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タンタンとわたし

大好きだったパンダが、2024年3月31日に心不全で亡くなった。20歳、人間だと100歳とのことだった。

神戸の王子動物園にいるタンタンは、私がパンダ沼にハマるきっかけを作ってくれたパンダであり、かつ、大学受験を頑張るきっかけを作ってくれた恩人(恩パン?)でもある。

私が初めてタンタンに出会ったのは高校3年生の時だった。短い足、ゆっくりとした動き、そよ風をも優雅に見せるそのパンダに、私は一瞬で心を奪われてしまった。
ちょうど大学受験に向けて志望校を決め切れずにいた私は、タンタンと出会ったことで「よし、神戸大学に行こう!」と、王子動物園から1番近い大学を第一志望校に決めた。単純ながらも、私にとっては何よりも強い志望動機だった。

私は神戸大学に入って王子動物園の年パスを買って毎日タンタンに会いに行くんだ!
その気持ちで私は1年間受験勉強を頑張れた。

結果としては、残念ながら神戸大学とはご縁が無かった。しかし必死に勉強したあの期間は私の人生の大事な部分になっている。
神戸大学はダメだったが、何とか第二志望の東京の大学には受かり、私は4年間をタンタンと離れて過ごすことになった。

不思議なことに、寂しさは特に無かった。
今はTwitterで毎日タンタンの様子が見れるし、おばあちゃんの家がある奈良に行く時は毎回神戸まで足を伸ばしてタンタンに会っていた。そもそも、大学生活が楽しすぎてタンタンの存在を思い出す機会が減っていった。

第二志望の大学、とは言ったものの、大学生活に不満は全く無かった。むしろ私はこの大学がものすごく自分に合っていた。
大学での日々は素晴らしかった。勉強、キャンパス、部活、サークル、友達、どれを取っても素晴らしいものであった。

この大学に受かる学力を身につけられたのも、辿って言えばタンタンのおかげである。タンタンがいなければ私は神戸大学はもちろん、4年間の大学生活も、そもそも大学にも進学していなかったかもしれない。

そんな背景もあり、タンタンには感謝している。


タンタンの訃報を知ったのは4月1日、入社式の帰りの電車でのことだった。

驚き1割、感謝2割、安堵7割、と言ったところだろうか。
前から心臓が良くないのは知っていたし、いつかは…とは心のどこかで思っていた。だから、タンタンが神戸の地で素敵な飼育員さんに見守られて天寿を全うしたという報道を見て、これ以上の幸せな結末は無いなと安心した自分がいる。最期まで幸せでよかった。

タンタンを好きになってからタンタンが亡くなるまでに、私は高校生、大学生、そして社会人になった。タンタンがきっかけで勉強を頑張ったおかげで、十二分な大学生活を送ることができ、何の後悔もなく社会人になることができた。

大袈裟かもしれないが、タンタンの命はバトンとなって社会人になった自分へと繋がれたような気がするのだ。訃報を聞いた時、真っ先に私はそう感じた。


たかが動物園のパンダかもしれない。しかし私にとっては人生を大きく左右した存在であり、私の人生をかけがえのないものにしてくれた存在である。

天国へ行っても毎日たらふくの笹と少しのローズマリーを食べていることを願っている。
タンタン、ありがとう。