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#126 映画オッペンハイマーを観賞して考える 24/3/31

みなさん、こんにちは。
今日は、映画「オッペンハイマー」を観た感想をもとに考えたことを整理します。

作品は、原子爆弾の開発に成功し「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に、彼の栄光と挫折、苦悩と葛藤を描いた歴史映画です。監督は「ダークナイト」「インセプション」「TENET テネット」などのクリストファー・ノーランさんです。

まず、封切り初日と翌日の2日連続で観ることになりました。それは、1回ではわたし自身の理解、咀嚼が至らなかったからです。3時間の長編ですが、ノーラン監督ですから冗長的で飽きることはありませんし、内容もそれほど難解、複雑ではありません。ですから、作品のメッセージを、レイヤー1の表層的な咀嚼をすることはできます。ですが、わたし自身がレイヤー1の理解、と違和感を覚えていたため、もう1度観ようとなりました。

さて、いくつか自分なりに受け取ったメッセージを棚卸ししながら整理します。

まず、「賢者は歴史から学ぶ」とはよく言われることですが、それはどういうことか、とちゃんと考えるに至りました。
歴史から学ぶとは、「後世の人だからできる後講釈であるが原則」と当たり前のことに気づき直しました。
「歴史」なのですから当然です、とツッコミを受けそうです。

これは、わたしたちの仕事に置き換えてもまったく同じ構図だと考えます。企業活動の単位でも、自分の職務範囲においても、何かの問題解決を続けているのが仕事の原理です。そのとき、その瞬間は「最も適切だ」と判断して決めた解決策を実行しています。そして、1~2年の短期間で出た成果の良し悪しに従い評価がされます。

一方、数年後にその取り組みがもたらした成果とそれによって今ここにある現在、から見たときに、「成功の転機だった」「間違いだった」「誤った判断だった」「失敗だ」と過去を振り返り新たな見解を得ることが往々にあります。

これが失敗だったと後講釈する場合は特に、歴史から学ぶ、になります。

「オッペンハイマー」に置き換えれば、原爆を開発する選択、そして開発できた成果、それによって戦争を終わらせた成果に喜び、称賛されました。メディアが博士を「原爆の父」と時代の寵児に扱ったことがその象徴です。

一方で、博士本人は、その戦勝直後には、さらに強力な水爆開発への反対を示す意味もあったのか、ロスアラモス(原爆の開発場所)の閉鎖を決めます。博士は、原爆を開発し戦争を終わらせた成果を失敗とはしていません、一方、自分たちが開発した原爆が世界を破壊したことに対する後悔や葛藤の側面が生まれていました。

今後未来における世界の戦争が生まれることを終結させるために開発した原爆が、今現在の世界情勢をみればむしろ、核保有による世界の均衡、を作り出してしまったことが、後講釈として「歴史から学ぶ」につながると考えます。オッペンハイマー博士は、原爆のように、こんなに恐ろしい兵器を、ひとたびでも人類がその結果の光景をみれば、二度とそんなものを作ることはなく、世界から戦争がなくなる、と考えていました。

こうしたことから、わたしが歴史から学ぶのは、おぞましい武器や恐怖が、それをもたらす行為(ここでいえば戦争)やそれに向かう考えや欲望を抑止することはない、です。権力の魅力には抗えない、です。

「オッペンハイマー」の世界でいえば、核がもたらす結果を見ることで二度と世界に戦争を生まないと考えたことが、180度反対の、核保有によって均衡が保たれる世界、いつでも戦争がまた起きうるチキンレースを生んでしまいました。

ここから学ぶのは、「ものごとはこれで完全解決・完了、と予想したどおりの結果にはおよそならず、むしろその状態から、MoreMoreと加速させる」です。
仕事ではまさにその構図だと心当たりが山ほどあります。1つの問題解決がまた新たな問題を生む構図です。ここからは、おそらく逃れられないのではないでしょうか。短期的に、たとえばまったく新しい価値が生まれたときに、一時的に問題解決が新たなそれを生まない時間が少しだけある、くらいでしょうか。インターネットが生まれるなど。ですがこれも、少し時間が経てば、別の課題に生まれ変わります。たとえば新エネルギー資源の開発です。

さて話が膨らみました。
「オッペンハイマー」に戻ります。やや作品のネタバレになりますが、オッペンハイマー博士が晩年に勲章を授かるシーンがあります。その文脈には、当人を称えるために与えられるのではなく、その周辺の人(特に否定していた人や妬んだ人)たちのためにそれは与えられる、との一節があります。

この一節は、とても気づきがあり、メッセージとして強く残りました。贖罪といえるのかもしれません。
何かを進めるそのときには、反対・否定をしていた、妨害した、あるいは妬みから裏切ったなど、特に非協力的だった人たちに「施し・赦し」を与えるために、成功者を称える(儀式がある)のだと、とても「わかった」感覚を持てました。これも後講釈だからできる、歴史から学ぶ、だと考えます。

さて、みなさんは、映画ほか芸術・文化から最近学んだことにはどんなことがありますか。
それでは、また。

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