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「ブランコ」は片想いか両思いか

 先日聴いたラジオで乃木坂46の「ブランコ」がかかった。秋元真夏さんのラジオだった。明るい曲かと勝手に想像していたが、それをいい意味で裏切るイントロ。放送後に調べてみると、リリースは2016年。繰り返し聴きたくなって買うことにした。

 何度か聴いて、“僕”の片思いを歌ったものだと思ったが、何か喉に引っかかるものがあった。10回ぐらい聴いて、やっぱり片思いの曲だと思った。20回ぐらい聴いて、告白出来なかった過去を美化した曲だと思った。30回ぐらい聴いたところで、“僕”と“君”は両想いだったんじゃないかと思うようになった。

 ※僕も君も性別、年齢などはわからない。異性かもしれないし、同性かもしれない。こうかもしれないし、ああかもしれない、ああ、ブランコみたい。

 「いつもここにいるのね」

 はじめは僕のストーカー行為に釘を刺したものかと思った。でも、なんだか違うような気がした。実際誰かにずっと見られていることに気づいたら、そんなふうに釘を刺すだろうか。「キモいんだよ」とカマスとか、適当に陰湿ないじめをするとか、迷惑だと直接伝えても良いだろうし、いろいろ方法はありそうだ。

 迷惑に感じているというのは私の誤解なのか。もしかして、好きでずっと見ていたから「いつもここにいるのね」ってことで、私はあなたをずっと見ているよと伝えたかったのではないか。これに対し、僕は答えていない。喋りかけられたことに満足してしまったのか、「言葉なんか何もいらない」と歌は続く。天にも登る気持ちだったのか、僕らはただ空を泳いだと続く。でも、この人が欲しかったのは言葉ではなかったか。相手の気持ちに追いつくにはそれ相応の態度を取らないといけなかったのではないか。言葉で答える必要があったのではないか。

 秋の終わり、これからクリスマスという時期に長い髪の子が寂しそうにしていたのは、それが原因だったのではないか。小さなため息をつくのは良いが、それを結実させる行動が必要だったのではないか。いつ話してみたいけど、話せない。ああ、なんだかブランコみたいね。

 夢の中で揺れるブランコは過去の美化なのか。どうしてブランコしかないのだろう。転んだ砂場とか、涙で汚れた顔を洗う水場だったり、抜け出せないジャングルジムみたいな、公園にあるべきものがないもない。なんの傷も作らず大人になっ人は、転んだ時うまく起き上がれる?

 僕は君が好きだった。君も僕が好きだった。でも、すれ違ってしまった。

 「ブランコ」は私のお気に入りとなった。


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