負の感情はNo. 1にはなれない

負の感情からの表現はナンバーワンにはなれない。

どういうことかというと、例えば「自分のコンプレックスから作った服です!」の様なアンチステレオタイプ、と言ったらいいのか分からないが、「自分のような人間にも輝ける権利はある!」というような思いから社会に対するメッセージ性のある物作りがあるが、そういうのは決してナンバーワンにはなれない。

そういう人達が悪いとかそういうのではなく、結局そもそもの感情が「執念」とか「負けず嫌い」みたいなものをエネルギー源としているし、それが例えば「負けず嫌いで勉強を頑張って東大に行った」であれば「高い学力の獲得」ということになるが、例えば高身長の男性がモテる傾向にあるが「低身長男性でもモテるファッションブランド」みたいなものは話題性等にはなるかもしれないが一般的な服に比べたら売上も限られてるし,ブランドの知名度やトップのブランドになるには限界がある。それは女性のファッションも同じだ。貧乳のためのお洒落な服,と言われても巨乳に見える用の服の売り上げと比較すると、結局は未来が見えてしまう。

そもそもファッションって「今の自分を生かす」っていうのも有るかもしれないが、根本的に「こうなりたい自分」を追い求める方が楽しいものである。ファッションに限らずだが。だから頑張って今の自分を最大限にコンプレックスをよく見せる、とかはやはり精神衛生的にも苦しくなってしまうのではないだろうか。

アーティストなんかも「社会に受け入れられない自分を表現しました」みたいなのは、ある程度の知名度は得られるかもしれないが、そういうのって結局「マイノリティな表現」なのだ。それを見て何も感じない人も多い。しかし例えば、単純に「誰かを好き」と言う気持ちを歌にした曲なんかは普遍的なものであるし、大衆の共感覚も得やすいし、消費者である視聴者としてもポジティブな気持ちは受け取りやすい。しかし、前者の「承認欲求」みたいなものは共感覚がある人なら「分かる!やっと代弁してくれた!我が神!」みたいに思うかもしれないが、共感覚が無い人にとっては理解も難しいし、「自分」の主張が強すぎてちょっと億劫になってしまう。

この様に、ポジティブ(前向き,のみではなく普遍的で感情の起伏が強くないものも含む)な物は大衆のニーズも得やすいが、ネガティブなものは下手すれば独りよがりチックにも成りかねないし、結局はやはりふつーに「人気なもの」がビジネスモデルとしても将来性がある可能性があるだろう。

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