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Vol.22 仕事、やめるってよ

仕事、やめます。

仕事がつまらない。頭を使わずにただ同じ動きをする毎日。
何も進んでる気がしない。

うんうんとうなってこれじゃない。ああじゃない。
そんな苦しくも楽しい時間を過ごしたい。

目の前にいるお客様のため、全力で考えたい。
私にはこんな仕事なんてとプライドが高く孤独感を感じる自分。
もう嫌だ。抜け出したい。
つらい場所からさっさとおさらばしたい。

私は「仕事」をやめることにした。



私は苦しい中ここまで生きてきたというプライドが高く、
なかなか仕事に意味を見出せずにいました。

なんでこれを私がやらないといけないんだろう。
毎日同じ作業の繰り返しで思考停止状態。
ミスは増える一方。

来る日も来る日もボンネットをつける作業。
そんな自動車を作っている会社のように、毎日同じ単純作業だと離職率が高くなるという研究結果があります。
たとえ給料が高くても、です。

私は今人生の岐路に立っています。
これから同じ仕事を苦しいと感じながらやっていくのか、
もっと意味のあるものをやっていくのか。
それとも仕事の意味をとらえ直して頑張っていくのか……

「しらすちゃんはこれからたくさんの人を救っていくね」
そう言われて私は舞い上がってしまいました。
自分はもっと世の中に貢献できるんだと思い、今の仕事をナメることになります。

それが今の仕事に対するモチベーションを余計に下げることになりました。
こんなところで沈んでいられない。
もっと大きなことをするんだ。

こんな気持ちじゃ目の前の仕事に集中できないのも当然です。
だってお客様のことを考えられていないから。

仕事をすることで喜ぶお客様を想像できておらず、
お客様目線になれない。

クライアントが何を求めるかを考えず、できた自分に満足。
そんなの誰も求めていない。

お客様のことをいちばんに考えず、自分の力を証明したい衝動にかられ、
こなすことが目的となっているうちは、素敵な仕事はできない。
そう思いました。この気づきは頭の中に雷が落ちたようでした。

承認欲求が強い私は、「すごいね!」「えらいね!」と周りに言ってほしいらしいのです。
子どもの頃に認めてもらえなかった反動が、今大人になって出てきています。
それは子どもの頃の私を迎えに行けている証拠でもあります。
でもどれだけ迎えに行っても、認めてほしい衝動はおさまりません。

おさまらない程、苦しい思いをしてきたのかもしれない。
家族に注目してほしくてたまらなかった。
だから、注目してくれるのが嬉しくなって、はしゃいでいるのかも。

でもこんな私は嫌い。高校生のころに患ったうつ病、社会人になってから統合失調症になった自分。
許せない。
パフォーマンス高く保てていた自分はどこかへ行き、もう頑張れなくなった。
以前のようにテキパキ仕事がしたい。
周りをよく観察し、人の機微が分かる自分に戻りたい。

でも頑張れなくなったのは、他人のために頑張ってきたから。
自分のためでは一切ない。
親の心を満たすため。周りに注目してもらうため。
本当に楽しいと思っている大学生時代もそうだったかもしれない。

病気になったということは、頑張りすぎた証拠。
常に臨戦態勢で何かと闘っていた私は、もう力尽き、立ち上がれない状態にもなった。

そして、今の私はぽんこつに。
なぜこんなにもできないんだ。
できないから仕事を任せてもらえない。
新しいことをしたいのに、基礎的なこともきちんとできない。
それじゃいつまで経ってもつらいまま。
自業自得じゃん、って。



自分のことを知るってつらい作業だと思ってた。
けれどそんなことはなかった。
たぶん、どんなことでも受け止められるようになったから、
「あなたは今の仕事を下に見てるでしょ」
と図星をつかれても、動揺しなかった。
だって「その通り」だと思ったから。
「こんな」仕事、やりたくない。
そう思っているのは自分でもわかっていたから。

昔の私だったら被害者になって、
「なんでそんなに私のこと責めるの?!信じられない!」
って反応してた。
それが今では、「たしかにそうだな」と腑に落ちるように。

誰でもできるようなことをしている自分には価値がないんだ。
どうせ私がいなくても仕事は回る。
職場において自分の存在価値がなく、誰でも代わりがいる状態。
私にとってそんなにも苦しいことはない。
だって、無視されることほどつらいことはないって知ってるから。
あいさつをしても相手から何も返ってこなかった高2時代。
無視されるということは、存在していないのと一緒。
だから私にしかできない何かがほしい。

もっと勉強しなきゃいけない。今の知識じゃ足りない。
けど仕事におけるスキルアップは興味がなくてできない。
簿記やQC検定。読書やリサーチ。
勉強している人は何をモチベーションにしてやっているのだろう。

私は誰かに認められるために頑張ることはできなくなった。
いや、承認欲求が強いのにそれを認めたくないだけかもしれない。
とにもかくにも、評価のために頑張ることはできない。
それは、子どもの頃に周りの評価を気にしてがんばっていたから。

誰かの評価が入ると一気にやる気を失ってしまう。
それに楽しいからやっていることに対して、「何のためにそれをやってるの?」と聞かれることほどつらいことはない。
ただ楽しいからやっているのだ。
それでやらない理由を相手にこう言われたからという自分。
被害者面をする自分に嫌気が差す。

だから、私は「仕事」をやめることにした。
上司には仕事にプライドを持ってほしいなんて言われたけど、私からしたらプライドなんていらない。
こんなにも自分を苦しめるのだから、持っていたって意味がない。
だってそれが障害となって立ちはだかるのだから。



「想いが未来を創る」勝友美さんのことば。
私の想いは「生きづらさを感じている人が一人でもなくなりますように」

私自身、人嫌いだと思っていた。けれど本当に欲しいのは仲間だった。
思い返せば二人で何かに向かって頑張っているときほど楽しいことはなかった。
定期演奏会の準備、部活の個人戦に先輩と挑んだこと、先生と作り上げた論文……
他にもあるだろうけど、私が楽しいと思ったことにはすべて人が関わっている。

今でも孤独を感じる瞬間がある。
ライターとして活動しているとき、独りになった感じがする。
けれど想いを持って書き続ける。
向いてないと思いながらも書き続ける私は意外とキラキラしているのかも。

カウンセリング。自己理解を深め、プラスの方向へ。
コーチング。誰かの夢を実現まで近づける。
コンサル。二人三脚で未来を自分たちの手で作り上げる。

書きながら私にはこんな思いがあるだなんて今初めて知った。

人嫌いだと思っていた私はどこかへ行ったかもしれない。
しんどくても誰かがいてくれれば乗り越えられることもある。

それをいちばんに分かってるのは自分自身。

ずっと側で見てくれているのは自分だから。



もういいや。疲れた。何もしたくない。
それと同時に、私にはできる。何でも挑戦できる。

葛藤した思いが心の中にあって、苦しさを助長させる。

人間って矛盾している。
苦しいのに現状を維持しようとしてそこにいることを選ぶ。
変な生き物。

とはいいつつ私もそうだから何とも言えない。
変わるのって時間がかかる。
何十年もほったらかしにしてきた気持ちや考え。
そう簡単に変わるわけがない。

それでも私は進み続けたい。
その先に本当の幸せがあるなら。
当たり前を当たり前と思わない。
感性豊かな自分がいるなら。

あなたは十分頑張っているよ。
表情を見ればわかる。
今にも泣きだしそう。

あなたがあなたを見限らなければ、
未来はきっとよくなっていく。

信じることは生きる源。
あなたは今日も輝いている。
幸せな未来へ向かっていこう?
いつでもそばにいるよ。

私は今日をもって「仕事」をやめた。
これからはお客様のために作業をする。
世界中に笑顔をつくるために。

しらす

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