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「それ知ってる!」が、興味のきっかけになる

先日、3歳次男と病院に行ったときのこと。

先生がいろいろと説明してくれているのを神妙な顔で聞いていた次男。

説明の中で「白血球」という言葉がでてきたとたん「ぼく、はっけっきゅうしってる!わるいやつをやっつけてくれるんだよ!」と先生に目をキラキラさせて言っていた。

長男がはたらく細胞のアニメをみているのを横で一緒にみていたらしい。よく知ってるなーとおどろいた。


また別の日、とつぜん小4長男に「ぼくの血液型は何型なの?」と聞かれた。
説明をしていたらいろいろと疑問がでてきたので(なぜABCじゃなくABOなの?とか)、YouTubeでそもそも血液型ってなんなの?という解説動画を一緒にみた。

ここでも白血球と赤血球の話が出てきて長男は「はたらく細胞にでてきたやつだ!」と、そのあとの専門用語がバンバンでてくる小難しい動画を興味津々でみて、親が思うより血液型のちがいについて理解したようだった。これもおどろいた。


はたらく細胞、なんてすごいんだ。

と、体の仕組みをイメージとして理解するという意味でコンテンツとしての力があるなぁと改めて思う。


同時に、「聞いたことある」「(なんとなく)知っている」ということにはめちゃくちゃ意味があるんだなと思った。

興味というのは0から生まれるものではなくて、1とか2知っていることに別の場所で出会ったときに、「知ってる」を入口に興味が大きくなり、知ってるが3とか4になる。

そうやって何度も出会ったり深ぼったりする中で、知識がついたり理解がされるのだ。


最近、興味→学ぶという順番のパワーを感じていたのだけど、知ってる→興味→学びというプロセスをぐるぐる回すことが学びなのかもなと。


それはまさに、コネクティングドッツ的な現象に近くて、体系的ではなく、さまざまな「点」を打つこと。

はたらく細胞のアニメや漫画をみて、白血球や赤血球という言葉を知ることも、マインクラフトのコマンドでつかう英単語を知ってることも、漫画やYouTubeをみて世界の国の名前や偉人の名前を知ってること。

くわしく理解していなくても、聞いたことある!なんか知ってる!が、興味の入口になるとしたら、すぐにはつながらなくてもたくさんの「点」は、いつか学びにつながる種のような存在なのだろうなぁと思う。

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