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「自作を自分で貶すな」について思うこと

創作関連の人をたくさんフォローしているので、ツイッターのTLには多くの創作論が流れてくる。なかでもよく見かけるのは「自分の作品を貶すな」というものだ。自分で自分の作品を悪く言うなんて、貴方のファンに失礼じゃないか。もっと自信を持て。どうしてもっと胸を張れないんだ。

その言い分自体は正しいのだろうが、こういう正論を耳にするたびに、どうも私はモヤモヤとした気持ちになってしまう。それは、こういう話をするのはたいていプロか、そうでないにしてもかなり多くのファンを抱えている、要は「力」を持っている側の人であることが多いからだ。

すでにファンをたくさん抱えている人なら、ファンに失礼なことを言ってはいけないという気持ちになれるのは当然のことだ。自信を失っても、落ち込んでいる姿を見せてはいけないという自制も働くだろう。だが、本当にファンが一人もいない人はどうか。ファンがいてもごく少数なので、ファンがいると実感できない人はどうなるのか。そういう人こそどうせ自分なんて、と言ってしまいがちなのではないだろうか。もし「自作を貶すな」という台詞がファンをたくさん抱えている作者からファンなどほとんどいない作者に向かって放たれているのだとすれば、これはとても残酷な構図だ。

ウェブ小説界に3年ほど身を置いていて感じるのは、ここは強烈なマチズモの支配する場所だということだ。それはそうだろう。プロになり、作家としてサバイバルできている人は自力でそうなれたのだから、当然強い自負心を持っている。彼ら彼女らが多くのファンを獲得できたのは、そうなれるよう努力したからなのだ。だとすれば、ファンが少ないのでつい自虐してしまう人は努力が足りないだけ、ということになるのだろうか。そうに決まっているだろう、と断言できないのは、私が甘い人間だからなのだろう。

別に自虐なんていくらしてもいいじゃないか、と言いたいわけではない。そんなことはせずにすむならそれに越したことはない。ただ、私は声の大きい人の強い言葉にかき消されがちな小さな声も、できることならすくい上げていきたいとは思っている。それをなんらかの形で作品に活かすことができればいい。

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