Vol.25 心の中の赤ちゃん

「行かないで。またひとりぼっちになりたくない。」

私の心の中にはもう一人の自分である、赤ちゃんがいる。

以前の私は赤ちゃんのことを醜い、嫌い、憎いなど、いろいろと理由を付けて責め続けてきた。

二重人格ばりに「お前はいない方がいい」「消えてなくなれ」。

そういった残虐な言葉を自分に浴びせていたと思うと、悲しくてしょうがない。

けれど今は、その暴言がおさまってやっとフラットな状態に戻ってきた。

そんな矢先。

また自分を苦しめる声が聞こえてきた。

「お前は無能だ」

「恥ずかしい存在だ」

私はこの言葉に飲み込まれそうになった。

けれどすぐに心の中に意識を持っていった。

するとそこには赤ちゃんがいた。

いつもは小学生くらいだけど、今日はとても幼い。

どうしているかを観察した。

泣いていたのだ。

こうして泣き叫んでいる自分がいるのはいつぶりだろう。

幼い頃、母はいつも早い時間に仕事に行っていた。

それも5時とか6時。早いときは4時出発だった。

私は本音では親のことが好きで、日中一緒にいられないことに寂しさを感じていた。

けれど忙しそうで、しかも仕事は家計のためだとわかっていたから「寂しい」なんて言い出せなかった。

心の奥の奥にある感情。寂しさ。

最近心の中の赤ちゃんとは仲良くできていると思っていた。

しかし、赤ちゃんが言った。

「嫌だ。離れていかないで。」
「一緒にいたい。」

どうやら前の職場を退職し、今月から新しい仕事が始まって、未知の世界に飛び込んでいるような感覚があるみたい。

そうやって毎日チャレンジして、前に進む自分を見て、赤ちゃんはどんどん置いていかれる、興味を持ってくれなくなると感じているのだ。

私は赤ちゃんの前でしゃがみ込み、こう言った。

「離れていかないよ。一緒に行こう?」

赤ちゃんはまだ疑いの目をかけている。

抱っこしようと思うと抵抗。

「自分の力で歩けるもん。」

「それよりゲームしよう?」

「ここから動きたくない。怖い。嫌だ。」

そっか。赤ちゃんは現実を見るのが怖いんだ。

前向きに私が変わってきてるから、心が追いついてないのかもしれない。

私は言った。

「ゲームしながら行こっか。」

「そうすれば他のことに集中しなくていいから怖くないでしょ?」

赤ちゃんは納得してくれたようで、車に乗せて次の目的地へ向かう。



寂しい気持ちが少し和らいだ。

この記事を書きながら私自身も泣いていた。

また寂しさと向き合わなければならない時は来るはず。

その度にもう一人の自分が納得してくれる方法で、焦らず自分を受け入れたい。

心に開いた大きな大きな「寂しさ」という穴。

ゆっくり埋めていきたい。

最後まで読んでくれてありがとう。

あなたも寂しさを抱えているなら一緒に解決していきませんか?

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