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ノンクリスチャンが洗礼を受けるまで

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ノンクリスチャンのわたしが洗礼を受けるまでのまとめ。
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#キリスト教会

キリスト教って何?ノンクリスチャンの私が初めて教会に行ってみた

キリスト教って何?ノンクリスチャンの私が初めて教会に行ってみた

※こちらはクリスチャンになる前、実際に初めて教会に訪れた私が、当時の思いを忘れないよう、ブログに投稿した記事をもう一度再現させた、「復刻版」です。4年前の記事になるため、当時と教会の形にも変化があるかと思いますが、ノンクリスチャンだった私が初めて教会にいったときの気持ちを、そのまま素直に表現した大切な記事です。よければお読みいただければ嬉しいです*

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こんにちわ、家は仏教、コーヒーは断然

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初めて教会に友達を連れて行った時のお話

初めて教会に友達を連れて行った時のお話

「わたしな、クリスチャンやねん。」

クリスチャンになってから、2年が経とうとする中、自分がクリスチャンだと主張することは、正直あまりなくなっていた。

解説:ノンクリスチャンが洗礼を受けると、その瞬間からクリスチャンになります。

今わたしが住んでいるお家(シェアハウス)は、ありがたいことに「クリスチャン」と打ち明けても、そこまで大きく突っ込まれない環境にある。

みんながどんな風に考えてくれて

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私たちはみんな、誰であっても、神様の子供。

私たちはみんな、誰であっても、神様の子供。

クリスチャンになってからというもの、事あるごとに「クリスチャンだから」というくくりに縛られる。たまに、そういう縛りに対してあーだこーだ意見を言いたくなったり、文句を言いそうになってしまう自分がいたりするのだけれど。

クリスチャンだからこうしなければならない・クリスチャンだからこうあらねばならないという観点で、頭の中がいっぱいになってしまった時、ふと、こんな言葉をかけてくれる人に出会った。

「ク

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私の周りは、なにひとつだって変わっちゃいない。

私の周りは、なにひとつだって変わっちゃいない。

クリスチャンの人ってさ、例えば電車とかで
理不尽にぶつかられたらどうするの?

友人とそんな話題になったとき、あなたなら、なんと答えるだろうか。

「クリスチャンは、相手に愛が足りていないことを感じて、相手のためにお祈りしてあげます。」

模範解答的なものがあるとするなら、きっとこれだろう。

相手のために、祈る。たとえそれが自分にとっての悪害であっても。

なぜなら、それがクリスチャンだから、と

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神様に与えられた、ひとつの出会いのお話

神様に与えられた、ひとつの出会いのお話

前回の記事はこちら洗礼を受けようと思った日のこと

人は、出会うべき時期に、出会うべき人と出会うと言われている。

そして、もちろん聖書にも、そのタイミングというのは記されている。

わたしはこの、

探すのに時があり、失うのに時がある。引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。

という部分が好きで、最近では、よく自分に置き換えて考えるようになった。

例えば、わたしには、いま彼氏がい

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