見出し画像

7 年越しの感想文(卒業生からのメッセージ)


(文中に出てくる生徒名は全て仮名です)

中学校に勤務したことがあります

 工業高校で「工業」の教員をしていましたが,特別支援教育に興味をもってしまい,特別支援学校(肢体不自由・知的)や高等支援学校へ異動したことがあります。「中学(技術)」の免許も持っていたので,どうしても中学校での勤務もしたくなり,「交流人事制度」を使って,3年間という期限付きで中学校へ赴任したこともあります。そしていまはまた,高等学校の勤務です。
 中学校3年間の勤務では,中2・中3・中3と担任を持たせてもらいました。同時に,全校の「技術」の授業も担当しました。このときに中3で担任をさせてもらったユウリさんから,突然,(2020年に)SNSでメッセージをもらったのです。どうやらわたしを探しだしてくれたようです。
 ユウリさんのことはよく覚えています。文化祭のクラス劇では堂々とした「演技」が印象的でした。
 ちょっとドキドキしながらメッセージを開きました。

ユウリさんからのメッセージ

まこと先生😌
お久しぶりです。お元気ですか?覚えていらっしゃらないかも知れませんが、○○中学校 □期生として卒業した、ユウリです。
私は、おかげさまで、大学4回生になりました。今は、△△△△大学に通っています。
大学一年生の頃はアカペラをしたり、もちろんミュージカル活動をしたり、劇団四季のオーディションにチャレンジしたり、コンクールを受けたり、色々なことに挑戦しました。また素敵な友達にも出会いました。たまたまではありますが、中学三年生の時に同じクラスにいた、マユミさんとも、今は同じバイト先(駅前にあるケンタッキー)で働いていたりと、元気に楽しくやっています。
大学生になり、たくさんの人と出会い、様々な経験をしていく中で、色々なことを学びました。
今はこんな世の中ですので(編注:新型コロナウイルス感染症で「緊急事態宣言」が発出されころのことです)、学校もなく、部屋の片付けをしていると、まこと先生が作ってくださっていた、「ラジカル」という、クラス通信が出て来ました。つい夢中になり、読んでみると、その時にはわからなかった、対人関係の話であったり、人生のお話であったり(まだ完璧にわかったわけではない)、中学生の時とは違う自分を通して読むと、本当にステキなお手紙を、私たちに配付してくださっていたんだなと思い、今日は、『先生元気かなー』と思って、勝手に、SNSで検索させていただきました。いきなり、すみません。
中学三年生のことを思い出すと、今考えると小さいことで悩んでいたなぁと思う部分もあったり、それでも一生懸命あの時を生きていたなぁと思います。
😌
先生がよく言っていた、『いまから、ここから』という言葉も、何か物事を始める前にいつも思い出します。
何か、人生で迷った時、どうしたらいいかわからない時、先生のお手紙(クラス通信)をみると、前に進むための、答えではなく、ヒントがあるように思え、大事にとっておいて良かったなと思いました
🌷
いきなり、そして、まとまってない文章をすみません。どうしても、伝えたくて、送りました。
ありがとうございました。
お体に気をつけてお過ごし下さい。

当時の学級通信「ラジカル」

マネをしているのに・マネをしているから

 なんということでしょう。7年越しに学級通信の感想文を送ってくれたのです。しかも,〈人生で迷った時、どうしたらいいかわからない時〉に〈前に進むための、答えではなく、ヒントがあるように思える〉とは,なんとステキな感想文なのでしょうか。
 わたしの学級通信はほぼ毎年,同じことの繰り返しです。中さん(東京・中学校)の『進路だより』や『学年だより』,綿貫さん(埼玉・中学校)の『かわら版総集編』(学級通信「かわら版」の私家版合本)をマネして発行していました。
 「学校行事に向けては,これを書けばいいのか」 「この時期にはこの詩を引用するとステキだな」 「進路の話はこれを使わせてもらおう」 と,マネをさせてもらってほんとうに助かりました。
 その「学級通信」を大切に保管してくれていたこともありがたいし,卒業して7年経ってから読み返してメッセージを送ってくれるのもありがたくて涙が出そうです。
 中さんがどこかに書いておられたと思うのですが,「個性的であることを目指さず、確かなものをマネする」ということをこれからも意識していこうと,改めて思っています。


板倉聖宣『発想法かるた』(仮説社)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?