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国税をやめる その6

コロナパンデミックの始まりにより、強烈な「違和感」が日増しに強くなっていった。

「なぜ、無意味な感染症対策をするのだろう。マスクをしたって、ウイルスなんて、マスクの隙間から漏れるに決まってるだろう。飲食店が設置したアクリル板の仕切りだって、まったく意味がない。間隔をあけて、並んだところで、それが、感染症対策として意味があるのか。そもそも、新型コロナウイルス感染症とは、騒ぎ立てるような危険な疫病であるのか。」

さまざまな、疑問が頭の中を行き交う。

「国や行政、報道機関が、ウソの情報を流すことなど、ありうるのだろうか。確かに、戦前は、軍隊が大本営発表として、誤った情報を発表していた。しかし、現代の日本において、国家が公然とウソ情報を流すことなどあり得るのだろうか。もし、ウソ情報が流されていたとしたら、国民や識者が黙っていないだろう。日本だけではなく、世界で発表されている「事実」が「ウソ」であることなどありうるのだろうか。」

こんな趣旨の言葉を聞いたことがある。
「小さなウソで人をだますのは難しいが、ウソが大きくなればなるほど、人をだますのは簡単である。」

実際の話、通勤電車やバスの過密な状態の中で、マスクをしなかったが、体調を崩すことはなかったし、mRNAワクチンを打たなかったが、疫病に感染することはなかった。

こんな趣旨の言葉もある。
「90パーセントの真実の中に10パーセントのウソを混ぜると人を簡単にだませる。」

おそらく、「ウソ」に薄々感づいている人も、ある程度いるが、
「みんながだまされるのであれば、世間で波風立てるよりも、みんなに合わせて、だまされる(だまされたフリをする)方が楽である。」
こういう意識が日本には強い。
そもそも、だまされているという意識がない人が大多数であるのだが・・・。

ウソを見抜き、思考の檻(おり)の中から出ると、いろいろなものが見えてくる。

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