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倒錯した性との出会いの話

 こちらの感想でも書いたが、去年『あなたの頭を覗かせて』というアンソロジー集に参加させていただいた。表紙の赤い物体をテーマに、エッセイでも小説でも、自由に文章を書いてくださいというものだった。

 その中で私は、この赤い物体をSCPオブジェクトと見立て、報告書という形式で書いた。簡単にまとめると、この赤いものは怪しい団体が売っているアダルトグッズであり、挿入した物体が含む水分を全て出してしまう、使い方によっては人を殺すこともできる道具なのだという内容で書いた。いい意味でも悪い意味でも目立ってしまったが、主催者の人達にも面白いとちょっとだけウケたのと、何より自分が書いてて「スッとした」のが良かった。

 スッとした。私はいつかこういう内容のものを書くのではないかと思っていた。私が書いたこの「ハイグロディルド」という下品な作品には、原点となる出来事が存在した。


 小学三年生の頃、私が所属する教室では「水筒を教室後ろのロッカーの上に並べて置いておく」というルールがあった。効率よく水分補給がしやすくて、持ち帰りを忘れるのを防止する目的もあった。私達の教室は校舎の一階にあり、窓からすぐ道路が見えた。

 ある夏の暑い日、お昼休みがもうすぐ終わるという時だった。校庭で走り回っていた男子数人が汗をかきかき教室に戻って、ロッカー上の水筒にまっすぐ向かった。自分の水筒を手に取り、暑かったねと笑い合っていた。私はそれを見ていた。

 みんなゴクゴクお茶を飲んだ。そして水筒から口を離してすぐ、男子達が仲間のうち一人に向かって大声をあげた。「おい、お前口真っ黒やぞ!」教室にいたみんなが彼を見た。私も見ていた。困ったように「え?」と笑う彼の口の中は歯までもが全て真っ黒に染まっていた。

 教室の中は大混乱に陥った。まるで絵具を食べたみたいに真っ黒な彼の口は異様で恐ろしかった。

 お昼休みも終わりかけだったため、すぐに担任の先生がやってきて事態が報告された。その日午後の授業が行われたかどうかよく覚えていないのだが、彼は先生によってどこかに連れて行かれたように思う。

 次の日彼は普通に登校してきた。あの後どうなったのかみんなに質問責めにされた彼は困ったように笑っていた。私は輪に入らなかったけれど、かすかに聞こえた話によると、お昼休みまでは普通のお茶だったのに、いつのまにか水筒の中身が丸々墨汁に換えられていたとのことだった。特に体調に変化はなかったとも言っていた。

 みんなが不思議がった。一体誰がそんなことをしたんだろう。奇しくもその日はお昼休みに誰一人教室にいなかった。私も珍しく、友達がいないなりに校庭で遊んでいた。比較的早く教室に戻りはしたが、その時既に何人かのクラスメイトが教室に戻っていた。

 結局この墨汁すり替え事件の犯人は分からないまま約二、三日が経過したある日のこと。この日も教室には誰もいなかった。私も外に出ていた。

 お昼休みがそろそろ終わる頃、校庭から男子達が汗だくで教室に戻る。ロッカーに向かう。笑い合いながら水筒を手にする。勢いよくお茶を飲む。私はそれを見ていた。

 墨汁の時とは違う、一人の男の子が、水筒を傾けた次の瞬間、口の中に含んだお茶を勢いよく吐き出した。彼が家から持ってきた、お昼休みの前までは麦茶であったはずのそれは少し白濁がかっているが透明で、彼自身の唾液量とはかけ離れた程に粘性を持っていた。

 周りの男子達がギャーッと大声で叫び、教室が軽くパニックになった。幸いにもまた先生がすぐに教室に来たため、パニックはすぐに収まったが、さすがに今回は先生も動揺していた。彼は墨汁の時の子のようにどこかに連れて行かれた。その日も午後の授業をしたかどうか、よく覚えていない。

 その後の記憶は曖昧ではあるが、彼の親が学校に来て夜遅くまで話し合いをしただとか、病院に行って体調を診てもらっただとか、粘性を持ったあの液体は生臭くて気持ち悪かっただとか、そんな話を彼はしていたように思う。結局今回の犯人も分からないまま、先生も何も言わないので、うやむやになったまま終わった。事件は迷宮入りである。


 だが、私はこの出来事がずっと頭の隅に引っかかっていた。もう十年以上前の出来事だが、強烈な思い出として頭に残っていた。そしてそのまま、この出来事が私の中で何かの基盤になってしまったように思う。

 墨汁の時も、粘液の時も、彼らが教室に戻ってきてから水筒の中身を口にするまで、私はずっと見ていた。そして私は幼心に「これは性犯罪だ」と思った。

 もちろん、八歳にして性犯罪などという単語は知っているはずもないが、彼らを歪んだ感情で見ている第三者的存在がいて、その思いを水筒の中身にぶつけたのだ。墨汁は実験であり、きっと粘液が本番だったんだ。あの少し白く濁った透明のネバネバは、そいつの体液なんだ。唾液なのかおしっこなのか、それともまた違う何かなのか。それは分からないけれど、きっとそいつが身体から出したものを、そのまま水筒に入れたんだ。幼いなりに、強くそう思った。

 そして同時に、その考え自体が自分にとって非常に意外性が高く、強烈なものであった。私は驚愕した。小学三年生が仕入れる性的情報なんて、おっぱいだとか裸だとか、所詮はそのレベルなのだ。だから驚愕した。世の中には、自分の体液を、自分にとって性的ターゲットである存在に飲ませたいという欲望を持った人間が存在するのだ、ということに。そして、世の中には女子だけでなく、男子小学生を性的に見る人間がいるのだ、ということにも。性被害に遭うのは、女の子だけじゃないのだ。捻じ曲がった自身の感情を、他人にいとも簡単にぶつける存在がいるのだと。


 そして月日が経って去年、あのアンソロジーの依頼を持ちかけられる。どんな書き方でもいいから、この画像に写っているものをテーマに書いてくれ。そしてあの赤い物体を見た瞬間、この強烈な思い出が頭の中を駆け巡って、次の瞬間にはもう話のプロットが頭の中で完成していた。自分はいつかこうやって、この倒錯した性をテーマに何かを生み出すことが決まっていたのだな、と思いながら書いた。

 書きあがった時、自分の中で強い納得感があった。こんなものダメだと言われようが、中身を大幅に改変させられようが、こうやって書き上げたことに満足していた。頭の中に引っかかっていたものをやっと取り外して、飲み込むことができたのかもしれない。主催者からは否定もされず改変もさせられず、ありのまま受け入れて頂けたのは本当にありがたかった。

 私がアブノーマルないわゆる特殊性癖や性的倒錯と呼ばれるものや、マイノリティと言われるものに強く関心を持つのも、全てこの出来事がきっかけなのだろうなと思う。性というものは、いろんなものを捻じ曲げていく存在で、人間を一番動物的にさせる欲だなとつくづく思わされる。

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