見出し画像

ぐだぐだ噺の記

「落語会に出ないか」
そんな誘いがきたのは昨年の12月のことだった。5年毎に行われる大学落研OB・OGによる落語会。コロナ禍で開催が延び延びになっていたが、今年久しぶりの開かれることとなった。
「私でいいんですか」
60年以上続くサークルなので、そのOB・OGとなれば数百人、そのなかから選んでもらえるのだから嬉しい反面プレッシャーも感じる。
「前回は年齢層高めだったので、今回は若手に出てもらおうと思ってね」
これには少し苦笑した。今年五十になろうというおじさんを捕まえて若手。サークルの歴史で、今までの年数を半分に折り返したときに、前半と後半に分けるとするなら、私の代はギリギリ後半に入るから、まあ若手といえば若手なのか。
せっかくのお誘いなので、出させてもらうことにした。


さて、出るとなれば準備が必要になる。噺を決め、稽古をして、着物を準備し、当日の宿も探さねばならない。まず第一は噺を覚えることだ。
噺は『だくだく』と決まった。家賃滞納で長屋を追い出された八五郎が、新しい店を借りて引越してきたが、前の店を出るときに持ち物を売っ払ってしまって何も無い。そこで壁に紙を貼って、そこへ「先生」に家財道具の絵を描いてもらおうとするのだが……、という筋。
さて落語を覚えるときは、まず噺を文字に起こしてノートに記し、構成や言葉遣いなどを修正していく。出来た本を読み込み、ブツブツと唱えながら一字一句諳んじられるよう覚える。この時は抑揚や所作はつけず、ただただ噺を覚える。それを終えると、今度は所作をつけてゆく。人物分けや空間を表す上下(かみしも)、筆を持つ手や戸の開け立てなど、見る人の視覚的な補助となる「演技」の部分をつける。言葉と所作がもちろん同時進行しなければならないので、身体に染み込ませる作業になる。そして、これが出来るようになってから、本筋とは違った笑いどころ、いわゆる「くすぐり」を作っていく。


とはいえ、高座に上がるのは10年ぶり。ブランクは大きい。しかも、今までにやったことのある持ちネタにすればいいのに、わざわざ今回のために「ネタおろし」(新たに覚えて人前でかける噺)にしてしまったものだから、一から覚えなければならない。後悔先に立たず。
とりあえず書き起こし、言葉を直しつつ、構成を考える。時間が限られているから、本筋は変えなくとも切り貼りをして時間の調節をしなければならない。噺家は「10分で」とか「25分で」と言われると、それに合わせた長さで高座を務めるのだから流石。こっちはその時々に合わせて、20分なら20分の噺を作って持っていくしかない。本職と素人の大きな違いだ。
さあ、所定の時間に収まる本も決まり、いざ覚え始めたが……年もあって噺が全く入ってこない。入ってきても、口につかない(言葉として出てこない)から、本にない無駄な言葉が増えてくる。「えー」とか「うーん」とか、間をつなぐ言葉も入るから、所定20分が35分掛かっても終わらない。この時点で残り3週間。背中に冷たいものを感じる。これに所作をつけねばならないのだから、暗澹たる思いで練習を続けた。
残り1週間。噺は覚えられたが所作がつけられていない。これはまずい。毎晩のように所作の確認。この時に、はじめて『だくだく』特有の上下(かみしも)の切り方があることに気づく。


落語の中では人物を演じ分ける、あるいは空間を表すときに右左に顔(面)を向ける。これを上下(かみしも)を切るという。観客が高座を見たとき、右側を「上手(かみて)」左側を「下手(しもて)」と呼ぶ。噺家が右側(上手)を向いた時、その人物は「目下の人」、あるいは家の外や下座にいる人を表す。左側(下手)を向いた時、その人物は「目上の人」、あるいは家の中や上座にいる人を表す。
一方、右側(上手)の後ろへ向いた時、その人物は(目上の人が)今いるところより奥(家なら台所や居室、庭など)へ向かって話をしていることになり、左側(下手)の後ろへ向いた時、その人物は(目下の人が)今いるところより外に向かって話をしていることになる。


この噺には「先生」と八五郎が、狭い部屋をあちこち移動しながら絵を描いていく場面がある。「先生」は常に壁面に向いて絵を描き、八五郎は「先生」の後ろからあれこれと指示を出すという形だ。ここで「先生」が絵を描く場合、ほぼ正面を向いて描くパターンと、下手に向いて描くパターンが考えられる(演者によって違う)。
正面を向いた場合、八五郎は上手を向いて先生に話しかけることになり、おのずと先生は下手側後方に振り返るように返事をすることとなる。
一方、下手を向いて描く場合、後方に振り返ることなく、お互いに正対したような形で話しながら絵を描いていく所作となる。だが、私は下手を向く所作だと、八五郎は壁にめり込んだ状態で話しているように感じてしまい違和感がある。同じ下手でも、話しているときは先生も八五郎も正対していて、描くときとは向きが違う、ということなんだろう。
ほぼ正面を向いて演じるのが自然なのではないかと思うのだが、『だくだく』の所作自体がイレギュラーなため、最適解はあっても正解はなさそうだ。


当日は演者が二名病欠ということもあり、20分とされた持ち時間も少し緩めに。客ウケは前半渋かったものの、後半はなんとか持ち直して無事オチまで(と、いうか『だくだく』は演目がネタバレ)たどり着けました。いやいや、冬に嫌な汗を「だくだく」とかいてしまいました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?