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愛媛県・久万高原町にある「面河(おもご)」の地域おこし協力隊 |面河地区にUターンで帰ってきた宇宙人が、面河のことを記録していく「くわなの面河探訪記」を隔週木曜日に更新中

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  • くわなの面河探訪記

    愛媛県・久万高原町にある面河地区の歴史やあれこれをまとめた記事 地域おこし協力隊のくわなが、面河の歴史、文化、現在の様子を、考察を交えながら記録していきます。 隔週木曜日に更新予定。

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No.2 “面河”とはどのような山村か?

 みなさまこんにちは。面河地区で地域おこし協力隊をしているくわなです。前回は私の自己紹介で終わってしまいましたので、今回こそは「面河(おもご)」のことをお話しできたらと思います。  今回は、初めて面河地区を知った方でも、ざっくりと面河のことがわかる「概要編」としてお送りいたします。 面河地区ってどこにあるの? さっそく面河の所在地からご紹介していきます。  面河地区はオーストラリア……ではなく、四国4県の一つ「愛媛県」の、  松山市を含む”中予地区”の南の方にある、上

    • No.9 ”大味川六人衆”とは何者か?

       皆さまこんにちは。先日打ち付けた腰の痛みが長引いている、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、面河地区の人口変遷についてお話させていただきました。  (前回記事はこちら↓)  また、No.2・No.5では面河地区全体の概要を。そして、No.3・No.4・No.6・No.7では杣野(そまの)地区の学校や偉人、発展の歴史を紹介してきました。  が、ここで一つ気がついてしまったことがあります。 大味川(おおみかわ)地区のこと、全然触れていなかった!!!  私

      • No.8 面河の人口はなぜ10分の1になったのか?

         みなさん、こんにちは。面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、渋草地区が中心部として発展していった流れを、一緒に見ていきました。そこでは昭和20~30年頃に面河地区の人口がピークを迎え、さまざまな施設やお店が並んでいたお話をさせていただきました。  また以前のNo.2では、近年人口減少により無人の集落が現れるようになったことに触れておりました。 (前回の渋草地区に関するお話はこちら↓) (無人集落にもふれた面河地区の概要編はこちら↓)  今回は、そんな人口

        • No.7 “渋草”はいかに面河の中心部となったのか?

           皆さまこんにちは。新年度、新しい出会いに少し緊張気味の、面河地区・地域おこし協力隊くわなです。  前回は、面河地区の発展に大きく貢献された、重見盛蔵氏・丈太郎氏について、詳しく紹介させていただきました。  今回は、そんな彼らが腰を据えた面河地区の中心部・渋草(しぶくさ)地区が、どのように発展していったのかをみていきたいと思います。  ぜひ最後までご覧ください。  (重見親子に関する記事はこちら↓) かつての中心部 さて、先ほど面河の中心部は渋草地区だと申しましたが、こ

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        No.2 “面河”とはどのような山村か?

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        • くわなの面河探訪記
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          No.6 ”重見氏”が黒森峠を越えた理由は何か?

           皆さまこんにちは。ワンちゃんよりも猫さま派、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回、面河の地名の変遷についてお話させていただきましたが、その中で「面河村」への改称を提案した人物を覚えていますでしょうか?  (前回記事はこちらから↓)  そう、「重見丈太郎(しげみじょうたろう)」氏です。(前回も補足したように、厳密には「丈」の右上に「`」が付きます)  丈太郎氏は、面河地区にさまざまな革命をもたらした人物です。  実は彼、もともと面河産まれの方ではなく、お父

          No.6 ”重見氏”が黒森峠を越えた理由は何か?

          No.5 面河はいつから面河なのか?

           皆さまこんにちは。面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回までの2回は、「敬身小学校」にまつわる少しマニアックな話題でしたので、今回はまた概要的なお話に戻りたいと思います。  さて、敬身小学校についてお話する中で、「面河村」「杣野村」「大味川村」「杣川村」「北番村」など多くの村の名前が出てきました。少し混乱された方も多かったのではないでしょうか?(それをわかっておきながら後に回した理由は、No.3でお話した通りです。)  これらは全て、かつて面河地区に存在していた

          No.5 面河はいつから面河なのか?

          No.4 “敬身小学校”はどこに存在したのか?(後編)

           みなさんこんにちは。最近、花粉の気配を感じ始めた面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回、No.3の記事では、”面河村誌”を参考にしながら、幻の「敬身小学校」がどこに存在していたのかを考察していきました。  その結果、杣野地区の5地域のうち「笠方」「渋草」「前組」「相の峰」に存在した可能性は低いのではないか?という結論に。残る大成地区に存在した可能性を探っていくことになりました。  今回は、その続きからお話を始めたいと思います。  なお、前回の記事はこちらから読

          No.4 “敬身小学校”はどこに存在したのか?(後編)

          No.3 “敬身小学校”はどこに存在したのか?(前編)

           みなさまこんにちは。面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  本題へ入る前にひとつ。先日1月20日頃に配布された「広報久万高原1月号(No.234)」はもうお手に取られましたか?  「久万高原町に住んでないし読めるわけないやん!」というそこのあなた。下記のサイトからご覧いただけますので、ぜひ最後のページをチェックしてみてください。(CM)  今号の協力隊コーナーはくわなの担当回ということで、日ごろの活動について少しお話させていただきました。  今回からは、その中で取り

          No.3 “敬身小学校”はどこに存在したのか?(前編)

          No.1 このnote記事の筆者は何者か?

          ごあいさつ  みなさま初めまして。  こちらのアカウントでは、私が普段フィールドとしている愛媛県・久万高原町にある「面河(おもご)地区」のさまざまな歴史や文化などを紐解いていきたいと考えております。  が、いきなりどこの誰とも知れない人物が、突然愛媛の山奥にある地域の話を初めても、なんのことやらでございましょう。  というわけで今回は、私の自己紹介を簡単にさせていただきたいと思います。 普段のおしごと  私は冒頭で紹介した面河地区で「地域おこし協力隊」をしている”く

          No.1 このnote記事の筆者は何者か?