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異世界将棋道場 いざよい 第1話

「何度来てもらっても、教主庁からの仕事は引き受けねえからな」
 荒々しい鑿跡が残る彫刻や、神話の一場面が描かれた油彩画が散乱したアトリエに野太い声が響いた。
「でも、レオナルドさん。オジュマル共和国に、聖堂の設計ができる人間はいないんだ。いや、カーヌーンガルド全体でも、数える程しか人材はいないんだぞ!」
「それに、これは教主様から直々のご命令だ!」
「けっ!」
 椅子に腰掛け、踏ん反り返るレオナルド。周りを囲む三人の役人。
 いかにも高慢ちきな役人が二人、そのうしろに隠れて、気の弱そうなハゲちらかしたのが一人。
「だからどうした。オレは今の教主は大っ嫌いなんだよ」
 レオナルドは、カーヌーンガルドでも屈指の芸術家だ。絵を描けば写実を極め、彫刻は今にも動き出しそう、幾何学の才能もある。そして何より、巨大で壮麗な建築物をいくつも設計している。彼が設計したオジュマル市庁舎は、かの古代帝国の建築物を凌ぐ威容を誇っているのだ。普通なら、引くてあまたの巨匠だっただろう。
 だが、アトリエの散らかりようや、彼の風貌をみて明らかなように、レオナルドはたいそうな偏屈者だった。特に最近は何かイライラしているらしく、来る仕事を全部断っていた。
 カーヌーンガルドの中心にある教主庁からの命令を、たかが共和国の芸術家が跳ね返せるはずがないのだが。
 レオナルドの才能が、それを可能にしていた。
「な、何て不敬なことを! 君は教会を敵に回すつもりかね?」
 役人は金切り声で叫ぶ。
「今の教主、金勘定は上手いが、不信心ものだろ? お前もそう思うよなぁ」
 ニヤリと笑って、役人の目を覗き込むレオナルド。
 役人たちにとっても、図星だった。
 今の教主になってから、教会は商人になったのかと思うほど、蓄えた金を運用し始めた。教主庁の倉庫には、金貨がうずたかく積み重ねられているという。
 薄給の役人達にとって、司祭たちが日に日に豪奢な服を身にまとうようになるのは許しがたいことだった。しかし、宗教界の最高権力者を表だって悪く言うことはできなかった。
「お前らもかわいそうだよなぁ。逆らったら、クビだもんなぁ」
 レオナルドは顎髭をさすりながら、嫌味を言った。才能がない役人は、権力者には逆らえない。
「くそっ! どうしても引き受けないと言うのか!」
「当たり前だ。今の教会は美しくない。美しくないものからの依頼は受けたくねえ…、ただ…お前らの立場も分かる。だから…」
「だから、何だ?」
「遊び、だ」
「は?」
 レオナルドが何を言いたいのか分からない。役人の一人は肩をいからせる。もう一人は、歯ぎしり。気の弱そうなのは、ただ某然としていた。
「正直、オレは何でも出来すぎて、少し飽きてるんだ。この世にな」
 そう言うと、薄汚いコップに注がれた薬湯を一口飲んだ。
「…、だから、オレが熱中できるような遊びを見つけてこい! そうしたら、引き受けてやらんでもない」

「そ…」
 そんなもの、あるわけがないではないか。役人たちはそう思った。
 レオナルドは、博打から馬術まであらゆる才能があった。遊びのプロだ。
 一日中書類と睨めっこしている役人に、満足させるだけの遊びが見つけられるわけがない。
 ところが。
『遊び』から最も縁遠そうな、気の弱そうな役人が口を開いた。
「わたしは面白い遊びを知っています。レオナルドさんも、きっと熱中すると思いますよ」
 その場にいた全員が、気弱役人の顔を見た。
「ほう。ミケーレ、お前が?」
 レオナルドは不信そうな目で役人ミケーレを見た。意外にも、ミケーレは不敵に笑った。
「レオナルドさん、これからわたしについてきて下さい。他の皆さんは、帰ってもらって構いません」
 役人二人は顔を見合わせる。どうせうまく行くわけがないが、いつまでもレオナルドにつきあっていると、家に帰れなくなる。ミケーレの提案は、仕事を切り上げる口実にはなる。二人はおおよそこんなことを考え、大きくうなずいた。
「じゃあ、ミケーレ、頼んだぞ」
 二人はため息をついて、アトリエから姿を消した。
 部屋に残ったミケーレを、なおも不信な目で見るレオナルド。
「こんな夕方からする遊び? 女遊びか博打か?」
「まさか、ワタシがそんな遊びを知るわけがありません」

 レオナルドとミケーレはさびれた裏露地を歩いていた。
「こうして肩を並べて歩くのは何年ぶりかなぁ、ミケーレ」
 幼い頃、一緒の画塾に通っていたこともある。だから、レオナルドが心を開いたのだ。
「あなたは巨匠になった。ワタシは、木っ端役人として一生を終えるでしょう」
「こんなことを聞いて悪いんだが、今の仕事、楽しいか?」
「仕事は楽しくありません。それどころか、人生が灰色でした。これから紹介する遊びに出会うまでは」
 太陽が間もなく沈むだろう。石畳の路地や民家は、夜霧に包まれ始めた。
 住民が戸を閉める音があちこちから聞こえて来る。だが、霧のせいで姿はよく見えない。鳥が何処かで鳴いている。あたりの明度は刻一刻と落ちている。
 だが、その闇の中に、月明かり? いや。
 建物の窓から漏れた灯りだ。

 明らかに周囲の建物とは違う。見たことのない材質、それに、ガラスの窓?
 ガラスに不思議な記号が描かれている。
「この建物が?」
「ええ」
「中にいるのは、異民族か?」
「少なくともカーヌーンガルド人ではありません。でも、言葉は通じます」

 奇妙な材質の扉を、ミケーレが押し開ける。
 明るい。
 蝋燭の光ではない。
 天井に付けられた細い管が光っているのだ。
「おや、ミケーレさん。おお、新顔のお客さんですか?」
 椅子に座って何かの機械をいじっていた男が顔を上げた。
 鳥の巣のようなボサボサの髪型の、冴えない老人だった。見たことのない服は異民族のものだろう。そして、顔には、ガラスでできた装身具を付けている。レンズだろうか?
「お名前をお伺いしてよろしいでしょうか?」
「レオナルドだ」
「レオナルドさん、よろしくお願いします。ワタシはイナベ(井鍋)と申します」
「イナベ? 失礼だが、どこ出身だ?」
「ニホン、です」
「はあ…聞いたことない地名だな。まぁ、いい。オレを楽しませてくれる遊びってのは、何だ?」
「ミケーレさんはここの常連ですが、レオナルドさんは、将棋という遊びを聞いたことはありますか?」
「ない。ショウギ? どういう意味だ?」
「…わかりやすい言い方をすれば、兵士に見立てたコマを動かして、相手の王を捕らえるゲームです」
「…ほう。軍隊の幕僚たちが指揮所でやっているようなものか」
「似ているようですが、やってみるとだいぶ違いますよ。外は寒かったでしょうから、まずお茶とお菓子でも。やよいちゃん! 悪いけど持ってきてくれないか?」
「はーい」
 まだ10代前半と思われる少女が二人の前に現れた。木の平皿の上に、緑色の飲み物と、淡いグラデーションに彩られた塊が載っている。
「故郷の食べ物です」
「おお、待ってました!」
 ミケーレがその塊を口に放り込む。その嬉しそうな顔をみて、レオナルドも塊をかじってみた。
 甘い。だが、しつこくない。
 口の中に含むと、スッと消えてしまう。
 食べたことのない味。
 だが、美味い。
 気がつけば、塊は全てレオナルドの胃の中に収まっていた。
「甘くて喉が渇いたでしょう。お茶をお飲み下さい」
 レオナルドは、暖かい、緑色の液体を口に含む。
 苦味と、僅かな渋み。
 甘いものを食べた後では、それが心地よい。
 ふっと、肩の力が抜けた。
「頭を使う前には、この食べ物がちょうどいいんですよ。ネリキリと、リョクチャと言うらしいですがね」
「まあ、美味かったがな。で、肝心のゲームとやらは?」
 正直、この食べ物だけでもここに来たかいがあったとレオナルドは思う。だが、それで仕事を引き受けるわけではない。ショウギとやらがつまらなかったら、ただではおかない。
「では、あちらの席へお座り下さい。ルールを説明します。お客さんは、お二人だけですので」
 全部で十脚ほどの長机が並べてある。その一つ一つに六脚の椅子。
 机の上には升目が刻まれた木の板。
 そして、丁寧に並べられた、木片。これが「コマ」なのだろう。
 コマには不思議な文字が刻まれていた。異民族の文字だ。全く読めない。

「これが将棋盤です。この上で、駒を動かして戦います。駒の動かし方にはルールがあります。まず、最も重要な駒、王将。これは『王』という意味です。全ての方向に一マスずつ進めます。それからこれが飛車…」
 レオナルドは少年のように目を輝かせて説明を聞いている。
 ミケーレは安心した。
 全く興味を示さなかったら、全ての作戦は失敗だ。ミケーレは同僚から嘲笑われ、自分より若い上司から罵られるだろう。それはもう慣れっこになったが、でもなるべくなら上手くいってほしい。
 レオナルドは駒の動かし方を簡単に覚えてしまった。
 やはり、地頭がいいのだ。
「戦い方としては、まず飛車先の歩を突くか、角道を開けるか、のどちらを最初に行うのが一般的です…」
「だいたい分かった。単純なルールだな。実際にやってみたい」
「はい。それでは、まず、やよいちゃんと勝負してみましょうか」
「何? さっきネリキリを持ってきてくれた女の子とか? まだ、子供じゃないか?」
「将棋の強さに年齢はあまり関係ありません」
「むう…」
 確かに、絵のうまさ、彫刻の才能にも年齢はあまり関係ない。それと同じだろう。
 やよいは子犬のような足取りで駆け寄ってきて、レオナルドと向かいの椅子に腰掛けた。
「レオナルドさんは初めてですので、差をつけましょう。やよいちゃんは王様一枚で行きましょう」
「何? 今なんて言った?」
「やよいちゃんは王一枚です。レオナルドさんは全てのコマをそのまま使えます」
「いくらなんでも、馬鹿にしすぎだ! 子供相手に、そんな…」
 レオナルドは声を荒げる。
 仮にも天才レオナルドが、子供にそんな差をつけてもらって、負けるわけがない。
 だが、ミケーレも井鍋も笑っている。
「レオナルドさん、騙されたと思ってやってみてください。その子は本当に強いんですから」
「はい。やよいちゃんが先手で」
「ちっ、女の子を泣かせるのは好きじゃないんだがなぁ」
 ぶつぶついいながら、盤面に向かうレオナルド。
 やよいは王を一つ上に上がった。
 レオナルドは角道を開く。
 これで次の角成りは約束されている。あとはどうやったって勝てるだろう。
 だが、やよいの王はフラフラと不思議な動きをして、なかなか捕まらない。
 レオナルドが王手をかけても、するりとかわされる。
 ついに、3四の歩が取られる。
 その歩を使って桂馬が取られ…さらに…。
 気がついたときには、やよいの王は絶対に「詰まない」形になっていた。
 それでも、なんとか攻撃しようと、持ち駒を打つレオナルド。
 だが。
 王手の連続。
 逃げても、逃げても。
 捕まる。
 レオナルドの王は、詰んだ。
 レオナルドの顔は真っ赤だ。
 カーヌーンガルド最高の建築家、神の申し子とも言われたレオナルドが、年端もいかない女の子に負けた。
「こ、こんなはずはない! ちょっと間違えただけだ!」
「ちょっとの間違いが大敗につながる。それが、将棋というゲームです」
 井鍋はあくまで丁寧な口調だ。やよいという少女は勝利に奢ることなく、柔和な笑みを浮かべているだけだ。
「くそっ! もう一度勝負だ!」
「いいですよ」
 やよいの先手。王が上がる。
 レオナルドは飛車先の歩を突く。飛車が竜王に成れれば、先ほどのように王様にフラフラかわされることはない。
『オレは、偉大な建築家だ! 幾何学の定理をいくつも発見した! こんなパズルで負けてたまるか!』
 だが、気がついてみると、詰まされたのは、レオナルドの王だった。
 その次も負けた。
 四度目にして、ようやく、やよいの王を捕まえることができた。
「か、勝った。かろうじて」
 負けても、やよいは柔和な笑みを浮かべて、お茶を飲んでいる。少し渋かったのか、顔をしかめた。
「指す度に強くなってらっしゃる。レオナルドさんには才能がありますよ」
「…」
『裸の王様に勝っても、嬉しくない。
 だが、こんなに真剣に考えたのは久しぶりだ。
 最近仕事をサボって、あまりにも自由気ままに彫刻や絵を作っていたから、頭のどこかが衰えているのかもしれない。いや、それも負けた言い訳か』
「参ったよ。ここまで差をつけられるとはな。…それに、何度やってもこのゲームの本質が見えない。必ず勝つパターンが見えないんだ」
「それは、わたしの故郷で一番将棋の強い英雄も言っていたことです。『将棋とは何なのか、分からない』と。初心者のレオナルドさんに分からないのは当たり前です」
 初めて井鍋老人が大きく見えた。温厚な人柄だが、将棋にかける想いは誰にも負けない、そういう自負がうかがわれる。
 ミケーレは心の中で飛び上がった。レオナルドが夢中になれる遊びだという感覚は正しかったのだ。
「それじゃあ、大聖堂の設計、やっていただけますね」
「いや」
「え?」
「このゲームの本質がまだ分からねえ。分かるまで、仕事は引き受けないぜ」
「そ、そんな。何年かかるか分からないじゃないですか!」
「ルールは単純なのに、答えが無限にあるようだ。そんなゲームは初めてだぜ」
「いや、引き受けてもらわないと、困ります」
「…」
 ミケーレを無視して、レオナルドは将棋盤を眺め始めた。先程の対局を振り返っているのだろう。
「将棋の本質を理解する手助けとして、こんなものがありますよ」
 井鍋が将棋盤に、手早く駒を並べていく。
 どうやら、普通の並べ方とは違う。一つの局面を部分的に切り抜いたような感じだ。
「これは、詰将棋といいます。王手の連続で王を詰ませるパズルです。余った駒全てが相手の持ち駒です」
「ほう」
「ミケーレさんとレオナルドさんのどちらが早く解けるか、勝負してみませんか。ミケーレさんが勝てば、レオナルドさんは仕事を引き受ける、ということで」
 将棋歴の長いミケーレの方が有利だろう。だが、レオナルドにもプライドがある。
「分かりました」
「やってやるぜ」
 二人は、将棋盤をじっと睨みつけた。
 頭の中で駒を動かす。
 いわゆる「普通の手」では詰まないことに気がつく。
 実戦ではあり得ないような捨て駒を考えねばならない。
 ミケーレに何となく筋が見えてきたとき。
「できたぜ」
 先に答えたのは、レオナルドだった。
 将棋盤を使って手順を示す。
 紛れのない手順だ。
「正解です! 素晴らしい! 詰将棋は、将棋を長くやっている人でも難しいんです」
「美しい手順だ。まるで、歯車が少しずつ噛み合っていくみたいだ。ありがとう」
 ミケーレは肩を落とした。
 あと少しで、ミケーレにも正解が分かったのに。
 これでは、仕事を引き受けてはもらえないだろう。
「心配するな。仕事は引き受ける」
「え?」
「ミケーレ、オレが何で『美』を追求するか分かるか?」
 突然の質問に、ミケーレは当惑する。
「…分かりません」
「この地上を設計した神々の住む世界は、完璧に調和のとれた美の極地だと言われている」
「…」
「一方、地上はそんなに美しくない。地上は神々の世界の劣化した似姿に過ぎないからだ」
 確かに、神学者の誰かがそんな学説を唱えていた。教会の主流の考えではないが、何となく説得力はある。
「だけどな、俺たちも美しいものを作ることはできる。そして、美しいものは、神々の世界につながる窓なんだ。窓を通して神々の世界が垣間見えているんだ。おれは、この詰将棋からそれを感じた」
「面白い考えですね」
 井鍋が興味深そうに聴いている。
「だから、オレは大聖堂を作る。神々の世界に少しだけ近づけるような建物を。ただ、一つだけ条件がある」
 レオナルドは将棋盤を指差した。
「神々がショウギを指している彫刻を設置することだ」
 ミケーレの緊張の糸が溶けた。自然に笑みがこぼれる。
「ありがとうございます! レオナルドさん!」

 それから、二人のカーヌーン人は談笑しながら帰っていった。

 将棋道場「いざよい」
 今は、井鍋とやよいの二人きりだ。
 道場が日本へ帰る時間帯なのだ。窓の外の景色が煉瓦造りの建物から、ビルとネオンサインと電信柱に変わる。
「今日の人、面白い人でしたね」
 やよいは心底嬉しそうにしている。
「将棋道場が異世界に繋がって、そろそろ半年。だいぶ道場も賑わってきたな」

 やよいは家に帰る時間だった。
 母が夕食を作って待っているだろう。
 井鍋はやよいを街へと送り出した。

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