セルフほねらね理論こそ創作の原点

ある年齢にさしかかり、どうも世の中に読みたい小説がない、と思うようになった。ファンタジーはもう飽きたし、歴史ものは知識が増えるごとに新味を感じられなくなった。SFはもともと苦手だし、ミステリもあまり興味がなかった。もうフィクションは楽しめないのではないかとすら思っていた。

「それなら、読みたいものを自分で書けばいいんじゃないか?」

あるとき、どこからかそんな声が聞こえてきた。気がついたら小説を書くようになっていた。それから3年、どれくらい上達したかわからないが、書くことを楽しめるようにはなっている。語彙力や表現力が増したおかげで、書きたいことを少しづつ書けるようになってきているのだろう。

不思議なもので、書く立場になると、読みたい小説が増えてきた。この作品に何を学べるか、という視点で読むからだろう。どんなジャンルにも学べるものはあるから、あらゆるジャンルの小説を読むのが楽しくなった。読書が楽しくなかったのは、いつも受け身の立場で読んでいるからだった。

レストランの食事に文句を言ったら厨房からコックが飛び出してきて「ならお前がもっと美味い料理を作れ」と言ってきたら、これは無茶というものだ。ただのお客がコックより上等な料理を作る義務はない。しかしこちらがコック志望者なら話はまた別だ。他人事のように批判ばかりしているわけにもいかない。

既成のものに文句をいうのも自由だが、ならもっといいものを自分で作るという選択肢だってあるのだ、ということに気づいたとき、人は創作者になれる。ほならね理論は他人にではなく、自分自身に適用することもできるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?