本の紹介:『予想どおりに不合理』

 塾の講師としては、テストの点により直結する何かを紹介すればよいのだろうけど…手っ取り早く最近買った本から紹介してみます。

 Amazonのセールに釣られて買ってしまったダン・アリエリーの『予想どおりに不合理』。目を通すのは何度目かになるのだろうけど、手元に置いてじっくり読むのは初めて。最初に読んだ頃の記憶はほとんどなし!2013年に訳本として出版されているから、8年くらい経った今でも面白い。今回は1章だけをば。


相対性の真相

人間は、ものごとを絶対的な基準で決めることはまずない。ものごとの価値を教えてくれる体内計などは備わっていないのだ。ほかのものとの相対的な優劣に着目して、そこから価値を判断する(略)。/大半の人は、自分の求めているものが何かわからずにいて、状況とからめて見たときにはじめてそれがなんなのかを知る。(《エコノミスト》の三択、para.4&6) 

 人間の意思決定が、比較を通して相対的に行われているよという章。まあ、そうなんだろうと思って読み進めて、別に想定外のことが登場するわけではないけど、例がおもしろい。

売りたいテレビをよりお得に見せる販売員サムの価格設定。
独身パーティーで自分をいっそう魅力的にさせてくれる友人の選び方。
3000万ドル近く稼いでなお愚痴をこぼす投資会社社員の嫉妬。

相対性の害のえじき

 わたしたちの決定には、「相対性」が含まれている。時には人生の決断を助けてくれる「相対性」は、時に悪影響(「相対性の害」)を及ぼすこともあるらしい。そして、わたしたちは、「相対性の害のえじき」となりがちのようだ。
 異国の地バルセロナにて、英語しか話せない著者が知り合った一人のアメリカ人旅行者。スペイン語が話せない者同士が共有する仲間意識。普段には絶対に打ち明かさない話を交えながらの楽しいひと時。別れ際にはメールアドレスの交換。「しかし」半年ぶりの再会は残念な結果に。なぜ、再開時にはさほど意気投合できなかったのか。
 その答えは、お互いの比較基準が「通常モード」になっていたからというもの。スペインでは、お互いが「文化的なよそ者」としての比較モードになっていた。そのモードだったからこそ、「お互いはいちばんましな話し相手だった」といえた。「文化的なよそ者」ではない母国アメリカでは、二人の比較基準は「通常モード」だったし、お互いがお互いを多数いる友人の一人と位置付けたことで、きっと再会が楽しくなかったんでしょうね。

あれ?親友だったはずなのに何かが違う?

「相対性の害」としての上記著者談に似ているエピソードが、『拝啓 元トモ様』には数々出てくる。小学校の頃はあんなに仲が良かったはずなのに、再会してみると何かが違う。『拝啓 元トモ様』の「まえがき」に記されるライムスター宇多丸(佐々木のおっちゃん)と、親友Oくんとの再会は、まさに「相対性の害のえじき」となった話にあてはまるだろう。

 うちの塾に来てる生徒にも多くの「元トモ」がいるだろうし、生徒たち自身も誰かの「元トモ」になってるだろう。けど、仮にそれが「相対性の害のえじき」の結果だとしても、きっと「元トモ」をつくる・「元トモ」になる経験はとっても大事。意識して「元トモ」を作ろうとした時点で、「元トモ」どころか「今トモ」さえできないかもしれないけど。相対性の害のえじきになりながらも、意思決定を続けていくほど、人生が豊かになってるってことなんだと、(tomovskyの疎遠を聞きながら)いつか振り返れるはずだから!

人間というものが、絶えず変わってゆく存在であるかぎり、人との関わり方も必然、常に変化・変質してゆかざるを得ない。その意味で、本書[『拝啓 元トモ様』]に収められた「元トモ」をめぐる物語とは、誰もが大なり小なり必ず経験する、一種の成長プロセスなのではないでしょうか。(『拝啓 元トモ様』、p.9 []内引用者補足)

軸がぶれっぶれの本紹介は続く(多分)。

教室長 沼田

#本紹介 #意思決定 #元トモ #レインボープラス



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