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第10球「本名」

「もしもし、A新聞と申しますが。あなたの投稿を是非紙面に載せたいと思い連絡しました。」

三回生になった春、吉報が来た。

日本名から朝鮮名にしてちょうど二年が経ち、当初抱いていた自己紹介時の緊張感もなくなり、同級生達から呼ばれることにも慣れてきた。

本名で生きることに充実感を抱いていた。

それと同時に「自分だけではなく、この本名で生きる清涼感と意義をもっとたくさんの俺と同じような若者に知ってもらいたい!伝えたい!」という思いがどんどん強くなっていた。

留学同活動において「本名話」を後輩たちにする過程で、彼ら彼女らが熟考しその問題に真剣に向かい合ってくれる姿が、その思いを後押ししてくれた。

では、一番影響力があり波及効果のある方法は何だろうか?

考えあぐねた結果、A新聞という全国紙の読者の投稿欄に投稿しようと思ったのだ。

投稿すると言っても初めての経験であり、またどうやって書けばいいのか、内容は投稿に相応しいのか、分からないことだらけだ。

とにかく伝えたい。

知ってほしい。

こういう生き方もできるんだ。

この思いだけで原稿用紙に向かい、悪戦苦闘しながらなんとか書き続けた。

もちろん日本名を名乗る同胞青年が一番の対象だ。ただ、青年だけでなく幅広い世代の同胞、そして日本人もたくさん目にするはずだ。となれば、彼ら彼女らへの訴えかけも盛り込んでいいかもしれない。

書いている途中にそんな欲も出てきた。

雑で長い文を整理し、何度も読み返し、試行錯誤した。

そして、完璧とはいえないけれど、なんとか書き上げ、そして新聞社へ投稿していたのだった。

「本当ですかっ!?ありがとうございます!やった!!」

自分が頭に描いていた計画があまりにも上手く運んだので俺は舞い上がった。

「おお!これはめっちゃ周囲に報告したいぞ!言いたいぞ!!いや、しかし、ここはあえて内緒にしておいて、紙面に気付いた人からの声を待とう!そして悦に浸ろう!」

そんな屈折した妄想を抱いたりもした。

三日後、いつもより早く起き、顔も洗わずに俺は新聞を取りに行った。

いつもなら一面から見るのに、その日だけは投稿欄を真っ先に開けた。

そして、自分の投稿を見つけた!

燦々と輝いているではないかっ!自分が書いたにもかかわらず、別の誰かが書いて俺に語りかけているようだった。


<勇気を持って「本名」名乗る> 

僕が本名を名乗ってから、二年半がたちます。それまでは「朴(パク)って相手が呼びにくいし、仲の良かった友達が離れていくのが怖い」という思いで、日本学校に通う在日韓国・朝鮮人なら、だれしも抱くであろう感情から日本名を使っていました。しかし、僕はその感情を一掃して今、日本社会で生活しています。

確かに、日本名も自分の名前だと思う時もありましたが、自分が何者なのかを追究していくうちに、本名を使用することにたどり着きました。

現在、在日の若者で、本名使用者は一割程度といわれています。

その原因には、親の世代が差別からの「避難所」として日本名を使用してきたことや、我々若者自身が差別に対して過敏になり、自分と向き合うことを避けてしまっていることがあると思います。特に後者は自己否定にも大いにつながっています。

本名を名乗るという行為は、非常に勇気のいることです。

僕も18年間、踏み切れませんでした。

しかし、自分と向き合っていくことを忘れてはならないと思います。そしてそれは、日本社会における内なる国際化促進にも決して反しないでしょう。


掲載後、周囲から予想以上の反応が来た。

「読んだよ!すごく分かりやすかったし共感できた!」

「自分はまだ通称名だけど、ちょっと考えさせられた。」

など、同胞青年からの率直な感想に喜んだ。

中には、「私は日本人ですが、朴くんのこの思いはすごく素敵だと思いますし、応援したいです!」というものもあり、やはり全国紙に投稿して良かったぁと思った。

このことに自信をつけた俺は、それからも「本名原理主義者」と言ってもおかしくないぐらいに、その良さと意義を後輩をはじめ周囲に説き続けた。

在日朝鮮人にとって本名で生きるということは、朝鮮人としてどう生きるかということと不可分である。

在米コリアンが米国名を使うのと、在日朝鮮人が日本名を使うことの意味は全く違う。

民族学校も出ておらず、言葉も歴史も分からない青年が、それでも朝鮮人として生きたいと思った時、即座にできるのは「本名で生きる」ということだ。

しかし、そうやって後輩たちと話をしていく中で、通用しにくい事例も出て来た。

「先輩の言ってることは分かります。その理論も意義も。ただ、僕、やっぱり国籍が日本ですし、母親も日本人なので100%朝鮮人として生きろと言われてもなかなか納得できないんです。」

俺は焦った。彼の意見があまりにも正論すぎるからだ。彼は既存の在日朝鮮人ではない。日本人の血を引いており、日本人としての歴史性を持っており、法的にも日本国民だ。

「そうか。確かにそうやな。君の立場や状況をしっかり考えずに一方的に話をしてしまい申し訳ない。」

俺はそう言って彼と別れた。

しかし、その後強烈に違和感を抱き始めた。

本当にそうなのか?

彼はそのまま日本名で生きて行っていいのか?

しつこいかもしれないが、もう一度彼と話すことにした。

「前に話してた本名の件やけど、君自身はどう思ってるのかな?納得できないとは言ってたけど、それは同時に迷っている、日本名として生きて行くということにも違和感を抱いているということではないのかな?」

彼は少し驚いたような表情をした。

「え?まぁ、そうですねぇ。確かに、日本名を生きることにすべて納得しているわけではないです。ただ、だからといって朝鮮名で生きることにも戸惑いがあり、それならば今の日本名のままの方が迷いも少ないのかなと思ってます。」

「なるほど。ただ、俺はこの日本で生きる場合、やっぱり朝鮮人としての歴史性を持っている以上は、在日朝鮮人として主張すべきやし、朝鮮名で生きる方がいいのではと思ってる。

アメリカや中国など他の国で生きて行くのならどっちでもいいとは思うんやけど、やっぱり日本で生きて行くのであれば朝鮮人として生きて行ってほしい。

これは願望かも知れないけど、日本社会で朝鮮人としての生き方が社会的に抑えつけられ、同胞自身の内面においても否定されている状況においては、その否定されている部分を肯定的に持っていくしか方法がないのではないかと思うねん。」

俺は、自分の偏った考えだというのは分かってはいたが、やはり言わずにはいられなかった。

「うーん、まぁ、そういった考え方もあるでしょうし、分かります。でも、それって日本社会を変えるために本名を名乗る、つまり自分が納得できてなくても社会の為に犠牲になれと言っているように思うんです。僕にはそれができそうにないです。今のところは…」

「いや!そういうわけではないねん!なんていうか上手く言えないんやけど…。ごめんな、なんかしんどい思いさせて。ただ、もし何かの機会で少しでも本名について生きて行こうかなと思った時は、また今日のやりとりを思い出してほしい!」

彼との話はそれで終わった。

数ヵ月後、俺はまた別の後輩から問題提起された。

「私は、今の下の名前の読み方を気に入ってます。それは父と母がその読み方で名付けてくれたからです。それを今から朝鮮名の音で呼ばれるのには抵抗がありますし、何より父と母に対して申し訳なく思ってしまいます。だから本名にはできません。」

彼女の意思は固そうだった。

「そうかぁ。確かにそう言われればそうやんなぁ。ご両親は漢字だけではなくその読み方にまで思いを込めて付けてくれたはずや。それを朝鮮読みで行くというのは当然抵抗もあるやろう。」

俺は、彼女に共感しなんとかより添おうとしたが、やはり違和感を抱いた。

「でも、君は朝鮮人として生きるということには抵抗がないんやね?」

「そうです。周囲に隠すつもりもないですし、実際何人かの友人には既に言ってます。」

「なるほど。ただ、社会出た時にその日本名でこれから活躍していくんやと思うけど、そのたびに自分の出自を聞かれない限りは日本人と思われることになるけど抵抗ないの?」

彼女は少し戸惑ったような表情になった。

「え、まぁそうですけど。それはしょうがないかなと。いちいち言うべき事でもないですし…」

「いや、しょうがなくはないと思うよ。君はさっき言ったように朝鮮人として生きようとしている。でも日本人として思われることはしょうがないと思っている。これは矛盾してないかな?君を責めてるわけじゃないんやけど、そこは分かっていてほしいねん。」

「そうなんですけど、それでもやっぱり名前を朝鮮名にはできません。」

彼女は、俺の目をじっと見みながらそう言った。

正直、その意志の強さに飲まれそうになったが、やはり最後に自分が思っていることを言わずにはいられなくなった。

「わかった。その名前への思いは尊重する。最終的には君の自由だからもう何も言わないし、言う権利もない。

ただ、名前ではなくて姓(名字)についてはどうなんやろう?

そこに<親の思い>ってあるのかな?

こういう風に育ってほしいからこの姓にしたということは考えられる?

誤解を恐れずに言えば、下の名前や読み方は結局何でもいいと思ってる。太郎だろうが花子だろうが。

ただ、姓はそうじゃないと思うねん。君のその日本の姓に込められたのは親の思いではなく、日本帝国主義の傲慢と在日一世たちの悲哀しかないと思ってる。

きつい言い方かもしれないけど、俺は本当にそう思うねん。

本名宣言の本質って、まさにこの姓をどう名乗り、自分の歴史性をどう表すのかにあると思ってる。」

そういうと彼女はうつむき、そしてなにも答えなくなった。

俺が本名について話したこの二人の後輩は、その後留学同に顔を出すことが少なくなった。

日本名のままで上回生として参加することが難しくなる雰囲気もあるのだろうが、やはり俺との話が少なからず影響していたのだろう。

正直、落ち込んだ

そのまま同胞青年として仲良く何もないまま楽しく過ごしていればよかったのかもしれない。

もっと丁寧に、じっくりと話せばよかったのかもしれない。

しかし、俺は言わざるを得なかった。

自分にウソをつきたくなかった。

A新聞社からふたたび連絡が来たのは、そんな状況の時であった。

「朴さんでしょうか?私は投稿欄担当させてもらっている者ですが、実は先日、教科書を製作している出版社から連絡があり、この前投稿していただいた記事を是非教科書に載せたいとの連絡がきました。」

「えっ!?教科書?日本の学校で使われている教科書ですか?」

「はい、そうです。全国の中学生が使う社会と言う教科書に掲載したいとのことでした!すごいですね!」

おおおおっ!なんじゃこれは!!

学も知識も地位もない勢いだけの在日朝鮮人のなにげない新聞の投稿が、あの公立の教科書に掲載される!?信じられないっ!!

いや、でもこれは俺が願っていたことそのままじゃないか!?

日本の学校に通う同じ境遇の在日同胞青年に読んでもらえる可能性が出て来た。新聞記事は一度きりだし、気付いてもらえない可能性もある。

しかし、教科書なら授業で取り上げてもらえるかもしれないし、何度でも彼ら彼女らが見えにする機会があるだろう!なんて日だっ!!

その後、出版社の方と協議し、公民の教科書としてとうとう掲載されることとなった。

半信半疑であったが、その後、掲載教科書が手元に来た。

感無量だった。

※余談ですが、後のサマースクールなどで、参加者の前でこのことを話した時に、少なくない学生たちが「あ!その記事読んだことある!」「それを書いた人に会いたかった!」などと言ってくれた時は嬉しかったですし、教科書の宣伝能力のすごさを認識しました。笑

本名の話というのは非常にデリケートだし、いろんな考えがあるだろう。

でも、やっぱり俺はこれが正しいと思うし、可能な限り説き続けて行きたいと思う。

必要とされている限りは。

いやしかし、在日朝鮮人がちょっと声を上げ行動しただけで、こんなにも大きな影響を与えることがあるんやなぁ。

これはある意味メリットではないのか?

在日朝鮮人は生まれながらにとてつもない可能性を実は秘めているのではないのか?

そうじゃなくても、そう思いたい!思いたいのだ!




在日朝鮮人のとてつもない可能性。

そのことを考えながら、僕は二回目の祖国訪問を迎えることになる。

そこには、たくさんの「誇り」が俺を待っていた。

今日もコリアンボールを探し求める…

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