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追われない生活がしたいのは贅沢か-623

気が付けばここ4日ほど、桜の話しかしてませんでした。どうもです。

とてもいいヘッダー画像です。hantahoriinote20さま、ありがとうございます!

さてはて、土曜日の関西は良いお天気にめぐまれて周りのみんなはこぞって花見に、かくゆう私もその一人でした。
吹田の万博公園が近いので午前中のうちに向かったのだけれど、大量の人。どんどんと公園に吸い込まれていく人だかりを見て断念。

その代わり、万博公園が近い人の特権というような穴場スポット(モノレールやターミナルに停まるバスでは見つけられない場所)に絶好の桜スポットがあり、人ごみにもまれることなく桜を楽しむことができました。

と思いきや徒歩30秒のところにも絶景の桜道があったりして、、、

こんな風に本当はそばに十分な贅沢があるはずなのに、ついもっともっとと手を伸ばしてしまうことがある、これがそのいい例です。笑

ーー

4月になったらずーーっと忙しかった仕事の波も落ち着くだろう…と思い猛進していたのだけれど、ありがたいことに?4月になってもまだしばらく忙しい波は続いたまま、今日・明日の自分の高パフォーマンスを祈り続ける日々が続いています。

予想外なスケジュールが入ってきたりすると、ずっと続いているお仕事の進捗報告なども言い訳じみてきたりして、常にがけっぷちのふちを歩いているような感じ。

それでもどうしても、寝るとき以外の時間を事後とだけに費やすということが無理な人間のため、常にがけっぷちのままシャカリキに頑張りながらしっかり休み、しっかり遊んでおります。

ただ、休息を入れると、もう仕事以外自分のやりたいことに割く時間が完全になくなってしまうので、結局時間は足りないのです。

やりたいことがほかにもいろいろあって、でも時間は限られていて、今が一番若い時で…そう思うと多方面から焦りのような気持ちが押し寄せてきますが

こんなふうにずっと追われているということは、誰かのチカラになっていたり、求められているから応えたいという気持ちがあったりするわけで

他社がいないとこの焦燥感が得られない(かもしれない)わけです。

そうやって誰かに求められることはうれしいし、ありがたいことなのかもしれないけれど、

やはり人間という心を持った生き物として、本質的に豊かに生きていくのに「追われていること」というのは気の休まらない辛い時間でもあったりするので

実際どういう心持ちで生きるのが自分にとって心地よいのかというのは、まだ少し悩ましい問題であります。

今はもう少しがむしゃらに、そして少しずつ自分の裁量と生活のリズムをリンクさせて、心も豊かに満足していけるように動けたら一番よいのですけどね、

今はその準備期間なのでしょう。
きちんとやすんでいる感覚も持ちながらもう1カ月ほどきばってまいります!きばるって関西弁なのかしら、頑張ってまいります!笑

皆様もお身体にお気をつけて、桜を楽しみつつ、年度末乗り越えましょう。


確定申告とかね!笑

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