見出し画像

'-scape' 日本・インド合作、物理非共有コンテンポラリーダンス

知人の紹介で、'-scape'という、コンテンポラリーダンス作品の配信上映を鑑賞しました。舞台鑑賞とか普段あまりしないし、謎の着眼点になってしまってますが、折角なので感想をば。


下記が作品のザックリ概要です。

_____

日本のコンテンポラリーダンサー/振付師の 鈴木竜 が振付や音声制作を行い、インドへ送り、それをインドのコンテンポラリーアート集団 attakalari が踊るコラボレーションパフォーマンスについての、オンライン配信による上映作品。

_____



「ダンス」はそもそも、生で見る迫力や空気感を通してアーティストが表現していく場だと思います。

しかし本作ではその表現手法は、やはり通用しません。

物理的な空間共有を行わずにコラボレーションを形にしていく姿勢には熱量が溢れ、社会生活がリアルタイムで密接に反映された言葉たちは、コロナ禍を生きる全員にとって寄り添ってくれる落ち着きを感じられる作品でした。


アーティストと観客の主体・客体構造の変容

通常のパフォーマンス生鑑賞では、観客とアーティストの境界がはっきりしており、見る・見られるの構造が明確にできています。

観客(見る)→→→アーティスト(見られる)


しかし、本作では、鈴木竜のオンライン参加が共通認識であり、ステージに「いない」ため、見られる対象アーティストがattakalariのみ、

すなわち鈴木竜が、見る・見られるの構造から脱したため、従来とは異なる観客とアーティストの関係性を提示していたと思います。

きっと鈴木竜自身も「観客」としてYouTube配信見たと思いますし(笑)


また、音声:鈴木竜(いない)、ダンス:attakalari(いる)という出だしでしたが、attakalariの音声に代わり、さらに歌が生声に変わった演出は、いない・いるの関係がまたクロスオーバーしていて、ドキッとさせられて面白かったです。

ドラえもんの出番

振付や音声の表現については、コンテンポラリーダンスなんて難解なものだ!と腹をくくって観ていたのですが、

闇や水、鮫といった、わかりやすい恐怖のモチーフから始まったのに拍子抜けしました(笑)これについては見進めていくうちに、「確かにしょっぱなからドラえもんは出せないよなあ、、、」と後から腑に落ちました。(笑)


ドラえもん、インド音楽それぞれに観客の前提知識の格差があり、すなわちそれが「異文化」だと思いますが、パンデミックは文化に関わらず私たちの生活へ大きな影響を及ぼしています。

そんな中でもひとりではなく、誰かと共同して何かを作り上げていく営みを、私たちはやめられないし、やめるべきではないです。前へ進むために、動かす手を止めない方々の、素敵な作品を観ることができました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?