ACの強迫観念とランドリーリストの関係
noteは、自分にとってまだ消化不十分のアイデアを書きとめるための場所にしています。・・・消化不十分っていう表現は良くないか。完全に消化されると○んこになっちゃうからな。生煮えという表現にしておきます。
「AC(アダルトチルドレン)の人がステップワークをするときに、何を強迫観念とすれば良いか、また強迫観念とランドリーリストとの関係はどうなのか」という質問をいただきました。
時宜を得たご質問なのかもしれません。というのも、つい先日ACoAのメインテキスト(ビッグレッドブック)の日本語版が出版されたばかりだからです。そのようにしてテキストが一般社会に向けて出版されて初めて、僕のような外部の人間がそれを論評することが可能になります。(ただし、まだKindle向けのみで、印刷物での出版はまだ先だそうです)
ACの12ステップのテキストとしては、ACAが使っている『ACのための12ステップ』があります。こちらは日本語版が出版されてからすでに20年以上経過しており、何度も重版されているロングセラーです。
今後はこの二冊を元に論じていきます。それぞれをBRB、AC12と略します。
BRB: 『アダルトチルドレン・オブ・アルコホーリックス/ディスファンクショナル・ファミリーズ』
https://sites.google.com/site/acoajpn/%E6%96%87%E7%8C%AE-literatureAC12: 『ACのための12ステップ』
https://aca-japan.org/docs/books.html
ランドリーリスト(ACの特徴)
ランドリーリストと呼ばれるものは、BRBに掲載されているものです。
ACの特徴が14項目挙げられています。
ただし、これはACoA固有のものではありません。
ほぼ同じ内容がAC12にも掲載されています(AC12, pp.18-20)。
ただし、ランドリーリストの14の項目のうち、14番目の「パラアルコホーリック」を抜いた13項目になっています。
また、以前ACODAの方から頂いた資料にも同様のリストがあり、こちらは14番目の「パラアルコホーリック」と13番目の「家族の病」が除かれた12項目になっています。(いただいたのはずいぶん前のことなので、現在でもACODAがこの資料を使っているのかは分かりませんが)
そのような違いはあるものの、ACの特徴については、その大部分が共有されていると言えます。
強迫観念
強迫観念は、多くのテキストでは狂気と表現されています。ACの本もその例外ではありません。狂気については、ステップの本によって、ステップ1で解説されている場合もあれば、ステップ2で解説されている場合もあります。
BRBのステップ2の章に、こうあります:
一方AC12のステップ1の章には、こうあります:
AAのビッグブックに親しんでいる人は、すぐにピンとくるでしょう。ビッグブックのステップ3で描かれている、神の役を演じ、周りの人たちを自分の望み通りに動かそうとする人物の姿そのものです。アルコホーリクは酒をやめただけではそのような自己中心性が残ったままだ、と説明しています。
このような、他者をコントロールあるいはマニピュレートすることで自分の何らかの欲求を満たそうとすることを共依存と呼ぶわけです。つまり、アルコホーリクの持つ自己中心性=ACのもつパラアルコホリズム=共依存、という捉え方でそんなに間違っていないはずです(概念の違いにはそれなりの意味もあるけどここではあえて無視)。
そして、アルコホーリクが自分の自己中心性にしばしば無自覚であるように、ACも自分の持つ共依存性に気がついていないケースも少なくありません。否認も当然起きます。アルコホーリクが、ステップ3で自分の自己中心性を認めず、もしそうだとするならそれは酔っ払っていたせいで、しらふの自分はマトモだと主張するのと同じように、ACの人も、自分は他者を操ろうとはしていないと主張することもしばしばです。
ともあれ、ACの強迫観念は、自分以外の人の行動・考え・感情を操作しようとすることで、いくら自分が傷ついても、またそれをしようとしてしまうことなのです。それは、アルコホーリクである親が、飲んでいようと酒をやめていようと持ち続けている自己中心性を、アルコホーリクの子であるACが受け継いでしまう、という考え方が基底にあります。
ACの特徴と強迫観念の関係
アルコホーリクの場合には、強迫観念によってまた酒を飲み出すと、再び生活が unmanageble になってしまうという関係になっています。因果関係で示すならば、強迫観念が原因で、「思い通りに生きていけなくなった」が結果です。
ところで、強迫観念という概念は伝えにくいものです。ミーティングで経験を分かち合うだけではなかなか通じず、スポンサーがスポンシーに丁寧に説明することでやっと理解してもらえる、ということもしばしばです。それに比べると、結果の「思い通りに生きていけなくなった」の部分は、伝えやすいのです。酒のせいで起きた様々なトラブルについて語れば、多くのアルコホーリクが「そうそう、自分もそうだ」と同定しやすいのです。つまり、「原因より結果のほうが共感しやすい」という特徴があります。
ACの場合も、因果関係として示すなら、強迫観念が原因で、ACの特徴(ランドリーリスト)が結果ということになります。こちらでも、強迫観念という概念は伝えづらいわけですが、ランドリーリストについてはミーティングで分かち合うだけで「私もそうだ」という共感を得られやすいのです。
強迫観念(狂気)が問題の核心だというのは、どちらのステップでも同じです。ランドリーリストにある特徴に苦しんでいるのなら、その原因である強迫観念を取り除かなければなりません。しかし、自分自身の力ではそれを取り除くことができない(またやっちまう)――それが無力の意味です。自分でなんとかできると思っているうちは、まだ無力を認めていないわけです。
強迫観念を把握するとうまくいく
誰かの行動や感情を操作しようとすること。それが成功していたら、操作しようとする側は傷つきません。それに失敗するからこそ傷つくのです。アルコホーリクの自己中心性も、ACのパラアルコホリズムも、共依存も、誰かを操作しようとして失敗し、それによって自分が傷つき、相手との間に葛藤を生じさせます。
ある女性は、旦那さんの考え方や行動にイライラし、それを変えようとして(当然失敗して)さらにイライラする毎日でした。その人は「自分の願いどおりに旦那を変えたくなる」という強迫観念に気づき、しかもそれを自分で解決できないことを認めると、スムーズにステップに乗っていけました。その方は、皆さん(アルコホーリク)がステップ3で取り組むことに、私はステップ1で取り組んでいますとおっしゃってました。
また別の人は、自分の安心感が脅かされると、すべてを放り出して引きこもってしまい、そうすることで暗に相手を非難し、安心感を脅かす行動を相手にやめさせようとしていました。当然そのような操作は失敗し、それまで積み重ね着てきた努力を引きこもり行動によって放棄してしまう、というデメリットだけを被ってしまうのです。なのにそれを繰り返してしまう――という狂気を認めると、ステップに入っていけました。
このように、自分が傷ついているのは、自分が他者を操作しようとして失敗した結果であることに気づけると、自分の強迫観念も掴みやすいように思います。
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