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出戻りアドラー 2:涙なしに解けるーアドラー心理学練成講座@盛岡ー

日本アドラー心理学会主催 アドラー心理学練成講座@盛岡 2023.11.3-5。
3日間の講座で学び、美味しく食べ、あそび、帰路のやまびこ号車中。

学んだこと、感じたことを、帰ってから整理して落とし込もう、と思ったけれど、帰るとまた次々の仕事。今のうちに、一度メモふうにアウトプットしておこう。


●早期回想:デモとグループワーク

子どものころの出来事を思い出してセラピーやカウンセリングに使う手法は他にもある。

私も幾度か経験したけれど、カタルシスを経由しないといけなかったり、傷ついた内なる子どもが今もいるという前提に立っているものが(某方面では)ふつうにある。

が、ここでの前提は、どんな思い出にもその人が”所属”するための”強み”が語られていて、もし現在の課題があるとしたらその強みである方法・態度の使われ度合いや使い方が関わっているかも、というところに立つ。

そうすると、語られた回想から探し出せるのは、できること、愛しいこと、(失敗したかもしれないけれど)よい意図、(幼いときには能わなかったけれど)こんなふうでも在れたんだ、観れたんだ、という可能性。

これがアドラーの前提に立って旨く”読め”たとき(読み解くための熟練はかなり必要な気がするけれど)、今の課題との取り組み方も涙なしに解けうる。

それだけでなく、自分はこんな存在である、世界は(周囲の人々は)こんなところであるという信念(思い込み)も涙なしに瓦解して書き変わることも起こりうる。

=>自分の人生はこうだったという物語も書き変わりうる。

ほんの数10分、1時間足らずでも。涙なしに。

他の前提・仮説・手法を否定しているのではないけれど。
もっと壮大に、ものものしく、感情を使い、時間もお金も費やすほうがよければ、そんな世界もあるのは知っているけれど。

このチカラや美しさを知ってしまったら、戻れないし、戻る必要がもうない。

●サイコドラマ(心理劇)

課題になっている場面を演じ、演出や演技を変え、技法も使って演じ変えていく。

言葉だけのセッションでも変えられることは多いけれど、このドラマ仕立てでは、体感を伴い、観客も含めた場のチカラも応援にはたらいて、たとえば、これまでにないコミュニケーションパターンを、涙なしに体得できてしまうことも起こりうる。

ここでも、もっと壮大に…(以下略)も知っているけれど、吹き出すほど笑い合って変えていったっていいじゃないか。

●カウンセリング

カウンセラー実習と認定試験受験、そして試験のクライエント役として相談する側の3つをさせてもらった。

試験は3度目のチャレンジ。

これまで、情報収集として聴くところまでは、ある程度できていたのだろうと思う。おそらくふだんの問診の経験も役に立って。
が、そこからもう一歩、アドラーの前提に立ちながら目標を一致させていくところに、越えられなかった壁があった。と思う。
ふだんの仕事でやっている、直に施術やセルフケアの提案・コンサルテーションをしていく動き・流れとは違う、経験の浅いところ。

今回、試験としては合格をいただいた(まだ審査があるけれど)。

あ。そうか!というところと、えっ?いいのだろうか…というところと。

ていねいに寄り添って聴くのだけれど、敢えて乗らない話もあり。
なんでも受け取る”傾聴”ではないけれど、”共感”はあり。
わかり得ないまま聴くのだけれど、行くべき方向は持っている必要もあり。

壁はやはり壁で、わからなさ、難しさも感じる。
でも、帰ったら”現場”があるから、ここに来た。
涙なしに(少ないしごとで)解けることに私も与したい。

最後に、クライエントとしては、妹との関わりについて相談させてもらった。

仲が悪いわけではないけれど、しばしば・突然妹に怒られて(を怒らせて)びくびくしていること。私としては何年も気がかりで、このままではいけないけれど、自分ではどうしていいかわからずにいたことを相談。

思いがけない方向で、ガラガラと(瓦解する音)肩の力が抜けてしまった。
すごいなあ。おもしろいなあ。アドラー。

…で。

“出番”を終えて外に出ると、あろうことか、その妹から着信履歴が。
もしや母の病状が?!と急いで架電すると、
妹「な〜ん?」
ね「着信の入っとったけん」
妹「かけとらんよ」
ね「そぎゃんね。なんか触ったとかな〜」
妹「ん〜 なんかな〜」
ね「無事ですか〜?」
妹「無事ですよ〜」
ね「よかった。じゃ〜ね〜(笑)」
妹「うん。じゃ〜ね〜(笑)」

びくびくしてひと月余り電話もできずにいたけれど、なんですか。
何もコワいことなんて起こったりしないではないですか(脱力)。
涙なしに怯えなしに(でっかく言うと)世界は30分で書き変わる。

●オフライン

こうして3日間、濃厚に練成されながらも居心地よく過ごさせてもらった。
ここ(日本アドラー心理学会)は健全なコミュニティだなぁとありがたく。
"お客様"的な言いようで、過渡期を経てここを維持して来た方々には申し訳ないようだけれど、まずは。

組織を維持し、こんな催事を回すのは、たくさんの雑事もたくさんの決め事もウラでオモテで誰かが粛々と担わないと動かない。そういった種類の仕事を長年生業にしていたけれど私には全く(かなり)向いていなかったと今は思う。

ここは目に見える範囲でも、担当理事の方たちがたくさんの仕事をサバサバとさばいていて、適材適所というか、なんて人材に恵まれている集団なんだろう。

認定有資格者の方々が参加者として来ていながら自分の課題も提示しながら講座をたすけるようにも動いているし。初めて講座に来たという地元の方々もお話を出したり話を聞いてくれたりして親しく参加しておられたりするし。

30年来の旧くから知っている方々とも、初めましての方々ともシェアしたり。ひとりで居たり。

ガチガチのお勉強ではなくて、ゆるく休憩したりごはんして懇親したり。
ガチでマジメなんだけれど、どこか、他にはない”あそび”があるというか。

ああ美味しかった(満腹)。

そぉっと出戻り。ぼちぼち行きましょう。ねこなりに。

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アドラー心理学○○というプロバイダーは数々出来てきたこのごろですが、おすすめは今回もアップしたココ→創立40周年の 日本アドラー心理学会
私でわかることはお伝えできますので、気になる方はコンタクトください。
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