見出し画像

容姿コンプレックスなのに面食い

鏡の自分とひたすら対峙する瞑想があることをご存知でしょうか?

わたしも詳しいやり方等は知らないのですが
何年か前に
わたしの大好物「マニアックな人」からチラッと聞いたことがありました。

当時、1回やってみたのですが
じーーーーっと自分の顔を見続けることに耐えかねて
1回で終わらせてしまいました。


その後、すっかり忘れていたのですが
先日ふと思い出してやってみたんです。

そしたら過去の未消化な感情が出てきて
「あぁ、そんなことあったな、あれ嫌だったな」
集合意識の秘儀を使って統合して昇華しました。


そしてついさっき。
また思い立って鏡に向かってみたんです。
そしたら今日は「顔」に関する色んな過去にめぐっていき
わたしは容姿に関して
いろんなことがあったなと思い出しました。

正直に言うと自分の顔が好きではなかったし
若い頃は合コンに行くと
可愛い子がもてはやされ、疎外感。

子どもの頃、母に笑ってほしくておどけキャラしてたように
無力な自分を隠すようにおもしろキャラやってみたり
気の利くキャラやってみたり
色々工夫してきました(あぁ、涙ぐましい)


容姿で判断されるのは
わたし自身も容姿で人を見ているから。
タイトルはわたしのことなんです。
コンプレックスあるくせに面食い。
容姿の重要度高めです。

こればっかりはしょーがないと思ってました。
だって、美しいもの好きだもん!

で、話それちゃったので戻しますが
自分と向き合うことで嫌いではなくなったけど
特別好きか?と言われたら即答できないと思っていたわたしの顔。


じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと
鏡の自分と見つめ合います。




よくやってきたよなぁ。
大変なときもよくやってきたし
(固定記事参照)
子どもの頃もよくやってきたよ。

この魂の器でもある
わたしの身体、本当によくやってきたね

という想いが込み上げてきたんです。

今まで身体ってあって当然
とすら思わないくらい当然に思ってました。

扱いも雑でした。

込み上げてきたあとから
急に
愛おしくなって
ガシガシとマッサージするのではなく
優しく触れてあげたいと思ったのです。



この顔でいること
このニキビ跡のクレーターでいることも
自分にとっては必要だった
それでも愛して結婚してくれる人がいて
子どもには無邪気に氣持ち悪いって言われてガッカリして(泣)

でも、大切なのは造作じゃないんだと
どう生きてきたか?
どう生きるか?
自分の顔を見てたら心からそう思えました。

(それでも美しいもの、整ったものは好きだけどねー)


集合意識の講座を学んで
「自分を許し愛する」
向き合ってきましたが、心を許して愛することはできても
容姿はずっと向き合ってこなかったように思います。

それが今日「愛する」の
「あ」くらいできたかな。

扉が開き始めれば
あとはこっちのもの✨

愛するお顔になったらどうなっちゃうんだろう😆
なにか変化があったら後日談としてnoteに書こうと思います✨

とりとめもない文章で長くなってしまいましたが
最後まで読んでくれて
ありがとうございました😊

丁寧に自分と向き合うと発見しかありませんね😆

よろしければサポートお願いします。 いただいたサポートは自分を知るための勉強に使わせてもらいます✨