螺鈿人形

都内うろうろ大学非常勤講師(限界語学)|記事中の美術作品はパブリックドメインです

螺鈿人形

都内うろうろ大学非常勤講師(限界語学)|記事中の美術作品はパブリックドメインです

マガジン

  • 『女子大に散る』

    成熟まぎわの花々との美わしい思い出を活写して永遠の神秘「女性」に肉薄する各4000字程度・全10話の連作短編集。

  • 夢現徂徠

    ロマンの織物/澱物

  • 感想随想

  • 戯作創作

    胸に一物、背中に荷物。(織田作之助)

  • 翻訳蒟蒻

記事一覧

固定された記事

『女子大に散る』 第1話・春はバスに乗って

 春、非常勤講師の依頼があった。なんの因果か女子大である。奉職一年めでコマ数に余裕があったし、すでに大学語学の現状には辟易としていたが夢も理想もまだあって、甘…

螺鈿人形
2年前
69

短編小説 えくぼの悪魔

 なんだか気だるくて早めに四限を終えた。ごった煮でよくわからない残り香ただよう教室で、消灯して、窓辺の空調棚に腰掛けてボーッとしていた。  五限始まりのチャイム…

螺鈿人形
2日前
32

短編小説 イノチ短シ恋セヨ乙女

 はやばや女子大勤めにも慣れて無聊に喘ぎだした春、百名足らずの新入生のうち最初に顔と名が一致したのはUさんだった。五月連休明けの授業後、教科書を手にやってきた。…

螺鈿人形
9日前
34

短編小説 Kの墜落

 Kも非常勤講師で、担当は語学ではなく専門科目だが、いわば同僚だった。初出勤の四月第二週火曜、ぶじに授業を終えて出勤簿に押印しようと講師控室へ寄ったら出くわした…

螺鈿人形
2週間前
41

『女子大に散る』 第3話・黄白い誘惑

 十月初週、後期授業が始まった。秋雨つづきで鬱々たる中およそ二ヶ月ぶり大声で270分しゃべり続けたせいか、三限の一年生クラスを終えたころにはクタクタだった。 「…

螺鈿人形
3週間前
38

『女子大に散る』 第2話・天使のケア

「子供みたいなこと言ってんじゃないわよ!」  午後4時半すぎ、講師控室へと戻るため渡り廊下にさしかかったら、くぐもった怒鳴り声がした。なんだなんだと目を上げるや…

螺鈿人形
1か月前
41

noteでお会いした諸姉諸兄と文芸同人誌『夢幻』を始めました。
天道魔道の隘路で綴られた各編、哀愁の写真、華美な揮毫、かわいい小悪魔と虫(虫)、ご愛顧ください。

ECサイトで創刊号を販売中↓
https://reve8realite.official.ec/

(A5判・全138頁・本体400円)

螺鈿人形
1か月前
34

短編小説 悲嘆惨憺ダップン譚

 十月の第一週、勤め先の各大学で後期が始まった。一所で1限から3限まで初回授業を終えたある曜日、午後3時過ぎに電車に乗り込み、空席だらけのひと隅に尻を落ち着けた…

螺鈿人形
1か月前
34

小人閑居してデジタルデトックス

 日頃から「流行りすたりに興味なし」とかうそぶいているくせ、座右のMacBookProがブラックアウトして使えなくなるや早速「デジタルデトックス」と当世用語を並べ立てる節…

螺鈿人形
3か月前
38

短編小説 寂しいおじさんと二年後に死ぬ乙女

 乙女に「おじさん」と渾名されるは快、「寂しい」まで添えられれば欣快の至りだ。こちらが独身独居とか俗世的交際ぎらいとか足腰の衰えとか公言せずとも嫋やかなる目は全…

螺鈿人形
3か月前
58

あくびの中心

 「禍福糾纆」という四字熟語がある。出典は『史記』だったか『礼記』だったか覚えていない、「かふくきゅうぼく」と読む。  「禍」はわざわい、現代日本人の思考力を規…

螺鈿人形
4か月前
41

希諸姉諸兄幸弥増訪

令和六年 元日


レオナルド・ダ・ヴィンチ 『龍の素描』(1517)

螺鈿人形
4か月前
28

残夏

 黄昏に音割れした『新世界より』が響く。17時だ。何処から鳴っているのだろう、と見上げた目が西日をかすめて思わずくしゃみが一ツ出る。  もう夕方は半袖だと肌寒い。…

螺鈿人形
7か月前
80

【短編訳】 赤い部屋 (1894)

「タイムマシン」や「透明人間」や「核兵器」の生みの親H.G.ウェルズによる深淵の怪談。  私はグラス片手に暖炉のそばに立っていた。 「よっぽど幽霊らしい幽霊じゃない…

螺鈿人形
8か月前
61

短編小説 暑気祓い

 おや、今日は電灯カバーに張り付いているのかい。昨日は浴槽まわりをぴょんぴょん跳ねていたのに、まさに神出鬼没だな。  そんな天地のひっくり返ったままでいて、よく…

螺鈿人形
9か月前
79

短編小説 上京小娘ぶぅちゃん

 最近うんちんは寝言が多い。 「──ぶぅ、と言ったのだった……」  どうやら夢の中でぶぅのお話を考えているらしい。それなら面白くなること間違いないし、ボクの記憶も…

螺鈿人形
11か月前
56
固定された記事

『女子大に散る』 第1話・春はバスに乗って

 春、非常勤講師の依頼があった。なんの因果か女子大である。奉職一年めでコマ数に余裕があったし、すでに大学語学の現状には辟易としていたが夢も理想もまだあって、甘露かぐわしき禁断の花園へのご招待を辞するいわれは見当たらなかった。  なによりわが最寄駅からキャンパスまで片道20分少々の直行バスが出ているという。普段まったく足を伸ばさない方面の、別の私鉄沿線にもほど近い立地だ。通勤電車も人ごみも蛇蝎のごとく嫌悪する身にはこれだけで大きにそそられた。エッしかも一コマあたり月二八も

短編小説 えくぼの悪魔

 なんだか気だるくて早めに四限を終えた。ごった煮でよくわからない残り香ただよう教室で、消灯して、窓辺の空調棚に腰掛けてボーッとしていた。  五限始まりのチャイムが鳴った。午後4時半前、同じ階にわりあてられている授業はない。ようやく止んだ梅雨の雲居を静かに青が裂いてくる── 「わっ」  あけっぱなしの前扉から花車がひょっこり、 「びっくりしたあ」 「アハハしなないで」  三年生のSさんだ。相変わらず黒と白を基調に赤の点景をちりばめたゴシック風の粧いが板についている。

短編小説 イノチ短シ恋セヨ乙女

 はやばや女子大勤めにも慣れて無聊に喘ぎだした春、百名足らずの新入生のうち最初に顔と名が一致したのはUさんだった。五月連休明けの授業後、教科書を手にやってきた。 「せんせえ」  普段耳にしている間延びの「せんせ~」とは異なる十数年ぶりの「感性」に同じ抑揚で、一瞬返事に窮してしまった。いつも廊下側の前方に一人で座っている理由が閃光していたのである。 「……せんせえかあ」 「あっすみません──」  漏らした感慨にきれいな奥二重が伏せってしまい、あわてて釈明する。 「いや

短編小説 Kの墜落

 Kも非常勤講師で、担当は語学ではなく専門科目だが、いわば同僚だった。初出勤の四月第二週火曜、ぶじに授業を終えて出勤簿に押印しようと講師控室へ寄ったら出くわした。 「あっ、お疲れさまです~」  世慣れたふうの語尾上げは160センチ少々の痩せぎすにぶかぶかリクルートスーツ姿である。袖に見え隠れする骨ばった手首、角刈りをふた月放っておいたような野暮ったい髪型にシミシワひとつない白皙の顔色で、まさか中学生かしらと疑りつつも、とんがった喉仏と青々しいヒゲ剃り跡に危なげなく「やや年

『女子大に散る』 第3話・黄白い誘惑

 十月初週、後期授業が始まった。秋雨つづきで鬱々たる中およそ二ヶ月ぶり大声で270分しゃべり続けたせいか、三限の一年生クラスを終えたころにはクタクタだった。 「先生……」  次の教室へと散ってゆく花々を尻目に座り込んで、教卓を挟んで目前に来ていた一輪にも声をかけられるまで気づけなかった。 「ハイハイどうしました」  とにかく腹が減っていた。早起きも久しぶりで朝はバナナにヨーグルトで間に合わせ、それから七時間あまりお茶と煙しか喫んでいない。それまでも昼はアメ玉で凌いでい

『女子大に散る』 第2話・天使のケア

「子供みたいなこと言ってんじゃないわよ!」  午後4時半すぎ、講師控室へと戻るため渡り廊下にさしかかったら、くぐもった怒鳴り声がした。なんだなんだと目を上げるや、 (あっ先生)  突き当たりに見慣れた顔が覗いた。二年生のHさんだ。 (こんにちは) (おとといぶり~)  続けてぽろぽろ覗く。丁寧な会釈のMさん、ひらひら手を振るIさん、そろって実技科目の後らしく白衣姿である。小声なのでひとまず真似して、 (Aさんはお休みですか) (せっ、きょう、ちゅう) (バイ、アン

noteでお会いした諸姉諸兄と文芸同人誌『夢幻』を始めました。 天道魔道の隘路で綴られた各編、哀愁の写真、華美な揮毫、かわいい小悪魔と虫(虫)、ご愛顧ください。 ECサイトで創刊号を販売中↓ https://reve8realite.official.ec/ (A5判・全138頁・本体400円)

短編小説 悲嘆惨憺ダップン譚

 十月の第一週、勤め先の各大学で後期が始まった。一所で1限から3限まで初回授業を終えたある曜日、午後3時過ぎに電車に乗り込み、空席だらけのひと隅に尻を落ち着けたとたん、朝にコーヒー昼に水と飴ふたつ以外なにも入れていない腹がグルルとわめいた。 「おなかと背中がくっつくぞ」  例の童謡かと妙にリズミカルで、「冷蔵庫には納豆と豆腐くらいしかなかったような」と思い出すやそれが通じてしまったかまたぞろ盛大に、数少ない衆目を気にしいしいグルルの獣と揺られていた。  最寄りに着いて、

小人閑居してデジタルデトックス

 日頃から「流行りすたりに興味なし」とかうそぶいているくせ、座右のMacBookProがブラックアウトして使えなくなるや早速「デジタルデトックス」と当世用語を並べ立てる節操なき小人が、ここにいる。是非もない、いくら精神を紀元前アテナイに19世紀末パリに遊ばせようと肉体は令和六年ニッポンから逃れられないものだ。それならたまには現代人を気取ってみてもバチは当たるまい、確定申告も済ませたところだし。  前段の「ブラックアウト」は「画面に何も表示されない状態」にふさわしいかと感覚的

短編小説 寂しいおじさんと二年後に死ぬ乙女

 乙女に「おじさん」と渾名されるは快、「寂しい」まで添えられれば欣快の至りだ。こちらが独身独居とか俗世的交際ぎらいとか足腰の衰えとか公言せずとも嫋やかなる目は全部お見通しで、そんな時ほどその奥にシャーロック・ホームズばりの洞察力が冴ゆるを見るも心憎い。 「はいどうぞ」 「……先生なんか慣れてる」 「慣れてる?」 「スタバよく来るんですか?」 「たまにな」 「え~もっとあたふたするかと思ったのに~」 「なんだそれ。だからスマホ構えてたのか」 「そ。緊張してるかなって」 「緊張

あくびの中心

 「禍福糾纆」という四字熟語がある。出典は『史記』だったか『礼記』だったか覚えていない、「かふくきゅうぼく」と読む。  「禍」はわざわい、現代日本人の思考力を規定している「Google日本語入力」でもなんとか変換できる。「纆」は縄のこと、「糾」は縄を縒ることを表す。平たく言えば「ソファミ♭ファソソファミ♭ファミ♭レシ♭ド」のこと、御大美輪明宏女史が麗しい鼻母音まじりに囁く「人生プラマイゼロよ」とも言える。  これを基にしたことわざ「禍福は糾える縄の如し」の方がまだ膾炙し

希諸姉諸兄幸弥増訪 令和六年 元日 レオナルド・ダ・ヴィンチ 『龍の素描』(1517)

残夏

 黄昏に音割れした『新世界より』が響く。17時だ。何処から鳴っているのだろう、と見上げた目が西日をかすめて思わずくしゃみが一ツ出る。  もう夕方は半袖だと肌寒い。あれほど囂しかったヒグラシも鳴りを潜めた。そろそろ夕涼みもおしまい、明日から散歩は午前中に戻そうかとてくてく行きつつ考える。  けだし「夕涼み」は夏の季語である。暑かった一日の終わりに涼風を迎える慣わしのことだ。蚊取り線香と風鈴のある縁側や軒先が思い浮かぶ一方、「夕涼みに出る」で散歩を表すこともある。  似たこ

【短編訳】 赤い部屋 (1894)

「タイムマシン」や「透明人間」や「核兵器」の生みの親H.G.ウェルズによる深淵の怪談。  私はグラス片手に暖炉のそばに立っていた。 「よっぽど幽霊らしい幽霊じゃないと、ぼくは怖がりませんよ」 「それは、あなた次第ですよ」  ジイさんが横目で答えた。その手は腕までしわしわだ。 「28年の間、一度だってお目にかかったことありませんけどね」 「世間は広うございます。見たことないものも、悲しい話も、まだまだたくさんございますよ……」  次はバアさんが答えた。暖炉にあたって炎

短編小説 暑気祓い

 おや、今日は電灯カバーに張り付いているのかい。昨日は浴槽まわりをぴょんぴょん跳ねていたのに、まさに神出鬼没だな。  そんな天地のひっくり返ったままでいて、よく落ちないもんだね。ありがたいよ、手元にポトッてご登場をされると反射的に本ごとバチンと潰しちゃいかねないし。すんでのところで躱したきみと「脅かしっこは無し」って約束したの、もう去年か、早いなあ。  ずいぶん静かにしているね、暑すぎてのぼせちゃったのかい? それともなにか珍しいものでも見つけたかい? まあ久しぶりだもん

短編小説 上京小娘ぶぅちゃん

 最近うんちんは寝言が多い。 「──ぶぅ、と言ったのだった……」  どうやら夢の中でぶぅのお話を考えているらしい。それなら面白くなること間違いないし、ボクの記憶も付け足しながら、現実に書きとめておいてあげようと思う。  ボクは「ぽて」、ぶぅ5才の誕生日にパパに買ってもらったぬいぐるみだ。その大学進学にあわせた上京にもついてきて、というか連れてこられて、いろいろあって今はうんちん宅に居候している。  「ぶぅ」は23歳の女の子、大学は四年で卒業できたけど中身は10歳からあんまり成