<Vol.105>"美しい言葉"を発信できる人に共通すること

この本を読みました。

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幡野(はたの)さんは写真家です。

そして2017年に多発性骨髄腫を発病した、、いわゆるガン患者です。

本の冒頭にはこういった言葉があります。

「ぼくはガン患者だ。残念ながら治る見込みはないけど、あと数年であろう人生を楽しんでいます。」
「ガンであることを公表してから、おおくの人から励ましや応援のメッセージ(…以下略)をたくさんいただいた。ここまでは想定内…というよりも覚悟の上だった。」
「まったくの想定外だったのは、人生相談のメッセージがたくさん届いたことだ。」

この本は幡野さんがたくさんの人生相談に答えていく、という内容です。

そしてそこに載っている言葉の数々は、誰も傷つけることのない優しさで溢れています。

どうしてこの人はこんなにも美しい言葉を発することができるのか、、今日はそんなことについて考えてみようと思います。


<言葉とお金は同じもの>

口にする言葉、文字にする言葉、、

「言葉」というのは一体何なんでしょう。

構成するのは、"あ"〜"ん"までの50音です(濁音等を入れればもう少しありますが細かいことは気にしない)。

この音をどう紡ぎ合わせるかによって、美しくも、汚くもなりえます。

そして自分自身に使うこともできれば、他者に対して送ることもできます。

これって、、

「お金」の性質にとてもよく似ていると思いませんか?

使い方が自由であり、交換ができ、保存もできます。

ただ「お金」はとても大切に使うのにも関わらず「言葉」はそこまで大切に扱わない…という人がいます(先日あったSNS被害による悲しいニュースがまさにそれです)。

これは何が違うのでしょうか。

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人間はそもそも「稀少性」があるものに価値を感じる生き物です。

つまり、限りあるもの(数が少ないもの)であればあるほど、大切に扱います。

「お金」はまさしくここにあてはまるでしょう。

ただ「言葉」はここにあてはまらない…と考えてしまっています。

言葉は自分の意思次第でどれだけでも発することができるので、稀少性が小さく、価値を感じにくい傾向にあります。

…ただ、、

それって本当?と僕は思います。


<有限であることを知る、だから大切にできる>

幡野さんの発する言葉がなぜこんなにも優しく、そして美しいのか、、

その答えはまさにここにあると思います。

「ぼくはガン患者だ。残念ながら治る見込みはないけど、あと数年であろう人生を楽しんでいます。」

発信できる時間に限りがあり、発信できる言葉の数にも限りがある、、

そのことを明確に自覚しているからこそ、1秒をそして1文字を大切に扱うことができるのでしょう。

「幡野さんって、すごいなぁ」

そう思う気持ちもありますが、そう思ってはいけないという気持ちもあります。

(僕自身も含めて)自分が「健康である」であると感じている多くの人たちは、人生がまだまだ先までずっと続いていて、無尽蔵に時間があると勘違いしてしまいがちです。

たくさんの時間があり、たくさんの言葉数があると思っているから、無駄なことをしてしまったり、無駄なことを言ってしまったりするわけです。

無限の時間、無限の言葉などありません。

もし自分に残されている時間が残り○時間で、、

もし発信できる言葉が残り○文字だとしたら、、

あなたは残りの時間と言葉を何に使うでしょうか。

きっとSNS上での誹謗中傷なんかには使わず、大切な人への感謝や好きな人への想いを伝える時間(言葉)に使うと思います。

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残りの時間も、残りの言葉数も、今この瞬間に確実に減っているという事実に目を向けましょう。

そう思えば、誰も幸せにできていないことに使う時間と言葉のもったいなさに気付けると思います。

僕にも、そしてこれを読んでいるあなたにも、最後の1日、最後の一言が必ず来るんです。

それが魅力的なものであるように、今を大切に生きないといけませんね。

では今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました^^

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セラピスト特化型の人気コラムです。普段セラピストを教育する立場にある筆者が、セラピストとして大切なことをギュギュッとまとめてお届けします。

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