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「筆を取る」は、なぜ書き始めることを伝えられるのか。「現代レトリック事典」通読の旅 1週目

 企画説明回より、約1週間が経った。この1週間「現代レトリック事典」を読んだが、大げさでもなんでもなく、世界を見る目が変わった、と感じる。世の中はレトリックで溢れまくっている。

 今週紹介したいのは、
・直喩と暗喩の違いってなんだ?
・「筆をとる」「のれんを下ろす」はなぜ伝わる?

の2点。

 さあ、聞こえた言葉を二度見したくなるレトリックの世界を、一緒に味わってほしい。

企画説明はこちら


紹介に入る前に

 今回読んでいる「現代レトリック事典」では、72個のレトリック技法が紹介されている。この事典内ではこの技法たちを、
・意味のあや
・形式のあや
・思考のあや

の3つに分類している。
 ただしこれは三分割になっているものではない。

技法のなかには、ニつのあやのどちらにも、あるいは三つすべてに関わるものも少なくない。

現代レトリック事典 P42
ことばのあや分布図

 これを見て筆者は、「レトリックとは、はっきり分けられないもの」だと感じた。ひとつのくだりを見た時に、複数のレトリック技法が用いられていることもあるだろう。重なる領域があるにしろ、複雑怪奇なレトリックを3つに分類しているだけでもう、研究者に頭が上がらない。
 ありがたく、読ませていただこうと思う。

 では行こう。はじめは、「意味のあや」に最も力点が置かれている「19の技法」から読み進めていくことにする。

暗喩と直喩の違いってなんだ?


 文章を作る際、読み手を引き込めるような魅力的な文章を生み出せるに越したことはない。さて「魅力的な文章を作る技法を、ひとつ答えよ」とされた場合、多くの人は「比喩」と答えるのではないだろうか。
 ただし、比喩だけでは的が広い。筆者ですら、義務教育の範囲内で「直喩」「隠喩」という単語が出てきたことは覚えている。レトリック事典でも、「直喩(シミリー)」と「隠喩(メタファー)」は意味のあやの代表的なものとして、1番・2番バッターに据え置かれている。

 メタファーという単語は耳に覚えがあるが、シミリーは初知り単語であった。事典内での立項はカタカナのものでされているため、以下では直喩→シミリー隠喩→メタファーと表記させてもらう。


 さて、シミリーとメタファーの違い、これってなーんだ?
 素人考えでは、
・「~のような」がつく比喩が、シミリー
・比喩を表す補助の言葉がないものが、メタファー
と考えた。

 事典を読むと、「~のような」を標識とした比喩はシミリーと言って良さそうだ。しかし、これでは「シミリーとはどのようなものか」は示せていない。解説ページの冒頭にて、この事典でのシミリーの定義が載っていた。

「~のような」「~に似て」などをともなって二者のあいだに意外な類似を提案する比喩。

現代レトリック事典 P44
シミリー

 大切なのは「意外な類似」を提案するということ。
 シミリーは、「~のような」を取ればメタファー化できるものがある。事典に載っていた例だと、「アキレスは獅子のようだ」はシミリーで、これからシミリーの標識を外した「アキレスは獅子だ」はメタファーになる。
 しかし、このやり方はすべてのシミリーに言えることではない、と事典は言う。メタファー化できないシミリー、この条件が「意外な類似」であるということだ。

 自作の例を出そう。

 ねこは水だ。

 さあ、ぴんと来る人は何人いただろうか。これを、シミリーにしてみる。

 ねこは水のようだ。

 このほうが伝わりがいいと、筆者は感じている。筆者が意図したのは、ねこは体が柔らかく細い隙間も通り抜けてしまう、ということだ。「液体だ」という比喩はよく使われる表現だと思う。しかし、「水だ」と言い切ると通りが悪くなるように感じる。
 この、謎掛けの答えになっている部分が「意外な類似」である。なお、もっと納得がいくような素晴らしい例が事典には載っている。村上春樹からの引用であった。ぜひ事典を見てみてほしい。

 このように、目新しい比喩を読者に届けるのがシミリーの魅力である。
 では逆に、メタファーの魅力はどこにあるのか。

シミリーが斬新な類似性の発見を命とするのに対して、メタファーは既知の類似性の深掘りと洗練を心がけます。

現代レトリック事典 P50
メタファー

 メタファーとしても通じる比喩は、すでに日常になじんでいるものたちである。事典内の解説の1つ目に、テーブルの「脚」が出てきていた。たしかにこれは、テーブルの天板を支える部分のことを動物の脚にたとえているものだ。筆者も、言われるまで気づかなかった。ここまでなじんだメタファーは、辞書に回収されるのだそう。

 このように、既知の類似性があるがゆえに比喩の標識がなくとも伝わるのがメタファーだ。一通りの解説の後、事典はこう語る。

深掘りは書き手の腕の見せどころです。

現代レトリック事典 P53
メタファー

 標識無しで比喩として読んだ時に、
・読み手に正しく意味が伝わる
・古びた表現とは異なる目新しさがある
この2点を満たすのは至難の技であろう。しかし、これをやってのけたがゆえに、心に深く残る文もあるのであろう。

 こちらについても、村上春樹からの引用がなされている。筆者はなかなか小説を読まないのだが、ここまで例として上がるところから、やはり凄い作家なのだろうと思うのであった。



 メモ キャッチコピー制作にいかすには
 インパクトを重視するために、メタファーの構図で書くことが多いだろうが、あまりに遠すぎると分かってもらえないかも。世間一般の認知に合わせて、シミリーにするかメタファーにするかを決めるのが良さそうだ。
(シミリーの標識になるものもたくさん列挙されていた。~風な、~に近い、や比較の意を含む、~ぐらい、~よりも、など。てにをは選びと合わせて、シミリー標識選びも気を使うべきポイントか)


「筆をとる」「のれんを下ろす」はなぜ伝わる?

 例に上げている2つ、意味は通じると思う。

「筆をとる」=文章等を書き始める
「のれんを下ろす」=店がその日の営業を終了する、または廃業にする

 改めてよく見てみると、筆はとってるだけだし、のれんは下ろしているだけだ。文字面だけを見ると、意味が増えている……?

 この2つ、技法としては「メトニミー(換喩)」が用いられている、とのこと。

隣接関係に基づいてAでもってBに指示を横すべりさせる表現法。

現代レトリック事典 P56
メトニミー

 上記がメトニミーの定義になるみたいだ。具体例を示そう。事典内の例を拝借。

 鍋が煮える。
 実際に煮えているものは何であろうか。そう。鍋の中の具である。

 この場合は、入れ物と中身。このように、隣接関係にある別のものを矢面に上げることで状況を際立たせる表現、これがメトニミーだ。

 メトニミーは、隣接の仕方によっていくつか種類がある。鍋の例は、空間的に隣接しているもの。では、筆とのれんの例はどうだろう。この2つは、時間軸を考えているらしい。

 「筆をとる」と次の行動は「書き始める」。
 「のれんを下ろす」と結果として「その日の営業が終了する」。

 いわゆる慣用句的な表現も、レトリック技法に落とし込むと説明が出来るのである。


 この技法は、筆者のアンテナを敏感にさせた。
 解説にもメトニミーの例がたくさん登場するのだが、普段遣いの言葉たちの中にもたくさんのメトニミーがひそんでいるのだ。

例)手を貸す。顔を出す。電話を取る。自転車をこぐ。 など

 日常の中で目にする・耳にする言葉たちの中にメトニミーを見つけるたびに、「レトリックっておもしれぇ!」となっている今日この頃である。
(なお、彼女とドライブしているときにも「あ、今のメトニミーだ」とやっていたら呆れられてしまったので、ちょっと反省。家に顔を出してもらえなくならないよう、気をつけなければ……)



 メモ キャッチコピー制作にいかすには
 
時間的・空間的連続を言葉にすれば、思っているより短い文字数で状況を思い描いてもらえるかも? 発想法の1つとして、メトニミー化したらどうなるかを考えるのも面白い。
 日常の細部まで浸透しているメトニミーは、ばらして元に戻すだけでもひっかかりが作れそう。見つけたメトニミーは収集することにしよう。



後記

 今週読んだのは、この6つ。 

・シミリー
・メタファー
・メトニミー
・シネクドキ
・擬人法
・擬物法

 この6つの時点で、世界はレトリックの嵐である。これはこういうレトリックなんだ、という感度がそれなりにあがっていると感じる。残り66個の技法を学んだら、どうなっちゃうんだろうか。今から楽しみである。

 来週は、
婉曲法・くびき法・共感覚法・撞着法・トートロジー・誇張法
の6つを読む予定。

 来週も、よろしくお願いします。

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