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05雑談 認識のズレ


はじめに

 こんにちは、Rainです
 今回は雑談回第五弾ということで、テーマは「自分の認識と一般認識のズレ」で話していきます
 認識が間違っていると自分のあたりまえを相手に求めてしまったり、いろいろトラブルのもとになったりしますよね
 今回の話はそういった話ではないですが、できれば面白く話していけたらと思います
 それでははじめていきます

私って普通?

 最近はあまり記事をかけていませんが私は世間一般でいうアニオタです
 割と幼少期からアニメ好きであることは自覚していましたし、今でも毎クール新作はチェックしますし、好きな作品は何周もするくらいしっかりアニメを見ていると思います
 アニオタであるという感覚は中学生くらいからありましたし、周りもアニメ好きの友達で集まっていました
 ただしっかりとアニオタと自覚したのは高校生になってからでした
 もともとアニオタであるとは思ってはいたのですが、イマイチ自分がオタクと言われる存在なのかと疑問に思っていました
 それはオタクに対しての嫌悪というわけではなく、自分がオタクと言われるほどアニメを見ていると思っていなかったし、一つの作品にのめり込むということもなかったからです
 言ってしまえば、自分は普通だと思っていたからでした
 誤解のないとために当時の私が思っていたオタク像を少し説明すると、毎クールほぼすべてのアニメを見ていて、グッズなども積極的に購入、学校以外の時間はほぼアニメかゲームというような印象でした
 そのため私は確かにアニメは好きだけど部活にも入っていましたし、外で友達とバスケをしたり、映画に行ったり、ボウリングにいったり、私が考えるオタク像とは違う生活をしていたからです
 今思うと別に部活をしていても、遊びに行っていてもオタクはオタクですし、それらをしていてもしていなくても別に特に変わらないとは思っていますし、それが悪いことだとも思いません
 ただ少なくとも中学時代の私は私の中のオタク像をイメージとして強く持っていたため、自分はアニメ好きなだけでオタクと言われるほどなのかよくわかっていませんでした

私の中のオタク像の原因

 そもそもなぜ自分が極端なオタク像を持つことになったかというと、小学生時代、中学生時代に関わっていた友達、その中でもアニオタに分類される友達のほとんどが私以上にアニメを見て、アニメにのめり込んでいたからです
 当たり前なのですが、小学生時代から深夜アニメを積極的に見ている人はほとんどいません
 今はネットサービスが豊富で多少は昔よりも見つけやすいし、それなりに数はいると思いますが当時はスマホもなければネットサービスも普及していない時代です
 アニメを見る方法はリアタイするか、パソコンでネットで見るか、録画するかの三択です
 リアタイは小学生に深夜に起きていることを許す親ならいいですが、まぁ基本的にはあんまり許されていないと思います、ましてや当時の親世代だアニメを見るために夜更かしを許すことはかなり稀だったと思います
 録画も同じでアニメ文化自体がそもそも疎まれていた時代に親の目に入る場所で深夜アニメを見ること自体難易度が高いし、録画履歴から即バレして理不尽に怒られるなんてことも普通にありました
 パソコンをつかったネット視聴はそもそも当時から違法でしたし今ほどネットは普及していなかったので小学生がパソコンを使えることはかなり珍しかったです、正直私はよくわからずに使っていました・・・
 これら理由から私が小学生の時に深夜アニメを見ている人はかなり限られていたはずなのですが、幸か不幸か私の周りにはその稀有な存在がそこそこの数揃ってしまっていたのです
 そして、当時の環境で小学生でアニメを見ている人の家は親からすでにアニオタかかなり緩い家であることが多く一般家庭の私よりも積極的にアニメに触れる機会が多く、常に自分よりもアニメに詳しく、アニメを見ている人がいるという状態が続きました
 しかもそういった友達のほとんどが帰宅部、もしくは幽霊部員であったり、遊ぶ時もアニメ鑑賞や家でゲームということが多く、小学校から中学までの期間ですっかり自分の中でのオタク像が固定化されてしまいました

気付いたきっかけ

 私が自分をオタクだとはっきりと認識したのは高校に入ってからです
 元々私は中学時代まで家の方針で運動部がほぼ義務のようになっていました、そのため文化部の知り合いは限られていて関わりのあるオタク友達は小学校からの人が多く、上で書いた通り自分のオタク像に近い人がほとんどでした
 しかし、高校に入ったことで環境も人間関係も大幅に変わり、運動部との兼部という形になりましたが私自身も文化部、それもイラスト研究部というオタクの集まる部活に入ったことで認識が大きく変わりました
 想像以上にみんなアニメを見ていないのです
 中学三年頃には録画やある程度の配信サービスなどが台頭してきて今まで録画での視聴が殆どだったころに比べて、クール毎に見れる作品数も過去作の見やすさも段違いに向上していた私は当然のように周りも同じ数、なんならそれ以上見ているものだと思っていたのです
 実態は先輩であってもそこまで多くの作品を見ているわけではなく、1クール5作程度が精々で過去作品を見ているひとは殆どいませんでした
 私は私以上にアニメを見ている人とばかり関わっていたから気づけていなかっただけで、世間から見れば高校入学時点で数百を超える作品を見て1クール10作近く見ているのは十分にオタクだったのです
 そりゃ今思えば当たり前ですが凝り固まったオタク像を持っていた私からすれば普通だと思っていたことがかなり特殊な例だと気づいて衝撃を受けました
 なんなら兼部や委員会でかなり忙しい中寝る時間よりもアニメを見る時間を優先して同じようなペースで生活を続けていくうちに、周りはそんなに本気になってアニメを見ていないことにも気づけました
 アニメの楽しみ方は人それぞれなので別にいいのですが、それでもオタクと言われることに違和感はありましたが次第にその違和感も納得に変わりました

現代のオタクとは

 そもそも私が考えているオタクと世間のオタク像がかなり乖離していたのです
 正確には上で書いたオタク像は割と一昔前の世間のオタク像ではあったと思いますし、今でもそのイメージを持っている人は多くいると思います
 ただオタクという言葉はもっと軽く使われる言葉に変わっていたのです
 ○○オタクと言われるとその○○にのめり込んでいる人やそれに対して多くの知識を持っていたり、精通している人だと思ってしまいますが、現代ではもっと簡単に使われています
 現代ではオタクという言葉は単にそれを好きな人という言葉に成り代わっています
 アニメオタクはアニメ好きな人だし、アイドルオタクはアイドル好きの人という意味しかありません
 そこに時間も見た作品数もどれだけお金を使ったかも関係ありません、ただそれを好きで周りより少しでも知っているならばそれはオタクと言われるのです
 正直昔のような意味合いで使われることは殆どなくなり、今では○○オタクの○○は趣味と変わらないと考えています
 私は小学生時代からアニメが好きで今の意味合いになる前からオタクというものに触れてきたので認識が変わるまでに時間がかかってしまいました
 私が普通だと思っていたことは時代の変化と共にオタクと呼ばれるようになっていたのでした

おわりに

 昔から時間をかけて受け入れられて意味が変わるものはありますが、まさか自分がそれをリアルタイムで感じることになるとは思いませんでした
 それがいい事か悪い事かはわかりませんが、少なくとも昔の少し距離を置かれがちなオタクよりも、今の軽い感じで言い合えるオタクのほうが私は好きです
 それに今みたいにオタクという言葉が簡単に使える時代のおかげで私は今でもアニメを好きで見れていると思っています
 今回は「自分の認識と一般認識のズレ」という」テーマで話していきました 
 皆さんはそういった経験はあるでしょうか?
 もしかしたら気づいていないだけで時代に取り残されていることもあるかもしれないですね
 それでは今回はここまで、ご拝読ありがとうございました
 次回もよろしければお願いします

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