2022年、7月。


昨年の7月、ずっと行方が分からなくなっていた伯父が亡くなったと知らされた。



伯父とは私が中学二年生まで同じ屋根の下で暮らしていたが、その頃から既に彼には放浪癖があり、数ヶ月間誰とも連絡が付かなくなることも屡々であった。
最後に姿を見たのは私が十九の時であり、以来一切の関わりは無い。

実に十四年振りに再会したその姿はあの頃からめっきりと変貌を遂げ、皺は増え、頬は痩せこけ、毛髪は九割が白く、正に"老人"と言ってよい風体だった。

そしてもう、言葉を交わすことは出来なくなってしまっていた。

訃報を知った数日後、遺品整理の為に伯父が住んでいた部屋へ行くと母から聞いた。
男としてはきっと見られたくないものもあるだろう、と半ば嫌々ながらも「俺も行くよ」と言ったが、気を遣われたのか、それとも他に何か思うことがあったのか「ひとりで大丈夫」とあっさり返された。

また後日、部屋を撮った画像が送られて来たが、これがまあ一目見てわかるゴミ屋敷だった。

単身にしては広すぎる部屋のフローリングは見えない程にゴミの入った袋が敷き詰められており、おそらくロフトベッドの上だけで生活していたのだろうと容易に予想できるくらいに、それらが積み上げられていた。

しかしそれでいて、散らかっているというよりは乳白色の袋が無数に置いてあるといった感じで、目に確認出来る壁や設備はかなり綺麗なままであり、そのミスマッチな様相にはどこか不気味さを覚えた。

通夜だったか火葬だったかの際、母は伯父の同僚の方から色々な話を聞いたそうだ。

職場では頼りにされ、大変慕われていたこと。
晩年、体調を悪くしていた伯父を心配し差し入れを持って行こうと何度も連絡したが、最後まで拒否し続けられたこと。
かなりシャイな性格で、写真に写るのを常々嫌がっていたことなど。

その為、職場から譲り受けた写真はニ枚だった。
こちらからすれば空白の十四年間。
膨大な時間、彼は確かに存在し生活していた筈だが、それを物理的に証明できるものはたった二枚の写真だけであった。

話を聞けば聞く程、幼い頃一緒に暮らしていた時のイメージとはかなり乖離した印象を抱いたが、その疑問もすぐに解けた。

思えば私はまだ中学生の餓鬼で、自身や家族に対する接し方ひとつで、他者が(それも歳が倍以上も離れた大人が)どのような人間かなど深く理解出来るはずもなかったのだ。

そして今になってようやく少しわかった気がする。

彼は、おそらく二律背反でしか生きられなかったのだと。

汚い部屋が嫌だと思う一方でゴミを捨てるのが面倒なように、
人が好きなのに人と極力関わらずに生きたかったのだろう。
その暮らしを積み上げていき、あの異様な部屋のような矛盾が膨れ上がった結果、孤独に死んでゆく最期を選ばざるを得なかった。

そして各地を転々とする放浪癖がありながら最終的に遺体が見つかった伯父の棲家は、実家からはそう離れていない場所にあった。
こんな近くに居たのかと、これには家族一同驚いた。

いつか私たちに会いに行こうと考えていた、
そう思いたい。

偶然会えたらと思い近くに住んでいた、
それでもいい。

けれど、生きている内には終に会えなかった。

考えれば考える程に何ともやるせない感情が湧いてくる。

わかった気がすると前述したが、理解しようと寄り添えたというのが正しいのかもしれない。

見えそうで見えない、乳白色のぼやけた心の内を覗く事はもう叶わない。

二枚の写真に写る伯父がどちらも微笑んでいたことが唯一の救いだと反芻し、「まぁいいか」と今はただ、かろうじて心のモヤを無理矢理に晴らすだけである。

もうすぐ、一年が経つ。

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