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自分の気持ちが本気でわからないINFJ



※この記事はINFJの私が個人的な考えを書いたものであり、INFJを代表するものではありません。


「自分の気持ちがわからない」

INFJさんの悩みでよく聞くなと感じています。

一般的に、自分のことは自分がよく知っているもので、
客観的状況ならまだしも、「気持ち」となるとますます周りが知ることのできないものになってくると思います。

しかしINFJにとってこの「自分の気持ち」を読み取ることが、比較的困難になる心のからくりが存在しているような気がします。

今回は、INFJの私が「自分の気持ちがわからない」と思っているときに心の中で起こっていることについて描写することで、そのからくりを何となく紐解いてみようと思います。


はじめに言っておくと、この記事では決して「INFJは誰もが・いつでも自分の気持ちがわからない」「INFJは自分を認識する能力がない」「INFJ以外はみんな自分の気持ちがちゃんとわかる」「INFJの周りが気持ちを察してやれ」などと言いたいわけではありません。

また「自分の気持ちがわからない」ことを「私がINFJであることが唯一の原因だ」と言うつもりもありません。

いつも読んでいる方には何度も言うことになってしまいますが、今回も「INFJ」という言葉を「わかる人とだけの合言葉」として使わせていただき、この記事を書こうと思います。

なので、少し極端な表現や説明不足な箇所もあるかと思います。ご了承のうえお読みください。

直近のINFJ関連の記事では「公式MBTI」の記述に触れましたが、今回はいつも通り16personalitiesでいうINFJについて書いていますので、ご注意ください。


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「気持ちがわからない」とはどういうことか


私の場合、自分の感情を認識する場面も当然ありますが、
「どうしても自分の気持ちが見えてこない」
「なんか自分の気持ちに到達するまでに色々な障害物が存在する
と感じることがかなり多いです。

障害物が多いと、まずはそれの是非を問うことから始まって、対応に時間とエネルギーを使ってしまい、結局自分の気持ちや本音にたどり着けないまま次に進むしかなかった、なんてこともよく起こります。

また、かなり時間が経ってから「あの時自分の感情はこうだったんだ」と気づいては時すでに遅し、なんてことも。

事が終わってから自分の感情に気づくことで、自分で自分を守れなかった悔しさと共に負の感情が増幅してしまうこともあります。
結局もうそれは周囲にとって終わったこと・関係のないこととなっているのもわかっているので、本人がたった一人で感情に飲み込まれていくのです。
それはとても辛いことだと思います。

また、いざ安心できる環境で自分と向き合おうとしていても、どうしても言語化できなかったり形にならない思いがあったりして、「自分の気持ちなんて始めからないんじゃないか」「見ても無駄なんじゃないか」と結論づけ、
せっかく「自分を大切にしよう」と気づき始めても、また周りばかりを優先する生活に逆戻りして落ち着こうとしてしまいます。

このように、「気持ちがわからない」と言っても、全くわからないわけではなく、なかなか辿り着けないもどかしさや、扱いの困難さ、自分の気持ちに対するプレッシャーなどが折り重なって、辛さにつながっていると考えています。



どんな気持ちがわからないのか


「自分の気持ちがわからない」というのは、私の場合主に以下のような感情を見ようとする時に起こります。

・「嫌」「疲れた」「こんなの悲しい」「怒ったぞ」などのの感情
・「これがしたい」「あれがいい」というの感情

特に人と接している時は、まるでベールに包まれているかのようにわからず、自分のことなのに不思議な気持ちになります。

逆に、「ありがたいなぁ…」「あの人素敵だなぁ!」「今日の気候最高〜」などという人や外界に向けるプラスの感情は、比較的大きく感じやすいと思うのですが、皆さんはどうでしょうか。

「嬉しい」「楽しい」などの自分の中で起こる純粋なプラスの感情については、わからないわけではないのですが、そもそも自分の気持ちがわからず疲弊しているとそれを感じるまでに至る事が難しいので、特にこれを読んでいる方は感じる事が少ない方もいるのではないかなと思います。
また、純粋なプラスの感情を感じるくらいなら、「こうするべき」のような思考を優先してしまうことも多いのではないでしょうか。

まとめるとINFJの私にとって、負の感情や欲の感情はわかりにくく、プラスの感情については外側に向けるものはわかりやすく、内側で起こるものは優先度を低めてしまう癖がある気がします。


「自分の気持ち」の前にはだかる障害物


先ほど「自分の気持ちに到達するまでに色々な障害物が存在する」と言ったのですが、一体どのような障害物なのでしょうか。実際に私が感じたことのある障害物を挙げていきます。


「それを思ってしまうのは良くない」

これは負や欲の感情を感じた瞬間に思います。「思う」というか、自分の核となる美徳が反射的に反応する感じです。これが起こるため、本来の感情が感じ切られる前にどこかへ行ってしまいます。
道徳的な学習体験からこの思考に至っているというよりは、本当に自分の中で大切にしているものに引っ張られるような感じです。少し違う見方をすると、守らなければ今後不利益を生じるので、従わなくてはならないという感覚もあります。
正直これが数ある障害物の大半を占めていると感じます。この後にもいくつか書きますが、それらを理由にして最終的に何故かこの「思ってしまうのは良くない」にたどり着き、感情を捻じ伏せる事が多いように感じます。


「私も人のことを言えない」

誰か他者に対して負の判断を下すなどして負の感情を感じた時に考えることです。他者に向いていた視点が自分に向き、不平等はないか照らし合わせるような心の動きが自然に起こります。
一つ前の項目と違うところは、負の感情を感じてほんの少し時間を置いてから浮かんでくる思考である点です。だいたい「感情→行動」の間に起こり、感情が表面化するのを防ぎます。
感情と思考が自分の中に共存する可能性はありますが、感情に向ける目を曇らせる一因になることもあります。


「完璧になるまで言えない」

他者に対する負の感情や、自分の中にある欲を感じた時に考えることです。この思考の要因の一つとして全体を見渡してバランスをとろうとする心の動きがあります。負の感情や欲は外界に波を立たせるものとなるので、全体のバランスを重視する場合は無視しようとする働きが起こります。
もう一つの要因としては様々な他者の視点になりきり反論に敏感になるような心の動きがあります。他者の視点を注視する場合、たとえそれが単なる「可能性」であっても自分の感情は抑え込むことになります。また、反論があった際に対応する手段を持ち合わせていないのもこれに拍車をかけていると思います。
これも一つ前の項目と同じで、感情の少し後に浮かんでくる思考でありながら、感情を見えにくくさせる要因ともなります。


「こう思うのは、今の調子が悪いだけだ」

これは感情が起こってからそれなりに時間が経ってから考えることのように思います。感情は思考に比べると短期的な性質が高いため、特に長期的な目線で先を見据えることの多いINFJはこのような思考を優先することもあると思います。実際に自分と向き合う時間をとってから、この考えを取り入れることによりマイナス思考に飲み込まれることが減ったので、メリットもあります。しかし逆に言えば、一時的にとは言え実際に起こった感情を「なかったこと」にしてしまうこともあります。前述してきた思考と掛け合わさり、「気持ちがわからない」に拍車をかけることも多いです。


「そんなのは理想論だ」「常識的でない」

これも感情が起こってからそれなりに時間が経ってから考えることです。
上で「他者の視線になりきる」という説明をしましたがこちらはより多くの視線の集合体で、こうした心の動きも起こりやすいです。
本来は何が「理想論」や「常識」であるかというところは人や文化それぞれであるため、あまりに押さえつけがひどいと過度な客観視に陥っている状態とも言えます。
自分の論理性や社会性に自信が持てないとこの思考が強まる傾向にある気がします。


ここまでで5つの「障害物」について話してきました。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、これらは全て”思考”にあたり、感情とは別物です。
そこを切り分けて考えることがとても大切になると私個人は思っています。

しかし…厳密に言うと、これらの”思考”も実は自分の大事な感情と繋がっているので、厄介です。
(混乱させるようなことを言ってごめんなさい。)

INFJは独特な思考回路や倫理観を強く持っている傾向があるため、このような厄介さを招いていると考えています。

では、そんな倫理観は捨ててしまえば楽になるのでしょうか。
それとも自分の気持ちを捨てたほうが、楽になるのでしょうか。

次にその辺りについて私の考えることを述べたいと思います。


倫理観を捨てるべきか、沸いた感情を捨てるべきか


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