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放課後のおしゃべりと〈大根事件〉

※中学校勤務のときの話です。
※生徒さんの名前はすべて仮名です。
※卒業式の頃には毎年、思い出します。

◆タロウくんとの思い出

終礼が終わり,「さようなら」のあいさつが終わったあと,会議などの予定が無いときは,生徒さんとのおしゃべりをたのしんでいる。中学3年生の話題は,受験・塾・卒業・恋バナが話題の定番だ。どんな話の流れだったのか,定かでは無いが,3月のある日,ケンジくんがこんなことを言った。

ケンジ「卒業式のとき,金髪にしたらどうなるん?」
ボク「う〜ん,まずは,ボクがとっても悲しくなるかなあ」
ケンジ「卒業式には出られるん?」
ボク「難しいだろうねぇ。それよりもボクはとっても悲しくなると思うなあ。頼むでー。そんなことせんとってやー」
ケンジ「大丈夫,大丈夫。ちょっと聞いてみただけ」


ケンジくんは今,クラスの学級委員。卒業式のときに金髪にしてくるとはまったく思っていない。学校外の野球チームで汗を流しているし,丸坊主だし。
そばで話を一緒に聞いていたサクラさんが,思わぬことを口にした。

サクラ「そういえば,タロウくんもそんなことを言ってたわ〜」

タロウくんというのは,昨年度の卒業生。中2・中3と持ち上がった,ちょっとやんちゃな生徒さん。でも,ボク自身は〈手を焼いた〉という印象はまったくない。
そのタロウくんの名前が突然出たことに驚いた。タロウくんの言っていた〈そんなこと〉の中身も気になった。

ボク「ん? 去年ボクのクラスだったタロウくん? 〈そんなこと〉って?」
サクラ「卒業式の前に金髪にしたけど,〔担任の〕先生の悲しそうな顔を見て,〈〔金髪なんかに〕やらんかったらよかった〉って,言ってた」

そういえば,そんなことがあった。卒業式の2日前だったか3日前だったか。あるいは前日か。かったるい卒業式の練習をサボった数名の生徒さんの中に,確かにタロウくんもまじっていた。金髪にして自転車に乗って学校の近くを走っていたところを〈確保〉し,数名の先生方で取り囲んで〈指導〉したシーンを思い出していた。そのときのボクは,取り囲みの中かそばにはいたけれど,ずるく立ち回り小言は一切言わなかったと記憶している。〈指導〉が終わったあとに,「どうした? なんかよっぽどイヤなことでもあったんかー?  家で何かまたもめた?」とコッソリ聞いたように思う。いつもと違うタロウくんは「ううん」「なんとなく」と口数少なかったっけ。

◆大根事件

こんなこともあった。
勤務校はその敷地面積の広さから,地域に菜園畑をグラウンドの片隅に提供している。ある日,畑から「大根が抜かれていた」という苦情が地域からあった。目撃証言などから,早々にタロウくんと別のクラスのFくんが呼び出されることになった。

ボク「畑の大根,抜いた?」
タロウ「うん……」
ボク「どうして抜いたりしたの?」
タロウ「どんなんかなーって思って。でも,戻したで!」
ボク「うんうん。〈盗られた〉という話ではなかったよ。でもね。大根は抜いたら,そこで成長が止まってしまってダメになってしまうんだって」
タロウ「それは知らんかった…」
ボク「そっか。謝れそう? 教頭先生のところへ行けそう?」
タロウ「うん…」

タロウ「〔教頭先生のところへ〕行ってきたでー」
ボク「そっか。ご苦労さん。こってりしぼられたやろ?」
タロウ「うん。まぁ,しゃーない」
ボク「あんまり面倒なことするなよー」
タロウ「はーい」


〈大根事件〉のことなどを思い出しながら家路についた。家に帰ってからのんびりと,本をめくっていた。先日「オモチャと工作と学校の会」で,市原さん(愛知)が紹介してくださった,山口創『子供の「脳」は肌にある』(光文社新書,2004)という本だ。〈「なでなで」が思いやりを育て,脳をはぐくむ〉と帯に書いてあったので,すぐに購入した。今日,読み始めて,びっくりした記述があった。

 こんなとき,頭ごなしに「ダメ!」と叱ってしまいがちであるが,少し待って,考えてみてほしい。この「枠からはみ出している」ということは,あくまで大人側からみた論理である。
 親から頭ごなしに否定されると,子どもは自分の「やりたい」という感情を,どうやって処理していいかわからなくなってしまう。我慢させると我慢強い子になるわけではない。自発的に湧いてくる好奇心や有能感を存分に満たしてあげないと,子どもはかえって欲求不満になってしまうのだ。
(中略)
 そのような大らかなルールの中で,存分にいたずら心を満足できた子どもというのは,その後も自発的に行動し,前向きに生きていくことができる。自分の欲求や感じていることが敏感にわかるということは,非常に大切なことなのだ。このように,体を自由にさせてもらっていると,心も自由に動く。そして心が自由だと,体もまた自由に動く。すると相手の感じていることも敏感に感じとれるようになる。それと同時に,「自由に遊ばせてもらったんだから,それ以上はお母さんを困らせてはいけないな」という思いやりの心を発達させることにもつながるのである。

山口創『子供の「脳」は肌にある』(光文社新書,2004)

学校現場では「〈我慢〉も教えないと,わがままに育ってしまう」というのは,よく耳にする。「ホントかなあ」とボクは懐疑的だった。山口創さんが本に書かれていることも,(今の段階では)鵜呑みにすることはできないが,ボクは元気になれる記述だったから,それだけでうれしい。同時に,ボクとタロウくんとの2年間をずーっとのぞいていたかのような記述だと,ボクは思った。
偶然にも心地よい感覚が生まれた。

(雑誌『たのしい授業』№421(仮説社)に掲載)

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