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マレーシア総選挙傍観記・後編

※これは、1年以上前にフェイスブックで書いた記事の転載です。

マレーシアの共謀罪「ISA」

マレーシアでは「国内治安法(ISA:Internal Security Act)」と呼ばれる法律がある。これは、植民地時代に定められた「有事法」の条項が起源であり、何かしらの行為が国家の治安や経済に対する有事とみなされた場合には、政府には裁判なしの拘留、処罰などの権力行使が認められている。
言うまでもなく、これによって国民の政治参加や表現活動は強く規制されることとなり、2009年8月には首都クアラルンプールで大規模な反対デモが起こっている。それに対して、警察は放水車や催涙ガスなどで鎮圧を図り、600人もの逮捕者が出たという。

投票日が近づくと日本でおなじみの候補者の名を連呼する投票呼びかけがないので、私は「有権者はどのように候補者の名を知るのだろう?」という疑問を感じたものだが、このISAの影響で、マレーシアの選挙では街頭演説などのデモンストレーションができないということだった。

その頃、クアラルンプール郊外に住んでいた私にとって印象的だったのは、圧倒的な数の与党及びその候補者のポスターであった。与党を象徴する色は青、野党が緑であったが、街の風景は青に塗り替えられた印象がある。私の周りのマレーシア人の間では、マハティール率いるPH(野党)が人気だったが、旗色は断然ナジブのBN(与党)が優勢に見えた。

ニュースによれば、都市部の住民や中間層にはマハティール支持が多いが、地方や既得権益層には与党が強く、それは長年にわたる政権との癒着、はっきり言えばバラマキによる利権政治が根付いているからだと知って、私は日本の状況との酷似性を思わずにいられなかった。マハティールは選挙戦を通じて「腐敗した国を変え、国民の誇りや民主政治を取り戻そう」と有権者に訴え、それに対して与党は「我々がこれまでこの国の経済の発展を支え、これからもそれを続けられるのは我々なのだ」と主張していた。これもまた既視感のある応酬である。

しかし、マレーシアにおける与党による野党への選挙妨害は日本以上に熾烈かつ露骨であった。「フェイクニュース法」を解散直前に成立させたナジブは自身の公的資金流用疑惑(1MDB疑獄)への批判を封じただけでなくマハティールに同法違反の容疑をかけ、これにより与野党の対立はいっそう激化した。また、与党に有利となるように選挙区割りを改定し、投票率を抑えるために選挙期日を平日に設定。これは当然ながら投票率が高くなると野党に票が集まる傾向を警戒したためである。ただし、強い批判を受けたため、投票日はのちに公休日となった。

投票日の5月9日は水曜日であった。週末までに二日空くので、マハティールは野党が勝ったら10日と11日を祝日にするという公約を出し、それに対しナジブは週明けの二日間を祝日にすると言い出したそうだ。その話を聞いたとき、思わず笑ってしまったが、私の想像以上に与野党の攻防は激しかったことをのちに知ることとなる。
この時期、日本大使館からは在留邦人向けに外出を控えるよう警告が出されていた。与党が圧勝するかに見られていたこの総選挙は上に書いたような妨害だけでなく不正が行われていた疑惑も濃厚であり、どちらが勝ったとしてもテロや暴動が起こりそうな一触即発のムードさえあったらしい。しかし、それは杞憂に終わった。

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選挙翌日の5月10日、この日は木曜日だったが、野党勝利のため公約通りに週末を含めて四連休となった。私の職場は日本人顧客を対象とするマレーシアのLCCエアアジアのコールセンターだったため、通常通りの勤務だったが、のちに代休を取れるということだったので、誰もがこの降って湧いたような休暇を歓迎した。

マレーシアの政権交代を日本の野党共闘に活かせるか

しかし、説明のつかない違和感を抱いたのはその日の昼休み、食事をとるために外に出た時だった。あたりは不思議な静寂に包まれていて、通行人も車もいつもより明らかに少なかった。

いつもランチに行くカフェは休業しており、飲み物を買いに入ったコンビニエンスストアの棚は強盗にでもあったのかと思うほど何もなかった。この非常事態は週末まで続き、クアラルンプール中心街にある日系老舗デパートのデリカテッセンで買ったサラダのドレッシングから明らかな異臭を感じたとき、私のなかにあった小さなひらめきは強固な確信へと変わった。それは、今の日本で自民党を中心とした政権を交代させることは無理、ということだ。

日本経済新聞は、この選挙での野党の勝因を次のように分析している。「これまでの支持層だった中華系に加え、ナジブ政権の汚職体質に嫌気を募らせたマレー系の支持も獲得。15年の消費税導入後、物価上昇に苦しむ中低所得層らの不満の受け皿にもなり、全土で票を積み上げた(5月10日)」。

ナジブ政権と似たような状況の日本で何度選挙をやっても野党は負け続け、自民党の支持率ばかりが高くなるのはなぜだろうという疑問は、その週末、「日本はこのままでは変わりようがない」という絶望にも似た確信に変わった。
コンビニのガラガラな棚、カフェの突然休業、有名デパートで売られていた腐敗した惣菜。これらは物流の機能不全を意味している。日本では大災害でも起こらない限り、こういう事態はまず起こらない。なぜなら日本人は「物がない」「買えない」ということに耐えられないからだ。世界最高と称えられる日本の流通ビジネスのサービスクオリティは、日本の消費者の高い要求水準によって作られていると言ってもいいのだが、それは当然ながら「お金を払えば対価に見合った物やサービスが手に入る」ということが大前提となっている。

一方、マレーシアでは物資の流通は割と日常的に滞る。物資だけでなくサービスも今の日本のように「求めたときに供給される」ということが当然ではない。イスラム教においてもっとも大切にされる礼拝の習慣は、日常業務を何度も中断させるし、インフラの不整備による断水や停電もよく起こる。ここでは日本にいるときには「お金で解決」できたことが、「どうにもならない」ということを何度も経験した。

こうした事態に当事者であるマレーシア人たちは慣れきっているし、必要な時には、かつての日本でもそうであったようにコミュニティ内で協力し合うことで対処しているのだろう。それは実際に隣のコンドミニアムが断水になった何日間か、友人がうちで食事をし、シャワーを浴びるということがあったときに実感したのだが、物やサービスが乏しいと、人は協力せざるを得なくなり、コミュニケーションが密になる。

マレーシア人の友人に、この選挙についてのコメントを求めたとき、彼は「国民はずっと政府が変わることを願っていて、そのチャンスをうかがっていた」と答えた。おそらく、こうした物やサービスの「不足」について、その原因について情報を提供しあったり、今後の展開を推測したりすることで、現状に対する不満や希望を共有しやすい環境があったのだと推察する。マハティールが希望同盟に与したことは、彼らにとっての大きなチャンスであり、だからこそ強い協力体制で臨んだのがこの選挙だったのではないか。

日本でも2015年の安保法制改定以降、「野党共闘」によって政権交代を目指そうという動きが全国で広がり、2016年の参議院選挙、2017年の衆議院選挙などを戦っているが、芳しい結果は出ていない。その原因として野党の協力体制が整わないことや各政党や政治家の支持基盤となっている団体との調整不足なども指摘されているが、一番大きな原因は何と言っても国民の政治に対する無関心である。

しかし、これにも理由がある。まず「政治」と「生活」が多くの日本人の意識のなかで結びついていない。「外国だったら政府が転覆する」と言われるほどの疑獄事件も、敗戦から70年以上経っているにもかかわらず、未だに占領下であるかのような不平等な協定や密約がまかり通っていることも、世界的に類を見ない少子高齢化が進んでいることなど、およそ日本社会の「問題」とされていることは、私たちの生活のなかに “まだ” それほど大きな支障を与えていない。それが私たちの行動を「政治」から遠ざけているのだと思う。

なぜなら、日本では多くの問題が「お金で解決」できるからだ。それならば人は政治に期待するよりも自分で「お金を稼ぐ」ほうが効率がいいと、ごく自然に考えるだろう。賢明で勤勉な人たちが、自分や子どもに対してより高度な教育を施し、少しでも有利な形で社会参加の機会を得ようとするのは、経済的な力を持てば、政治の歪みによる「問題」をある程度は自分の力で解決できると考えるからだ。

物やサービスがあふれ、お金を出せばそれらを手に入れられることが当然の社会では、その裏にある「物流」というシステムも、それを支える人の「労働」や「雇用」も、その根拠となる「法律」も、つまり「政治」が見えにくいし、「国家」という存在さえ漠然としたイメージでしか見えてこない。このような茫洋とした幻影のなかで、物とお金がぐるぐる回っている。それが今の日本なのだと実感した。

でも、それを変えるべきだと、私は言うことができない。「日常の営み」が滞りなく続いていくことが「平和」だとしたら、日本とはまさに平和な国だと言えるだろう。それが永久に続くならこれほどいいことはないではないか。しかし、その一方で「国家」による「政治」の歪みは私たちを、いつだって困難に陥れることができるのも事実だ。

その認識をどう共有したらいいのか。私たちが「いつも通りに」買い物し、「いつも通りに」食事している向こう側で起こっている「問題」やそれによって苦しむ人、失われる命などに気づき、それが自分であっても不思議ではないというリアリティがなければ「この国は変わりようがない」のかもしれない。

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