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真理の沈黙 七つの原理 p210〜

p210 境がなければ、ものはその形体を、すなわち存在を保つことができません。〜『物境不離の原理』は人間の精神生活にも当てはまります。アイデンティティーの喪失が問題となっている今日、心の境というものを認識して、自己を確立することが大切です。

同じ場所には二物は存在し得ない・・と仰りたいのだろうか。当然のようでもありながら、近年では存在しうるという意見も出てきてはいる。
この『心の境』とは自他の境を言うのであろうか。

人の使命は、境をいよいよ良き境たらしめ、物をいよいよ良き物たらしめるにある。おおよそ地上における人間の努力は、物境不可欠の原理に立って、その成立原理である大調和の相を完くするにある。

p225丸山敏雄は『物境不離にして存在大調和』という理想態を、日常の人倫世界に投影した時の『くらしみち』を見出したのです。

いや、だから丸山先生は徳目を検証・スクリーニングされたのであって変な理屈からくらしみちを見出されたわけではないはず。

p226自然の生成化育を助けるために配された人間は、その使命を果たしてきたのでしょうか?

人間には、そのような使命はない。人間にあるのは、人類種の保存。

人間は自然に働きかけて文化の花を咲かせ、優れた芸術の数々を生み出しました。

芸術は、美を求めるが美は命のためだ。

『物境不離の原理』が現代に鋭く問いかけるのは、環境問題にほかなりません。

※SDGsを含め、環境問題もわからないではないがもうここまで来ると無茶苦茶だ。『万人が幸福になる』ことから離れてやしないか?また、自然保護は絶対善のように言われる向きもあるが、例えば原子力発電は自然を破壊するが太陽光発電はその何倍も自然に害を与える・電気自動車はガソリン車よりも甚大な被害を自然に与える事実を忘れてはならない。


p230 幽とは、見解の諸々の事物を一つに統べる隠れた次元のことで、純一界とも言います。

「幽界」とは、死後の世界のひとつの場所であるというのがスピリチュアルな考えに共通する定義ですが、詳細な区分に関しては、すべての思想において同じ定義がされているわけではありません。

基本的な考え方は古代から続いてきたものですが、国学の研究の中では、「古事記」「日本書紀」に記載されている「黄泉の国」「幽界」として理解されていたと考えられています。

もともと「幽」という文字には「かすか」とか「目に見えない」という意味があるので、「幽界」ということばのもともとの意味は、ただ「見えない場所」ということだったのでしょう。/違い比較辞典

私はスピリチュアルを体験的に理解している側の人間だ。しかしながらハッピーハックにおける『月』の人のように『目に見えないものは信用できない』人も一定数いるのも事実。『幽界』を信じない人には、ここらあたりは納得できないだろう。

p234

あなたが身を置くその場所その所という境を、さらにふさわしく、より調和あるものとするよう努めよ。

 整理整頓清掃・インテリアや配置換えによって皆にとって気分の良い空間を作ろうと説明がある。

道具にも、機械にも、金銭にも、それぞれが置かれた場において最高の働きができるよう、感謝という潤滑油を注ぎ、生かして使うことです。

 素晴らしい。これは、身近なものを慈しみ大切に扱う・そのことが自分を大事にする事にもなるというハッピーハックの観点に近いものがある。

昔から日本人は『一所懸命』に物事に取り組むことを大切にしてきました。自分が置かれた今の立場、今の役割を学び、精一杯そのつとめを果たそうとする姿勢、これも『物境不離の原理』に立った生き方にほかなりません。

一所懸命の意味がわかっていない。それは、150人の村での『ここを手放しては生きてはいけない』という必死な意味。今の立場とかいらんから。喜んで働くためには、今の仕事をやめる必要もあるのだ。人生は短い。

また、これも〜だが、そんなワード変換もうまくできないような変な原理に立った?わけないじゃん。

P235今自分が従事し、与えられている仕事に意義を見出だし喜び勇んで没頭する時に、その仕事が転職となるという意味でした。

全く違う。もしそうなら丸山先生はP L教団と袂を分ったはずがない。与えられている場所から離れ、やりたいことをやってこそ勤労歓喜の境地に立てるのだ。意義が見出せず辛いだけの仕事をしては、心身が壊れるのだ。

※例えば工場なら、営業・購買・制作・経理など種々の業務がある。その中で好きな業務・性に合う業務を自分がやる。他の部門も、それが好きな人を当てていく。

p236
 この調和を破るものは、コースの外に突き出されてアウトとなるのである。

 これは全戸皆完・苦難福門に反するのではないか?そもそも、この調和が何をもって言えるのか?とにかく丸山先生ったらカッコ付けか何か知らないが『原理』を持ち出した途端に崩れている。緻密な思考には不向きだ。

どんなささやかな事柄でも、気づいたことから実行していきましょう。

こういう素晴らしい言葉、幾万もの意義を持つ真の叡智がクソくだらない『原理』によって隠されているのが倫理の限界だ。

※丸山先生の編み出したヘンテコな熟語のほとんどは、ワード変換できない。これは、一般的に使われていない・・・ひいてはほとんどの人が知らない。

カルト(英: cult)は、「崇拝」「礼拝」を意味するラテン語 cultusから派生した言葉である。 フランス語(仏: culte)では、宗教の宗旨別を意味し、学術用語としてはカリスマ的指導者を中心とする小規模で熱狂的な会員の集まりを指す。 現在では、犯罪行為を犯すような反社会的な宗教団体を指して使用される。wiki

今の倫理法人会がカルトだとは思わない。だが、カルトの卵ではあるなあ。

会員の多くが情弱
家督相続
礼拝儀式の形式
集金システム・・・


最後まで、お読みくださりありがとうございました。

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