになった覚悟も重いものだと僕は考えています。

近所の方から「若い人が増えて嬉しいよ!」とお声がけ頂きました。
この言葉も歓迎の意だけでなく、近所の方がこれまで担ってきて、また僕自身もその責務を追う「地の持続」という意味を持っていると感じています。

銀行の審査は終わっていますが、今後は他の信用にも応えることも必要になってくるでしょう。

土地を買うということ。

ここまで、かなり封建的で前時代的な書き振りになってしまいましたが、土地の時間軸、というものに対峙し、素直に考えたことに違いありません。

金銭的な上限はあれど、ほぼ制約なく、何処の土地でも選ぶことができる中で、彼の地を選んだこと、将来に何があれど、ここでこの時に感じたことを記録に遺しておきたいと思います。

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